46 回顧

 物心ついたころから、ミコトは宮殿の離れで生活していた。

 離れには図書館と、住み込みで働く司書の住居があった。そこで数人の司書と共に、世話役のリタと生活していたので、図書館で育ったというのは文字通りの意味である。

 ミコトは親を亡くした、どこかの王族の娘ということになっていたらしい。当時はミコトも、それを何となく信じていた。リタや司書から様々な教育を受けながら、王女であるアイリーンと、王子であるアーサーの遊び相手として、宮殿にも召されていた。

 アイリーンは七歳、アーサーは九歳上。歳は離れていたが、利発なミコトには何の問題もなかった。特に王女のアイリは、本当の妹のようにミコトを可愛がっていた。

 なぜミコトが宮殿の離れに住んでいたのか、実際のところは不明である。しかしミコトが十歳になったころから、王室の目的が見え始める。当然、アーサーが王位を継承するはずだったわけだが、その頃からミコトはアーサーの部屋で、彼と二人きりにされるようになる。つまりミコトは、次期皇帝の后となるべく宮殿の離れで育てられたのだ。それくらいのことは、幼いミコトでも思い至った。

 ミコトが女神の末裔、真の皇帝であることを知った上で次期皇帝と引き合わせ、結果的に真の皇帝の血を取り込むことを、王室は目論んでいたのだ。


 リタは母というより、姉のような人だった。人の記憶は不確かなものなのだろうが、八年前、最後に見たリタは、おそらく二十代後半。当時ミコトは十二歳であるから、十五歳ほど年上だろうか。

 ミコトの護身術も、リタから教わったものだ。

「ミコトは筋が良いね。まるで自分の意思が、そのまま身体の動きとなっているようだ」

「……? 普通じゃないの」

「普通じゃないよ。自分の身体でも、案外思い通りには動かないものだよ。訓練をすれば、それなりにはなるかもしれないけどね。きっと、父親譲りなんだろう」

 その言葉は、今でも明確に覚えている。その言葉が、例の仮説に繋がったのだ。

 容姿や能力に恵まれながらも不遇な扱いを受け、「アルヴ」と呼ばれた人々の存在。彼らは幻の歴史における、「負の遺産」に他ならない。その存在を知ったのはずいぶん後のことだが、彼女の言葉が、それらの事実を知るための原動力となったことに変わりはない。人は誰しも、自分のことを知らずにはいられないからだ。

 彼女から教わったことは、どんな本から得た知識よりも、ミコトを生かした。彼女の死でさえも。


 様々な思惑が渦巻いてはいたが、ミコトはさほど不自由なく生活していた。

 その生活が終わりを迎えたのも八年前、クーデターが勃発した日だ。

 ミコトはリタと共に、離れにいた。皇帝が殺害されたことなど、衛兵が騒ぎを伝えに来るまで気づきもしなかった。クーデターが起こることを、宮殿では多くの人がすでに知っていたのだろう。その点では、ミコトは部外者だった。

 リタもそうであったかは、今となってはわからない。ただ、皇帝殺害の報せを受けた彼女は顔色を変え、人気のない場所で布に包んだ荷物をミコトに手渡し、ついて来ないように釘を刺してから、宮殿へと駆けて行った。

 離れでも大事をとって、避難が始まった。特に避難する必要はなかったのだから、おそらく人払いだったのだろう。ミコトはリタの身を案じ、司書の目を盗んで宮殿へと向かう。もちろん、リタに託された荷物を抱えたまま。

 宮殿では軍人が集まっていたが、通い慣れているミコトにとって、その目をい潜ることなど造作もなかった。大人に見つからぬよう身を隠しながら、リタを探した。

 広い廊下の曲がり角で、ミコトは立ち止まった。人影が見えたのだ。その一人はリタだったが、もう一人は大柄な男、ミコトも顔馴染の軍人だった。常に王室の周囲に居たのだから、近衛兵だろう。

 ふたりの会話が聞こえなかった上に、男の陰にリタが隠れてしまって状況が読めない。姿を現すのも躊躇ためらわれ、一度周囲を見渡してから視線を戻すと、隠れていたリタの姿が見えた。しかしそれは、彼女が崩れ落ちるように倒れていくところだった。

 男がリタを刺したのは明らかだった。ミコトはそれまでの躊躇もすっかり忘れ、リタに駆け寄った。男は突然現れたミコトに驚き、狼狽えたように見えた。そんな男を、ミコトが睨む。

「悪く思うな。国のためだ。君も円満に、即位したいだろう?」

 クーデターにおける犠牲者は、事前に決まっていた。リタもその一人だった。しかし当時のミコトに、それが理解できるはずがない。

 即位したい? 何を言っているのか。アイリやアーサーの安否は聞いていなかったが、いずれにせよ、王位継承権はミコトにはない。戸惑うミコトに顔を向けさせようとして、リタが手を伸ばす。

「ミコトは、自由に生きればいい。血筋になんて、囚われなくていい。アニエス様の意思に、背こうとも」

 途切れとぎれに、けれどもはっきりと、そう言った。尋ねたいことは山ほどあったが、ミコトには、それがリタの最期の言葉だとわかった。

 みるみる血の気が引いてゆくのを見た。顔に触れた手は冷たく、流れる血が、彼女の温もりを吸い取っていくようだった。

 男は、その様子を見つめていた。看取るくらいはさせてやろうと思ったのだろう。彼の目は、ミコトしか見ていなかった。

 リタが瞼を閉じ、その手がぱたりと落ちる。

 そこでミコトは気がついた。自分が何も感じていないことに。

 あらゆる場面で、どのような感情をもつべきかは知っていた。本が教えてくれたからだ。こういう場面、つまり親しい人が死ぬとき、人は涙する。悲しみに暮れる。絶望する。あるいは、怒りを覚える。憎む。悔やむ。少なくとも、何かしらの情動を生じる。

 そのはずなのに、そのどれもが理解できない。感じられない。

 リタはもういない。それは悲しいことなのに、心が動かない。

 駄目じゃないか、少しくらいは悲しまないと。リタは大切な人なのに。たったひとりの家族だったのに。リタが、世界のすべてだったのに。

 そう思いながら、ゆらりと立ち上がる。男が見ている。この男が、リタを殺した。国のため? 国なんてどうでもいい。他人のために、私の大切な人が犠牲となる筋合いはない。他人のために、私が自由を失う価値はない。

 私は、自由にならなければならない。それがリタの望みであるならば。

 そしてこの男は、それを許しはしないだろう。この男は、障害だ。

 それを確信する前に、身体が動いた。

 男の胸を刺していた。リタのナイフで。一瞬の躊躇いもなく、男が瞬きするよりもはやく。


 人を殺してもなお、ミコトは何も感じない。



 このような形でリタと別れたことには多少胸が痛んだが、このまま留まってアーサーの相手をさせられるのも、大人たちの思惑に翻弄されるのも御免だった。無人となった離れに戻り、持てるだけの荷物をまとめ、ミコトはあてもなく、街へ出る。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます