60 救い(2)

「とうとうこの国ともお別れか。感慨深いね」

 ミコトは別段感傷に浸る様子もなく、さらりと言う。

「またいつでも来てほしいわね。今度はお仕事以外で」

 ソフィアは呑気である。格式にこだわりがないのは結構なことなのだが、れっきとした一国の君主が、これほど自由で良いのだろうか。

「簡単に出国できれば良いんですが。皆様とはまたいつか、お会いしたいと思ってはいます。ぜひ、帝国にもお越しください」

 初めて出会ったときと同じ顔ぶれだ。ソフィアとジャスミン、オットー、ルド、イーサン、そしてモーゼフ。衛兵による人払いのおかげで、静かに別れを惜しむことができている。彼らは口々に別れの言葉を口にしながら、ミコトやテオと握手を交わした。

 個人的な挨拶を述べるとなると、やはりテオはルドやイーサンに囲まれることとなる。ルドが乱暴にテオの背中を叩いているときに、ミコトとジャスミンはふたりで話をしていた。そちらの会話が気になるのだが、ルドやイーサンに絡まれてしまって聞こえない。彼らもふたりに気を遣っているのかもしれない。


「あれから考えたんだが、やはり私たちは違うのだと思う。メフィストとエルピスも、本質的に異なる存在だ。比べようもない。私たちの生い立ちがどんなに似ていても、結局のところ同じではないし、仮に全く同じだったとして、同じように感じるものでもないだろう。同じように感じ、考えることができるのなら、それはもう、同一人物だ」

 ジャスミンは毅然として言った。彼女の言っていることは、どうしようもなく正しい。冷静に考えれば誰にだってわかることだ。それでも、誰もが理解できないままでいる。ミコトもそうだった。

「その通りだね。私は何を迷っていたんだろう」

 久しぶりに、ミコトは胸の痛みを感じた。この言葉は、ジャスミンのものだからこそ受け入れられるのだろう。

 それでも、ミコトは不安なままだ。この不安は、誰にも取り除くことはできないだろう。自分は何者か。自分はどこにいるのか。この疑問を誰に訴えても、上辺しか理解されることはない。

「ありがとう。あなたに出会えてよかった」

「今生の別れみたいだな。またいつか会えるんだろう?」

 わからない。次に会った自分は、今の自分ではないかもしれない。ミコトは頷くことができなかった。

 テオと並んで改めて礼を述べ、深く頭を下げる。

「またいつか会おう」

 彼らは「さようなら」とは言わなかった。まるで示し合わせたかのように。

「またいつか。お幸せに」

 ミコトとテオも、再会を願いながら応じる。これは、ルドに対する冷やかしも含んでいる。ふたりは顔を見合わせて笑った。

 きっと彼らはこの島で、何事もなく暮らしていくのだろう。そしてメフィストの存在も、忘却の彼方に消えてゆく。ジャスミンは一人で彼と向き合い、その運命を受け入れることができるから。

 これ以上ないあたたかい見送りを背に、ミコトとテオは船に乗る。


 胸の痛みが、まだ消えない。


「次にベゼルに来れるのは、いったいいつになるんだろう。ここまで来ることよりも、帝国を出ることのほうが難しいと思うけど」

 テオは小さくぼやく。本当にいいところだった。彼らと別れるのは、想像以上に寂しい。

「教授に頼み込んで、ベゼルに出張するしかないね。帝国に来てもらえたらいいんだけど」

 そこでふと、テオは気がつく。

「そういえば、教授はどうするの? メルムがいなくなって、研究することがなくなっちゃったんじゃない?」

「それはないよ。教授は忙しい人だから」

 教授はおそらく、アルヴの研究を再開するだろう。外の世界の存在を証明する、負の遺産。教授にジャスミンのことを話したら、またベゼルに行けるだろうか。

「それより帝国に帰ったら、テオは教授のところに戻るんでしょ? 訓練漬けの日々になりそうだね」

 これに対して、テオははっきり答えなかった。自分が決めることではないからだろう。ミコトはその様子を微笑ましく見つめながらも、厳しく指摘する。

「テオはもっと、我儘わがままになるべきだよ。君は昔の私によく似ているから、あまり偉そうには言えないんだけどね。意思をもたないことは、無責任なことなんだと、私は思う」

「ぼくが、ミコトに?」

 テオは釈然としない表情だ。

「そう。周りに流されるがまま生きてる感じがそっくり。もちろん、君と私は決定的に違うよ。私は君みたいに優しくはないから。でもね、どんなに君が優しくても、それで救われる人は君が望む人間じゃないかもしれない。流される人間は無害だけど、たまには害を為さないと、生きるも死ぬも変わらないんだよ」

 テオは人を殺せない。ミコトとは決定的に違う。ミコトは、彼もどこか人の死に疎いところがあるのかと思っていたが、彼は単に目をつむっているだけなのだ。

 テオは困惑している様子だったが、ミコトはそれを見て安堵した。彼はまだ、優しいままでいられるかもしれない。

「私はきっと、君がまだ子どもだったから、受け入れることができたんだろうね」

 テオが青年だったら、ミコトは彼を嫌っていたかもしれない。彼がまだ子どもだったから、昔の自分の姿を重ね、彼に道を示そうと思ったのだ。故郷を捨てた彼のために、何としても災厄を終息させたかった。彼が抱える自責の念を、少しでも取り除くために。

 誰かを救うことができたら、自分を受け入れられるかもしれない。しかしその誰かが、どうでも良い他人であってはならない。テオはその「誰か」になれただろうか。

 潮風が目にしみて、ミコトはゆっくりと瞬きする。

 結局、自分が救われたいだけなのだ。

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