61 影踏み

 この屋敷に訪れるのは何度目だろう。そんなことを考えながら、サムは呼び鈴を押す。

 約束の時間きっかりに訪ねたので、当然出てきたのはエマだった。今回は、屋敷に上がっても良いらしい。オリヴァー氏の秘書の姿が見えたが、彼は関与する気がないようだ。彼がいるということは、オリヴァー氏も在宅なのか。

「記事、読ませてもらったわ。うまくいっているようね。あなたのおかげよ」

「いえ、そんなことは……」

 サムは無難に恐縮する。彼は鼻先にぶら下がった餌を追いかけただけだ。とんでもない話をそれらしく見せるには、どうすればよいものかと苦慮したが、結局のところ、彼が小細工をする必要すらなかった。

「それで、今日はあの子のことについてお話していただけるんでしょう?」

 ユンのことだ。事前に用件は伝えてあった。

「はい。簡単に申し上げますと、ジューンさんは今、軍に所属しています。ミコトさんの近くで、手に職をつけていますよ。詳細は述べられませんが、エマさんが心配される必要はありません。彼女は立派に独立しています」

 エマの動きが止まった。その顔には安堵ではなく、驚愕が浮かんでいる。それを見て、サムは少し焦る。何かまずいことでも言っただろうか?

 いや彼女は、ミコトの名前が出たことに驚いているのだ。そうに違いない。無理矢理納得しようとしたが、念のため訊いてみる。

「どうかなさいましたか?」

「……いえ、少し驚いてしまって。巡り合わせというのは、あるものなのね」

 彼女はティーポットから紅茶を注ぐ。その手がわずかに、震えているように見えた。

「ええ。本当にそうです。彼女は父親に引き取られた後、高校を卒業してすぐに軍に入ったようです」

 エマが聞きたかった話であるはずなのに、彼女は耳を傾ける様子もなく、どこか遠くに目を向けていた。

 彼女は動揺している。その動揺は、エマがオリヴァー家にいるという話を聞いた時の、ユンのものとは異なっていた。単純な驚きではなく、失望が混じっているように見える。

 ここでサムは想像する。ホーキンズが死んでユンに出会ってから、彼は想像することが得意になった。納得するためには、事実だけでは足りなかったからだ。

 エマはサムに、ユンを捜させた。彼女は使用人の娘が今どうしているか知りたい、そう言っていたが、おそらく彼女には期待があったのだ。

 友人を頼り、その友人が亡くなった今も、ずるずると依存し続ける自分。ユンも、他人に依存していて欲しかったのではないか。

 サムははっきりと、彼女が独立していると言った。本当のことだ。誇張したつもりもない。しかしそれが、エマには耐え難い事実だったのかもしれない。エマは勝手に、ユンに対して同族意識のようなものを持っていたのだろう。彼女もそうであれば、自分も許されるはず。それが裏切られたから、狼狽しているのだ。

「あの、あなたはどうしてジューンさんのことを調べさせようと思ったのですか? 本当のことを教えてください」

 エマはぼんやりとした瞳で、サムを見つめる。諦めたようにため息をついた。

「ミコトちゃんのことも知っているのなら、隠していても仕方ないわね。彼女に言われたの。彼女にはずいぶん前に、その子の話をしていたから。啓示について調べさせるための記者を手配するから、ついでに捜させるといいんじゃないかって」

 やはりそうか。しかしなぜ、ミコトはそんなことをしたのだろう。彼女はユンが、ジューン・ヒースであることを知っていたのに。ユンにエマを調べさせた理由は想像済みだが、こちらについてはわかりそうにもない。

 サムが新たに質問しようとするのを、エマが遮る。

「彼女が自立しているならよかったわ。無駄な心配事だったわね。あと、いろいろと面倒をかけてしまって申し訳なかったわ。ありがとう」

 彼女はまくしたて、にっこりと笑った。その眼は、早く帰れと言わんばかりだ。

「大した情報でもないのに、上がり込んでしまってすみませんでした」

 これ以上、彼女に用はない。サムはさっさと退散することにした。


 エマに見送られ、屋敷を出る。釈然としないまま立ち止まった門扉の脇に、アイザック氏の秘書が立っていた。サムはおののきつつも、軽く会釈する。男は薄く笑い、組んでいた腕をほどく。

「君が、ホーキンズの弟子という記者か」

 サムは震えあがりそうになった。屋敷には何度も訪れているが、アイザック氏や彼と顔を合わせたことはない。エマはただの使用人なわけで、彼らにとってサムは邪魔者に他ならないだろう。

「君も苦労したことだろう。よくあそこまで仕上げたものだ。感心するよ。流石はホーキンズの弟子だな」

 男はサムの肩を軽く叩き、屋敷へと戻って行った。

 サムはしばらくぽかんとしていたが、思考が戻るにつれ、血の気が引いた。もうエマのことなんて、どうでも良くなってしまった。

 あの男が、ホーキンズを唆したのか――。


 アイザック・オリヴァーの影。彼については謎が多いが、少なくとも無能でないことは確かだ。ホーキンズを利用するのは容易かっただろう。アルカ教に関する情報を少し与えれば、ホーキンズはすぐに食いついたに違いない。彼は無神論者だった。アルカ教は気にくわないと、日常的に口にしていた。

 アルカ教と軍の間に癒着があったのかは、現在も表向きには不明だ。しかし軍の上層部に、アルカ教信者がいたことは間違いない。暗殺するに至るほどの不都合な事実があったのかも今となってはわからないが、おそらくその手の事実をホーキンズが得ていたのなら、あの男の仕業と考えるのが妥当だ。ホーキンズがどれほど優秀な記者であったとしても、結局情報というのは、人から得るものなのだから。

 サムの仕事は、本来ホーキンズのものだったのか。それともホーキンズは暗殺される前提で、サムを利用しようとしていたのか。ホーキンズが健在であれば、彼を操っていたのはあの男になっていたかもしれない。

 もしホーキンズが生きていたら、自分は何をしていただろう。サムは考えずにいられない。

 おそらく、ユンと出会うことはなかった。当然ロブスタの存在すら知らず、マスターと出会うこともなかった。今も見習いとして、くすぶっていたに違いない。しかし、そうでなくなったことを喜んで良いものか。

 この計画は、いったい誰の為にあるのだろう。

 ミコトという人物が、サムは気になって仕方がなくなっていた。

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