56 ある少女(8)

 事件の捜査は、些か杜撰に思われた。だが、ミコトにとっては好都合だ。

 隠しておいた拳銃は川に沈めた。見つかったとしても、ずいぶん後だろう。

 銃は嫌いだ。こういうときに扱いづらい。

 マグノリアのいなくなった屋敷には、ずいぶんと重苦しい空気が充満していた。それなのに、父親は相変わらずだ。何を考えているのかわからない。ただ、その瞳だけは絶望を物語っているように見えた。

 エマは少々不幸を重ねすぎたようだが、ミコトの知ったことではない。空虚さを感じつつも、ミコトは普段通りに生活する。

 マグノリアのような人が殺されるのなら、どんな善人にも希望はない。そう思わせるような女性だった。人々は何が素晴らしいのかもよくわからない女神などではなく、彼女のような人を崇めるべきなのだ。

 そう考えたところで、マグノリアはもういない。今となっては白けてしまうだけだ。

 人の死に鈍感な自分は、誰も守れない。誰も救えない。むしろ、死を呼んでしまう。何が女神の末裔。何が真の皇帝。馬鹿馬鹿しい。

 隠し持っていた例の手記を、ぱらぱらと捲る。落ち着いて読む余裕がなかったので、まともに読むのは初めてだった。かなりの年代物のようなので、扱いには気を付けなければならない。

 しばらく目を通し、あるページで手を止める。そこには、嘆きが記されていた。

――私は女神などではない。この世界に縛られ続ける番人に過ぎない。そして、人々をこの狭い世界に留め続ける。永遠に、罪を背負い続ける。

 いつの先祖だか知らないが、まるで詩人だ。こんなことを感じていながらなお、一族が王位を取り戻すことを悲願としたのか。死んだ人間の苦悩や後悔なんて何の役にも立ちはしない。罪の意識など、自分が酔いしれるためにあるものに過ぎない。

 手記をぱたりと閉じる。どうやらミコトは、一族の異端者らしい。代々受け継がれ、多数の人物の言葉が記されているようだが、どれも似通っていて芸がない。唯一興味深いのは、明らかに書かれた年代が異なるのに、それらの筆跡がよく似ていることだ。筆跡というのも、遺伝するのだろうか。

 いくつか気になった文章もあったが、すべて頭に記憶しているので、何度も読み返す必要はない。布に包み直し、鍵のついた引き出しにしまう。


 その夜からだ。奇妙な夢を見るようになったのは。


 それが先祖の記憶であることに、ミコトはすぐに気づいた。さらに奇妙なことに、その夢では感情までもが再現されていた。ミコトが絶対に考えないことを、夢の中で考えている。まるで他人の思考を再現するかのようだった。

 それを繰り返すたびに、自分がわからなくなった。夢であるはずなのに、一度見た誰かの記憶は完璧に脳に記憶されていく。本当に体験したことのように、記憶が捏造されていく。そうして、優柔不断でただ弱いだけの、感傷的な別の自分が浮かび上がる。

 いったいその自分は何なのだ。体験していない記憶をもつ、もう一人の自分のことがミコトは大嫌いだった。悲劇のヒロインを演じ続け、何もしない。絶望して、期待して、祈って終わる。ミコトなら、絶望なんてしない。誰かに救いを求めたりしない。決して舞い降りる奇跡を望まない。

 この自分こそ、自由を奪う幻影だ。この自分を消すことができたら、本当の自由を手に入れることができるのではないか。

 それをはっきりと自覚した日から、ミコトはエマを慰めるようになった。そして、微笑を身に着けた。


 それから二年後、ミコトは軍から連絡を受ける。誰にも知らせず、単身で軍の本拠地へ来るように、という奇妙な命令だった。しかし予想はついていた。潮時ということか。ミコトはそう覚悟した。

 命令通り単身で中央地区へ向かい、軍の本拠地へ入る。宮殿の近くだ。様々な記憶が蘇る。

 多くの軍人が場違いな小娘に目を丸くしていたが、いつの間にか現れた階級の高そうな軍人に案内され、上階へ向かう。通された部屋いた男は、いかにも上官という風体で、凄みがあった。

「君が例の末裔だね。話は聞いている。よくもまあ、ここまで逃げおおせたものだ」

 ミコトはひくりと顔を引きらせる。やはりそうきたか。

「そう睨まんでくれ。君と、契約をしたいのだよ。君はずいぶん優秀らしい。能力も高い。私たちは、君が欲しいのだよ。皇帝にするには惜しい。そこでだ。軍に入る気はないか?」

 男の意図を探るために、ミコトはしばらくその眼を見つめる。そして考える。皇帝になるか、軍人になるかを迫っているのか?

「お言葉ですが、お断りさせて頂きます。そう言ったら、私は皇帝に仕立て上げられるのでしょうか」

「まあ、そうなるな。皇帝が空席のままでは、権威に障る」

 軍、あるいは政府は、真の皇帝の存在を信じているらしい。そしてそれを欲しているようだ。

「そうであれば、私がその契約をお受けした場合、私以外の誰かが、皇帝になるのでしょうか」

 その言葉に、男は大笑した。

「いやいや、そんなことはできんだろうな。偽物の皇帝なんぞ、また同じことを繰り返すだけだ。いやあ、丸め込める相手ではなかったか」

 馬鹿にしているのか。ミコトは目を細める。

「私は君を皇帝にしたくないんだが、私にどうにかできる問題ではなくてな。だが、君の即位を遅らせることは約束しよう。そのために、軍が力を貸しても良い」

「結果は変わりませんね。契約は気休めでしかない。利益があるのはそちらだけの様ですが」

 男はにやりとして、手元の書類を確認した。

「君が一時的ではあるが、地下街に居たことも突き止めている。ベアトリスという女主人……。彼女は君について、いろいろと知っていたようだが」

 ベアに接触したのか。彼女は軍に脅されたところで、ぺらぺらと情報を漏らす人間ではない。まさか――。

「彼女は、息災でしたか」

「その時はな」

 掴みかかりたい衝動を抑え、拳を握りしめる。吐息が震える。

 この男が大した身分でなかったら、あるいはこの場でなかったらと、ミコトは考えずにはいられない。悪辣なこの男を、どうしたら苦しめられるものか。

「このように、君が身分を隠すにあたって障りとなる人間は、我々が処分してやろう。次は、女主人が雇っていた少年――」

 歯を食いしばる。ベアまでも巻き込んでしまった。殺されてしまった。彼女が死んだことよりも、それをちらつかせ、大上段に構えるこの男への憤りに、目の前が暗くなる。

「わかりました。契約をお受けしましょう。ですが、手助けは不要です」

 男は満足そうに笑った。その目は好奇心に満ちている。

「ほう。どうしてだ?」

 ミコトは自分の目を指さした。

「あなた方に、私の障りを処分ことは不可能です。あなた方は、あなたは何も見えていない。私の目の前にあるものすら、取り除くことはできないだろう。思い知るがいい。そのような姑息な契約を結ばせたところで、私を服従させることはできないのだと」

 障りを取り除く? 障りはいったい誰だ。レイは殺させない。

「楽しみにしているよ」

 口を歪ませて嗤いながら見下す男に、ミコトは笑みを浮かべて応える。

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