49 ある少女(1)

 宮殿のある中央地区の端に、人工的に掘られたと思われる谷がある。そこには地下街と呼ばれる街が形成され、日陰者が集まる地として有名だった。

 表向きには便利屋と呼ばれ、殺人や誘拐など、法に触れる仕事を生業とする者が住んでいたわけだが、政府や軍と絶妙な関係を築き、存在を黙認されていた。

 荒くれ者の多い街ではあるが、ある程度の秩序は保たれており、まったくの無法地帯ではなかった。もちろん一般人が頻繁に出入りする場所ではないが、依頼人には一般人も含まれるため、無闇に余所者を襲うことはしないのだ。

 しかし長期的に滞在する、つまり移住者となると、彼らの態度は一変する。そうして淘汰され、実力のある仕事人のみが地下街に残る。そのおかげで、地下街という街自体が、裏稼業のブランドとなっていた。

 宮殿を出たミコトは、無謀にもその地に足を踏み入れることにした。


 背中に届くほどの長い髪を無造作に切り、黒いケープで頭と上半身を隠した。女であることを隠すためだ。少女より少年のほうが、危険が少ない考えてのことである。

 街は不快な臭いが充満していたが、衛生状態が悪いわけではなさそうだった。薬か煙草の臭いだろう。それもしばらくしたら慣れる。

 あてはないが、この地ほど身を隠すのに適した場所はないと考えた。リタから手渡された手記に、ミコトが女神の末裔であることが記されていたのだ。ミコトはその時はじめて、自分の価値を理解した。そしてそれが知られていたのであれば、政府や軍が探し回っている可能性は高い。まさか少女がこんなところに紛れ込んでいるとは思わないだろうと考えて、この街を選んだのだ。

 手記にはアイザック・オリヴァーが父親であることも示唆されていたが、彼を信用するつもりはなかった。もちろん、機会があれば利用するつもりではいたが。


 ふらりと現れた奇妙な格好の少年に、柄の悪そうな男たちがちらちらと目を向ける。異常なまでに性比が高いことが窺え、性別を隠したのは正解だったと悟る。

 想定内ではあったが、彼らは明らかに依頼者となり得ない、見慣れぬ子どもを警戒した。というか、放ってはおかなかった。

「おい、坊ちゃん。ここはお前みたいなチビが来る場所じゃねえぞ」

 ミコトは男を上目遣いに見る。坊ちゃんと呼ばれたことにはほっとしたが、親切そうな大人には見えない。

「見慣れない餓鬼がきだな。またベアの姐さんとこの新入りか?」

 男たちが嗤う。姐さんということは、ここにも女性がいるのか。

「レイのやつ、やっと後輩ができたのか。そいつは笑える。しかしこんなチビ、何に使えるってんだ?」

 ミコトはむっとするが、男が口にした人物名は気になる。ベアという女と、その女が雇う、比較的新入りであるレイ。

「おい、誰が新人だって?」

 背後から聞こえたのは、少年の声だった。まだ背は伸びきっていない印象を受けるが、身体を鍛えていることが一目でわかる。アッシュブロンドに灰色の瞳。眉目秀麗な顔立ち。この少年が、レイであるらしい。

「なんだ、違うのか。じゃあこいつは何だ」

 少年の登場に期待したが、かえって面倒なことになった。フードを被ったミコトの顔を、男が覗き見る。

「可愛い顔してんな。お前の弟か」

 ぎゃはは、と男たちが笑う。兄呼ばわりされたレイが、訝しげな顔をする。当然だ。

 何か言い返してやりたいところだが、下手に喋ると女だとばれる、かもしれない。しかしこのまま絡まれているのも不愉快だ。

 レイと目が合う。数歳年上と見える彼は頼れそうだ。彼が口を開こうとしたところで、男たちが騒ぎ始める。

「姐さんと関係ないってことなら、俺たちのとこに来いよ。何から何まで、教えてやるからな」

 がっしりと左肩を掴まれる。ミコトはげんなりする。しかしこれも、想定内。

 左腕を軽く挙げ、男の手が滑ったところですばやく振り払う。ここで騒ぎになるのも面倒なので、ちょっと感心した様子のレイの後ろに隠れた。

「何だよ、やっぱり弟なんじゃねえの」

「はあ? そんなわけあるかよ」

 レイは戸惑っている様子だが、ここで年下の少年を見捨てるほど薄情ではないらしく、その場から立ち去る様子はない。その温情に期待して、背後で囁きかける。

「ベアという人を紹介していただけますか」

 ここでレイは顔色を変えた。男たちを睨みつけ、ミコトを庇うように片手を広げる。

「うちに用があるらしい。手出しは無用だ」

 男たちは明らかに不満げだったが、ベアという女性の地位は高いらしく、すごすごと身を引いた。


「ありがとうございます。助かりました」

「助かったも何も……。ベアに何か用か?」

 レイはミコトをまじまじと見つめる。ミコトは何気なくフードを引っ張り、より深く被る。

「今さっき用ができました。ところでベアさんは、どのような職業の方ですか」

「やけに礼儀正しいな。……薄気味悪い。ベアは復讐屋だ。女の客には、仕事の斡旋もしている」

「斡旋? 仕事人の手配ですか」

 あるいは、売春の斡旋だ。しかし、仕事をあてがう相手を客と呼ぶのは正しいのだろうか。

「そうだ。男ばっかりだから、女の客はたいてい怖がってベアを頼る。ベアにとっちゃ、いろんな奴らに恩を売れるわけだ。そして儲かる」

 うまいやり方だ。そうして高い地位も手に入れたのか。

「で、お前は客なのか」

「見ての通り、違いますが」

「だろうな。言っておくが、ベアは甘くないぞ」

 それははなから覚悟の上だ。

「まあ、その前に気に入られるかが問題だが。……で、名前は何て言うんだ」

「……リコです」

 偽名くらいは用意している。どこかで目にした男性名を、そのまま使っただけ。

「リコか。俺はレイだ」

「はい。さっき聞きました」

 先刻の不愉快な会話を思い出したのか、レイは口を曲げた。

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