50 ある少女(2)

 ベアの館は、古びてはいるが大きく、地下街の中ではかなりの邸宅に見えた。

 レイに案内されて、ぼんやりとした灯りに照らされる部屋へ通される。谷底なので、昼間でも暗いのだ。

「ベア。あんたに用があるって奴を連れて来た」

 ベアという女性は、煙草を吹かしていた。予想より若く、身なりには気を遣っている印象を受けた。長い爪は黒く染められ、赤い唇と並ぶと毒々しい。

 レイは気を遣ったのか、さっさと部屋を出て行った。ミコトはそれを見て、フードをとる。

「また奇妙な格好をしているね。地上では雨が降ってるのかい。それで、何の用だ」

「私を、ここに置いていただきたいのです」

 ベアが片眉を上げる。吸っていた煙草を、灰皿に押し付けた。爪が当たって、小さな金属音を立てる。

「それが、どういう意味かわかってるのかい? あたしが雇ってる男たちは、十人もいない。そしてこの屋敷に置いているのは、レイだけなんだよ。見るからに弱そうなあんたに、何ができるって言うんだ。役立たずな居候はいらないよ」

「はい。それは理解しているつもりです。しかしあなたがどの程度の能力を必要としているかは知りませんが、きっと私は、あなたのお眼鏡にかなうと思います」

 ベアが目を見開く。からかっているのか、という顔だ。

「信じていただけないのは無理もありませんが、ここでは証明のしようもないですから」

「ずいぶん行儀が良いんだね。詮索はしないが、歳のわりに学があるようだ。だが、そういう聞こえが良いだけの能力はいらないんだよ」

 言い終えると同時に、ペーパーナイフが飛んでくる。ミコトは刃先が眉間に刺さる寸前で、ぱしりとそれを掴む。そしてまじまじと、ペーパーナイフを観察する。あたったところで刺さりはしないだろうが、かなり痛そうだ。

「素晴らしい腕をお持ちですね」

 ベアは驚いた顔で、しばらく言葉を失った。ミコトはそれを無視してペーパーナイフを返す。至近距離で見ると、濃い化粧で誤魔化されているものの、ベアは美人だった。

「なるほどね。全く使えないわけじゃなさそうだ。試してみる価値はありと見たよ。……ところであんた、男じゃないだろ」

「ええ。この通り、辛うじて男のふりをしていますが。女であることは隠すつもりです」

 女性であるベアの目は誤魔化せない。これも想定内だ。というより、ベアが女性であるからここに来たわけで、はじめからばらすつもりだったのだ。

「ふうん。まあ、今のうちはばれないかもね。あたしは匂いでわかるが。だが、男なら安心ってわけでもないよ。この街じゃ、むしろ若い男のほうが危ないからね。特にあんたみたいな美形は、あらゆる性癖の性欲を掻き立てる」

 ミコトの顔が引きる。それを見て、ベアが笑った。

「冗談じゃないよ。……まあ、あたしは女に甘いとこがあってね。この屋敷に置いてやるよ。仕事はしてもらうが」

 ベアが愛しそうに、ミコトの頬に触れる。この人もその手の人間かと悪寒が走るが、ひとまず宿と仕事口が見つかってほっとする。

「ありがとうございます。助かります。ですがその前に、一つ質問が」

 ベアは促すように、片眉を上げる。

「さきほどの話……、そういう趣味なのか、妥協してのことなのか、どちらですか?」

 ミコトが神妙な面持ちで訊くので、ベアが吹き出した。

「そりゃあ後者だろうね。何せこの辺りじゃ、女は絶滅寸前だ。せいぜい気をつけなよ」

 ミコトは苦笑いしつつ、ベアの笑いが収まるのを見守る。さぞかし、ベアも苦労してきたのだろう。

 ひとしきり笑った後、ベアは居住まいを正して向き直る。

「あたしはベアトリスだ。ベアでいい。そういえば、あんたの名を聞いていない」

「リコです」

 ベアが再び、小さく笑った。

「それも嘘くさいが、名前なんて呼べりゃいいね。よろしく、リコ」


「――そういうわけで、細かいことはレイに訊いてくれ。歳もそんなに離れてないだろ。レイは十六だったな。リコはいくつだ」

「十二です」

 そう答えつつ、ミコトは内心、この歳であることに感謝していた。もう数年先であったら、さすがに男だと偽れなかっただろう。しかしぎりぎりではあるので、ここに長く留まるつもりはない。

「じゃあ弟みたいなもんだね。……さてと、あたしは仕事に戻る。頼んだよ、レイ」

 レイは怪訝そうな顔をしていた。ミコトがベアに気に入られたのが不思議なのかもしれない。

「よろしくおねがいします、レイさん」

「レイでいいし、タメ口でいい。まさか本当に、ベアに気に入られるとはな」

 敬語は男女無関係なので話しやすいのだが、相手の要望に合わせるべきだろう。一人称は俺とぼく、どちらが良いか。

「では、レイ。……これから何をすれば良い?」

「まずは斡旋した相手に、成功報酬を届ける。取引先が多いから、早めに覚えろ。今後依頼を伝える場合もあるからな。あと、金を運ぶときは用心しろよ。ベアのことを知っていて奪うやつはまずいないが、あまり間抜けだと狙われるようになる」

 初歩的な仕事はお遣い程度のものだ。だが、顔を広めることは重要である。ちなみにその後、ミコトは何度もこのたぐいの仕事を任されたが、はじめのうちは何度も略奪に遭い、その度に略奪犯を打ちのめしてきた。そのおかげで、名が知れ渡るのも早かった。

 高度になると、もちろんまれではあるが、誘拐や殺人という仕事もあった。といっても、同僚が総出で行うものとなるので、新人であるミコトは補助に徹する。覚えが早く腕も良いミコトは、仲間とも地下街の連中とも、すぐに馴染むことができた。

 当然ながら、レイとは特別仲良くなった。別々の仕事が与えられない限り、いつも一緒にいたくらいだ。

 人並外れた身体能力のおかげで、ミコトが女だと疑われることはおそらくなかった。可愛らしい顔と言っても、中性的な顔の男性ならいくらでもいるし、隣にレイがいたので何とも思われなかったのだ。もちろん、レイはれっきとした男である。


 そうしてミコトは、数か月というわずかな間だが、表の世界から姿を消し、特技の護身術を磨いていた。

 

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