57 ある少女(9)

 アルカ教の総本山は、宮殿にごく近い。かつては皇帝の求心力を高めるために存在したのだろうから、当然と言えば当然だ。

 ミコトは軍に呼び出されたついでに、その総本山に立ち寄った。用があるのは他でもない。かつて姉のように慕った元王女、アイリだ。

 信者が出入りしているようだが、彼らはいたって普通の格好をしていた。職員と見える者は聖職者らしく白いローブを着ていたが、神聖な場所としての異質な雰囲気は感じられなかった。ミコトは信者らしき人々の間を縫い、職員に声を掛ける。

「アイリ様に、伝言をお願いしたいのですが」

 相手はミコトを一瞥して、戸惑った表情を見せた。傍から見れば、ミコトはただの少女である。しかしその物腰は大人びている上に、どこか威圧すら感じられる。相手はどうしたものかと一瞬辺りを見渡したが、伝言だけならと、耳を貸す気になったらしい。

「何と伝えれば良いのかな」

「そうですね……。ミコトという少女について、お話があるとお伝えください」

 相手は怪訝そうな顔をしたが、少し待つように言って、どこかへ姿を消した。

 アイリの立場がどのようなものか、ミコトは理解していない。しかし家族を売る形で軍に加担し、アルカ教の勢力を強めた重要人物だ。きっと幹部か何かとして、重宝されているに違いない。

 その予想は当たっていたらしく、伝言を頼んだ男はなかなか帰ってこなかった。

 聞く人が聞けば忽ち取り押さえられてしまいそうな伝言だが、しばらく待つと男が帰ってきた。

「アイリ様がお呼びです」


 簡単に会えるだろうとは思っていたが、これまで気が進まなかった。クーデターにおける立ち回りを見れば、アイリこそが、自分を真の皇帝に仕立て上げようとした張本人なのだから。

 しかし今は、軍との契約がある。あの男への当て擦りにする意図もあり、今になって彼女に会っておこうという気になったのだ。白いローブを見つめながら、アイリのことを考える。

 ミコトから見ても、兄のアーサーよりアイリの方が優秀だった。彼女もそれを自覚していたからか、兄妹の仲はあまりよろしくなかったように思われた。負けん気が強いアイリは兄が気にくわなかっただろうし、兄は劣等感を感じていただろう。よくある話である。

 そしてアイリの不満は、皇帝である父親にも向いていたはずだ。何も考えず、長子に王位を継承するつもりだったのだろうが、アイリはないがしろにされていると感じていただろう。それが家族を殺す動機になったかは、定かではないが。


 天井の高い廊下を通り、やたら大きな扉の前で立ち止まる。男がノックし、扉を開ける。

「久しぶりね、ミコト」

 アイリは、立ってミコトを迎えた。彼女はすっかり、落ち着いた大人の女性になっていた。脇には、護衛らしき男性が佇んでいる。ミコトはその男性を一瞥した後、アイリに視線を戻した。

「ご無沙汰しております。アイリ様」

 遊び相手だったからと言って、気安い口は利かない。昔からそうだった。

「私はもう、王女でも何でもないのよ。そんなにかしこまらないで。……それにしても、大きくなったわね」

 どの口が、と思うが、にこやかな微笑は崩さない。これが自分の無表情。

「あなたが会いに来た理由は山のように思い当たるけれど、ひとまず座らない?」

 そう言って、椅子を勧める。意固地になるほど子どもではないので、ひとまず腰掛けた。

「話したいことはたくさんあるけれど、あなたの話から聞きましょうか」

「はい。実は先ほど、軍の方とお話したんです。彼らは私を軍に置く、いえ、厳密には軍の管轄である大学に入学させることを条件に、即位を遅らせるという契約を提示されました。このことについて、ご存知ですか」

 アイリは少し笑って、髪を耳にかけた。その仕草には、優位を自覚する余裕が見られる。

「ええ、もちろん」

 ということは、軍とアルカ教、少なくともアイリは、やはり親交があるのか。

「あなたが提示した条件でしたか。私には、その意図が理解できないのですが」

「提示したのは軍の方よ。軍にあなたを捜させたのは私だけど。なかなか見つからないものだから、あなたは軍に目をつけられてしまったのね。見つかってもしばらくはあなたを泳がせていたんでしょうけど、軍にそうさせたのは素晴らしいことだと思うわ。別に私は、あなたを今すぐ即位させる必要はないと思っているの。だから、その条件を承諾した」

 迷惑な話だ。しかしアイリは軍に指図できるほど、恩を売ることができていたのか? 親衛隊でも抱えているのだろうか。

「新しい皇帝の即位には、何らかの成果を伴わせたいということですね。しかしなぜ軍が、わざわざ失脚させた後に新たな皇帝を求めるのかも、私には疑問です」

「そうでしょうね。でも、この教団を見ればわかるでしょう。人は偶像を求めるものなのよ。人々が望む皇帝を立てるというのは、きっとそういうことなの。それに、先代が偽物だったと強調すれば、皇帝殺害も正当化できる。軍にしたって、国という漠然としたもののためを謳うより、兵士の士気を高められるでしょう?」

 理屈は理解できるが、偶像になるのは御免だ。それに、自分の存在を理由に王室の殺害を正当化されるのも業腹である。

「なるほど。どうにも私は、英雄か女神の塑像と同じ扱いらしいですね。堅苦しい軍の連中が、真の皇帝なんてものを真面まともに信じているとは」

「塑像だなんて。ところで、あなたはどうして壁が作られたのか知っているのかしら」

 なぜ、その話になるかすらわからない。ミコトは首を横に振ってみせる。

「あの壁は、真の皇帝の存在を主張し始めた、一部の人々を排斥するために作られたの。ちょうどそのころ、帝国以外の国家が興り始めたころだったから、表向きは防衛のためとして、真の皇帝という主張すら、当時の皇帝は無かったものにした。そのついでに、外へと広がっていった人々によって境界線の存在が国民に知らされることも防いだのでしょうね。そうして今の、偽の世界地図を国民に信じさせる帝国が出来上がった」

 そのついで、のおかげで、壁付近に住む人々の日照権は奪われているわけだ。

「当時の皇帝は、真の皇帝とやらの存在を強く否定しすぎたおかげで、壁外に追い立てた人々に確信をもたせてしまったということですか」

 その経緯を知っている政府や軍の人間も然り、ということか。誤魔化してどうにかなるほど、根は浅くなさそうだ。皇帝に祀り上げられることを想像して、ミコトは目の前が暗くなる。

 気を取り直して深呼吸する。こんな話を聞きに来たのではなかった。姿勢を正す。

「僭越ながら、皇帝、いや、あなたには、それを揉み消すこともできたと愚考しますが」

 アイリは目を伏せた。テーブルの上で組んだ手に、力をこめる。

「父にも、兄にも無理だったでしょうね。そして私が足掻いたところで、私たちの血は偽物でしかない。ねえ、あなたはどうして抗おうとするの? あなたは選ばれた人間なのに。恵まれた星のもとに、生まれてきたというのに」

 アイリの手が、ミコトの腕を掴む。すがるように、そして、恩着せがましく。

「あのままでよかったはずがないでしょう? あなただって、兄が嫌いだったじゃない。どんな気持ちで、兄と一緒に過ごしていたの? 兄が死んだと知っていたら、あなたは逃げたりしなかったでしょう?」

 感情的になるアイリと相反するように、わずかに乱れていたミコトの心は冷然としてゆく。

「ええ、そうですね。皇太子の妃に迎えられるよりかは、幾分ましになりました。ですがそれまで。私が偶像になりたがっているとでも? 冗談じゃない。私の血が本物で、それだけで価値があるのなら、いくらでも差し上げましょう。私が恵まれていると仰るのなら、あなたの血と取り替えたいくらいですよ」

 アイリに掴まれている手に、もう片方の手で爪を立てる。本当に女神の末裔だったとしても、その血が流れているわけではない。今となっては本物も偽物も、証明のしようがないだろうに。

 血が滲み始めたところで、それまで静観していたアイリの護衛がそれを制した。アイリもぎょっとして手を放す。

「……そんなことで、運命から逃れられるわけがないじゃない。女神を信じるすべての人々が、あなたの存在を必要としている。ここは、そういう世界なの。女神を否定できることが、この世界では幻想なの。誰もあなたの代わりにはなれないの」

 ミコトは立ち上がる。付き合っていられない。教団に毒されたか。

「女神を否定できないのは、あなたの世界でしょう。女神を信じる人々なんて、私には見えませんね。それでは、私の世界で存在しないも同然。あなたが不可能と見限ったことを、私に押し付けないでいただきたい。因みに虚構と幻想は世界の必須要素だというのが、私の持論です」

 扉を開き、部屋を出る前に一礼する。アイリの護衛は、じっとこちらを見ていた。

「では、またいつか」

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