40 追及(4)

 伝令役であるミコトがいない間、裏の仕事は休業かと思いきや、案の定代理が現れたようだ。黒づくめの見慣れない男が、見慣れた徽章きしょうをつけている。

 彼は新聞を読んでいるふりをして、長椅子に座っていた。

「何だあんた、新入りか」

 ユンも雑誌を取り、少し離れて座る。

「新入りではない。一時的に伝令を任されただけだ」

「へえ。軍も穏やかじゃないな。出張に出した伝令役が戻るまで、我慢すりゃいいのに」

 周囲には誰もいない。この男はずいぶんと神経質らしく、足元に紙が滑り込んできた。ユンはそれをすばやく踏みつけ、靴で隠す。

「何を企んでいたのか知らんが、お前らが上の命令に反してつるんでいたから、こうなったんだろう。監視されていることを忘れたか」

 舌打ちしそうになるのをこらえる。こいつは従順な犬だ。ユンは瞬時に悟った。

「もともと知り合いだったんだ。つるんで何が悪い。それともあたしらは、ダチをもつことも許されないのか?」

 男は新聞を折り畳みながら、その陰でこちらを睨んでいた。

「犬なら犬らしく、命令に従っていればいい。俺たちに意思は必要ない」

 そう言い捨てて、黒いコートをはためかせながら去っていった。

「カラスが」 

 ユンはあらためて舌打ちする。そしておもむろに紙を拾い、雑誌の上で広げた。

 アルカ教をしつこく嗅ぎまわる記者の暗殺。なぜ今になって、と思うが、おそらく軍に不都合な情報を得てしまったのだろう。単なる一般人ならともかく、記者が命を狙われるへまをするような場面は、ごまんとある。軍が暗殺に踏み切るのは早い。

 容易い任務であるが、下調べは欠かさない。その日は非番だったが、早速任務を開始する。


 ロブスタの扉を開けると、サムとマスターの話し声が聞こえた。サムはすっかり常連となっている。

「あれ、ユンちゃんいいところに」

 サムはカウンター席で新聞を広げながら、コーヒーを飲んでいた。その隣の席に、ユンはどっかりと座る。

「あんたの仕事ぶりを確認しに来たんだよ」

 サムが広げていた新聞を、乱暴にひったくる。

「よくもまあ、こんな胡散臭い話を一面に載せたもんだ」

 その記事は、サムに任せていた仕事の成果である。

 フローレンスの令嬢、エマがミコトから与えられた役目は預言者。厳密に言えば、預言者の代弁者だ。その啓示の内容は、創世記を塗り替える。

 啓示の内容はこうだ。この世界ができる前、人々は神や悪魔の存在する世界で暮らしていた。しかし悪魔に唆された人々は、神に背き、罪を犯し始める。悪魔を排除し、同時に満足させるため、神は悪魔を支持する人々を囮として、悪魔と共にこの世界に隔離した。

 人々が奉っていた女神も、悪魔が自分を信仰させるために人々を騙し、救世主に仕立て上げられたただの人間に過ぎない。むしろ、王となって人々を支配、あるいは監視した彼女は、いわば番人である。彼女を信仰し続ける限り、その信仰は悪魔に向くこととなり、人々は罪を犯し続ける。

 突如として現れた怪物は、罪を犯し続ける人々に対する罰であり、人々が女神を否定することで、怪物は消える。そのままでは悪魔が残るわけだが、人々が悪魔に反旗を翻すならば、悪魔も姿を消すに違いないと、慈悲深い神は私たちに告げる。細かい話は想像で補完させるとして、簡単にまとめれば、この世界は神か悪魔の箱庭に過ぎないということだ。

 これはミコトが作ったシナリオなのだろうが、彼女はこの話に整合性を持たせる気がないらしい。しかし神話、あるいは経典とは、そういうものである。これまでの神話と比べても、ユンから見ればさほど変わらない。神や悪魔の存在は大前提。彼らの所業に理屈を求めるのはナンセンスというもの。

 問題は、この話の信憑性が、古から存在する神話のそれより、上回らなければならないということ。そのために彼女は、確認可能な証拠まで用意したのだ。

 一つは手記。数百年前の皇帝によって記されたものだ。おそらくは王宮にでも保管されていたのだろうが、製本された手記から切り取られた一頁と確認がとれている。その内容は、自身は女神の末裔などではなく番人に過ぎないという、ちょっとした愚痴なのだが、それが啓示の内容と一致した。

 もう一つは、怪物の出現が終息することだ。ミコトは国を出る前、怪物の出現を止めてみせるのだと息巻いていた。本気で言っているのかとユンは訝しんだものだが、それも彼女の計画のうちなのだろう。

 ミコトは計画の実行役をことごとく周辺の人間に委託しているものの、その決定打は自分に賭けたのだ。

「その啓示の内容と、手記の一頁が一致したこと、あとはその手記がアルカ教から出てきたことが大きかったんじゃないか。さらにこの記事が出る前から、アルカ教徒が次々と改宗を始めたことも信憑性を増したんだろう。まさかこれ、嘘じゃないのか?」

「馬鹿か。何を真に受けてる。アルカ教にも、あたしらの手が及んでたってだけだろ。しかしこんな内容で、さっさと改宗しちまう教徒も薄情なもんだ」

 ユンは乱暴に、読み終えた新聞をサムに押し付ける。

「それも、八年前のことがあったからだろうな。今度はアルカ教が、わけのわからない奴らに襲われる羽目になりそうだし。それにかなり前から、民衆の意識は宗教から離れ始めていたんだろう」

「サム君、記者らしくなったねえ」

 マスターがにやにやしている。いつもならへらへらするところだが、サムは真面目な顔をしていた。

「今回の件で不利益を被る人間は、どれくらいいるだろう。また八年前みたいなことが、繰り返されるんだろうか」

 サムはそれに加担しているわけだが、今になって怖くなったらしい。

「何を今さら。だが、喜ぶ人間だって多いだろう。八年前に煮え湯を飲まされた奴らにとっちゃ、気の晴れる話題じゃないか? まあこれでアルカ教とやらは崩壊するかもしれないが、純粋にそれが原因で、困るやつがいるのか?」

 ユンは吐き捨てるように言う。ありもしない話が、でっちあげた話に置き換わるだけだ。ミコトの作った虚構フィクションの真偽を真剣に議論する人間がどれほどいるかは知らないが、そちらを疑うのであれば、もはや常識的な概念となっているイーリス神話の方も疑わずにはいられない。鞍替えまでは至らなくとも、アルカ教から信者をはがすには充分だろう。

 ユンに言わせれば、すべてが馬鹿馬鹿しい妄想だ。神話を否定するために別の神話を作るというミコトの計画は、皮肉としか思えない。自分たちの信じていたものが幻想でしかなかったと気づかせるための虚構。

 いったいどんな酔狂かとはじめは彼女を疑ったものだが、ユンもどこかでそれを望んでいたから、計画に協力したのだ。

 サムは皮肉っぽい笑みを浮かべている。押し付けられてくしゃくしゃになった新聞を見つめながら、未練がましくしわを伸ばしている。

「たしかにね。だが、君は喜んでいる人間じゃないのかい。ジューン・ヒース」

 久しぶりに聞く名前に、ユンは傾けていたカップを落としそうになった。

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