35 追う者(4)

「どうして八年前のことを?」

「友人が、被害に遭ったんです。命に別状はなかったんですが……。暴徒によるものかも有耶無耶(うやむや)で、ずっと気になってはいたんです。時間ができて、そのころに多発した犯罪について調べてみようと思いまして……。すみません、大した動機でもなくて……」

 ふたりは庭先のベンチに腰掛け、庭を眺めながら話していた。女性が用意した紅茶を啜りながら、サムは架空の友人に思いを馳せる。

「お友達、お元気ですか」

「ええ、怪我で済んだので……。それであの、こちらのお屋敷にはいつから?」

 女性はちょっと空を見上げるようにして、小さく唸った。

「八年くらい前ですね。ちょうど、ゴタゴタしていたころ。この家に訪ねてきたということは、マグノリア、さんの話を訊きたいのでしょう? それよりちょっと前です」

「そうなんですね。ところで、お名前を伺ってもよろしいですか。遅くなりましたが、ぼくはサミュエル・パーシーと言います。名刺などはありませんが……」

 偽名を使う必要はないと判断した。不慣れな自己紹介に、女性は小さく笑う。

「私はエマです。ただのエマ。私のほうが年上のようだから、サム君って呼んでもいいかしら」

 突然のくだけた口調に、サムはちょっとときめく。

「もちろん、構いません。八年前には、フローレンス家の事件もありましたよね。あちらは暴徒による犯行と判断されたようですが、マグノリアさんの事件との関係は疑われなかったのでしょうか」

 サムは真面目に話しているのだが、エマはなぜか、笑いをこらえている。フローレンス家の話題を出すのは、もちろん彼女を揺さぶるためだ。何が可笑しいのか、心当たりは大いにあるが、調子が狂う。

「何か変なこと、言いました?」

「だって、私にそれを訊くんですか? あなた、気づいてるんでしょう? 私がフローレンスの娘であることを」

 エマはいよいよ、声を上げて笑い始める。サムは凍りつくが、敵意を向けられている感じはしない。

「それはつまり、エマさんはあの事件の生存者であると……?」

「ええ。身寄りのない私を、オリヴァー家が迎えてくれたのよ。マグノリアとは、以前から友人でね。彼女も亡くなってしまったけれど、今でも良くしてもらっているわ」

 つまりエマは、家族を亡くして日を空けず、友人まで亡くしているのだ。身を寄せるほどであるのだから、ただの友人ではなかったろうに。サムはしばし、言葉を失った。

「そんなにしんみりしないで。それで、マグノリアの話をすれば良いのかしら?」

 サムは迷っていた。おそらくあの女の言う通りに、フローレンス家の令嬢を取材することができた。しかしこの先は、どうすべきなのか。本来の目的は達成したものの、彼の仕事がどこへ続いて行くのか、見当もつかない。

 このまま学生を装い、マグノリアの話を聞いてお茶を濁すか。それとも、フローレンス家の事件に踏み込むべきか。あの女は、エマというこの女性について、どこまで知っていたのだろう。オリヴァー家にいることまで知っていたのか。まさかマグノリアも、軍に殺されたのか?

 しかし軍が関係している可能性が高いのは、フローレンス家の事件だろう。それに、あの女はサムを使って、エマの居所を探させたと考えるべきだ。元から知っていたのなら、回りくどすぎる。

 黙り込んでいるサムを、エマが心配そうに覗き込む。そして彼は、覚悟を決めた。

「すみません。フローレンス家の事件について、お話していただけませんか」


 帰りに通りかかったので、例の喫茶店、ロブスタに寄ってみることにした。カードに描かれた簡易的な地図を頼りに店を探すが、それらしき看板が見当たらない。

 あの女が指定した店だ。わかりやすい場所にはないかもしれない。そう思って路地裏を探すと、案外簡単に見つかった。

 店の入り口は路地裏にあるのに、店じたいは表通りに面しているという、奇妙な造りだった。店内は薄暗く、窓はシェードカーテンでしっかりと塞がれている。

「いらっしゃい。あれ、見ない顔だね」

 強面のマスターが、まじまじとこちらを見る。会員制の店なのか?

「よく見つけたね、この店。知る人ぞ知る名店なんだけど。もしかして、誰かの紹介とか?」

 このマスター、とても堅気には見えないが、人は好(よ)さそうだ。

「ええと、はい。カードをもらって」

「ああ、そうなの。ごめんね、引き止めちゃって。好きな席どうぞ」

 サムの鞄を見た時に、マスターがにやりと笑った気がした。

 他に客はいなかったので、適当に席に着き、メニューを開く。どうやらこの店は、喫茶店に見せかけた飲食店らしく、飲み物と同じくらい、料理が豊富だった。値段は良心的、ただしコーヒーにはこだわっているせいか、割高だ。コーヒーを頼まなければならないような気がしてくる。

 悩んでいると、マスターがお冷を運んできた。

「おすすめのコーヒーあるよ」

「じゃあ、それでお願いします」


 最近は何を食べても大して味がしなかったのだが、この店のコーヒーは美味しく感じた。あの女がごく普通のコーヒーを捨てていたのも頷ける。

 美味しいですね、なんてマスターを煽てていたら、店の扉が勢いよく開いた。扉に備え付けられたベルが、からんからんと驚いたように鳴る。

「優雅にコーヒー飲んでんだな。仕事帰りを装ってんのか?」

 あの女だ。黒いロングパーカーのフードを被り、耳元でピアスが光る。短い髪は、先だけが赤い。驚いて凝視してしまったが、まともに姿を見るのは初めてかもしれない。

「やっぱり合ってたか。人違いじゃなくてよかったよ。そのメッセンジャーバッグは、明らかに怪しいよねぇ」

 マスターが呼んだらしい。サムが知らない間に電話をしていたのだろうか。

 テーブル席の向かいにどっかりと座り、頬杖をつく。正面で見ると、意外と化粧気はなく、本当に美人だった。

「まともに会っていいのか?」

「この店ではな。絶対に盗聴されないし、外から見られることもない。あからさまに出入りさえしなきゃだが」

 この店を指定した時点で、そういう心配はないというわけだ。そもそも、マスターと顔見知りである可能性は非常に高い。なぜ気づかなかったのだろう。

「安心してもらえる店じゃないといけないからね。プライバシーは厳守するよ」

「俺が来たこと、教えてるじゃないですか」

 マスターが呵々と笑う。

「だって兄ちゃん、ユンちゃんに会いたかったんじゃないの?」

 ユンというのが、この女の名前なのか。それよりも、マスターはプライバシーという概念を本当に理解しているのだろうか。ちらりと彼女を見たら、ぎろりと睨み返された。

「で、フローレンスの令嬢には会えたのか? 何の成果もなしに、のこのこコーヒー飲みに来たんじゃないだろうな」

 ユンは噛みつくように言う。後ろでマスターが、俺はかまわないけどね、なんて独り言を言っていた。

「会ったよ。エマ・フローレンスだろ? オリヴァー家で使用人をしていた。事件の直後から住み込みで働いているらしい」

 ユンが目を丸くする。猫目が見開くと、まさに猫のように見える。

「オリヴァー家だと?」

 ユンの驚愕ぶりに、サムは動揺してしまう。なぜかマスターは、笑いをこらえきれずに吹き出していた。

「あ、ああ。あのオリヴァー家だ。西地区に行って、オリヴァー家を訪ねたところでばったり会って……」

「なにそれ、面白いね。ユンちゃん知らなかったの? また一本取られたねえ」

 マスターの言葉の意味はわからないが、ユンはエマの居所を知らなかったらしい。ユンは頬杖をついていた手で、頭を抱えている。

「ああ、まったくだ。……なるほどな、すべて御膳立てされてたわけだ」

「どういう意味だ。エマさんを探し出して、どうすればよかったんだ」

 ユンが舌打ちする。悔しそうな顔だが、サムを見ているわけではない。

「連絡がとれるようにはしてあるんだろうな」

「あ、ああ。屋敷の電話は使わせてもらえるらしいし、手紙でも良いと言われた」

 ユンが鼻を鳴らし、気を取り直したようにふんぞり返る。

「どうやら、あんたは試験に合格したらしい。ひとまず経緯(いきさつ)を聞こうか」

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