32 追う者(1)

 おかしいな、そう思って、サムは掛け時計を見る。午後十時過ぎだ。朝早くから出かけたきり、ホーキンズが帰ってこない。

 ホーキンズは、サムの上司であり、師匠のようなものだ。フリーランスの記者をしていて、話題になりそうな出来事ならば、何でも取材する。そして然るべきところに記事や情報を売る。もっとも最近は、情報屋としての仕事が多い。

 サムはホーキンズの親戚で、幼いころから理由もなく、ホーキンズに憧れていたのだ。大学を出て、ホーキンズの指導のもと、見習い記者をしている。といっても、大学を卒業したのはついこの間だ。

 最近のホーキンズは、様子がおかしかった。奇妙なほどに取材に打ち込んでいたのだが、その内容を話そうとしない。危ない案件に手を出しているのではないかと、心配してはいたのだが、彼を止めようとは思わなかった。

 ホーキンズに指導を放棄されてしまったので、見様見真似ながらも、自分なりに取材をしていたところだった。その成果を見せたいので、遅くとも九時には事務所に戻るよう頼んだのだが、取材が長引いているのだろうか。

 いつの間にかうとうとしていて、次に時計を見た時には零時を回っていた。ホーキンズは時間に厳しい人なので、いよいよ心配になってくる。上着を羽織り、あてもなく探しに出た。


 彼がどこで何を取材しているのかわからないが、思い当たることはあった。彼がこそこそと取材しそうな案件と言えば、アルカ教関連しか思い浮かばない。

 事務所は雑居ビルの三階にある。入り口が路地裏にあり、建物自体が隠れるような場所にあるため、日当たりは非常に悪い。今は夜なので、いずれにせよ暗いのだが。

 階段を下りて屋外に出ると、暗闇に人影が見えた。座り込んでいるらしい。酔っ払いかと思ったが、そのずんぐりした体型には見覚えがあった。

「ホーキンズさん?」

 声をかけるが、返事はない。何かがおかしい。咄嗟に袖で鼻を覆うが手遅れで、気分が悪くなる。

 さっきまで灯りのついた部屋にいたせいで、目が慣れていない。瞬きしながら目を凝らす。この違和感は何だ?

 彼に触れると、ぬるりとした感触があった。それでようやく理解した。死んでいる。

 悲鳴をあげそうになるが、必死にこらえる。恐怖は好奇心に勝てず、おそるおそる、カメラで撮影する。

 ストロボが光り、辺りの様子が一瞬、浮き上がる。吐きそうな光景だが、ひたすらシャッターを切る。

 頭部を撃たれていた。角度から考えて、雑居ビルの屋上か、上階からだろう。銃声には気づかなかったが、そんなものはどうにだってなる。

 いや、これはまずいのではないか。狙撃手が同じ建物にいたとしたら……。

 サムは急いで事務所に戻る。手遅れかもしれない。気が動転していなければ、自殺行為だとわかったのだが。

 扉を勢いよく開ける。灯りは消えていた。自分が消したのだ。そういえば、鍵をかけたはずだが……。

 額に冷たく、硬いものがあたる。

「動くな、サミュエル・パーシー君」

 女の声だ。暗闇で何も見えないが、額に銃口が突き付けられていることくらいはわかる。相手には見えているだろうから、とりあえず両手を挙げる。

「ホーキンズ氏は、知ってはならんことを知ってしまったようだ。さて、あんたは何か知っているのかな?」

「し、知らない……」

「ではなぜ戻ってきた? こういうときは、ぎゃあぎゃあ喚いて通報すべきなんだ。そんなに大事なものが、ここにあるのか」

 女の言うとおりだ。だが、ここにはホーキンズの遺したものが詰まっている。誰かに漁られてはまずい。そう思って、無謀にも戻ってきてしまったのだ。何ができるわけでもないのに。

「ホーキンズさんの、命だ」

 女が吹き出す。

「命か。まあわかるよ。あんたは冷静じゃなかった。残念だが、ホーキンズの命は私がどっちも奪わなきゃならない。それが仕事だからな」

 サムは泣きそうになる。なぜ戻ってきてしまったんだろう。

「だが、あんたは別だ。本来ならここで殺すが、あんたも死にたくはないだろ?」

 銃口が離れる。サムはわけがわからないまま、立ち尽くす。目は暗闇に慣れてきたのだが、慣れたからと言って、見える暗さではない。

「あんたには、はたらいてもらう」

 女はホーキンズの愛用していた灰皿で、その辺にあった紙を燃やした。その姿が炎に照らされる。顔は目元以外を布で覆っていて確認できないが、目元から想像するに、まあまあの美人と見た。ちょろりと出た髪の先だけが、染められているようだ。

「は、はたらくって、……」

「ホーキンズは始末した。この事務所ももうすぐ燃える。その火はこの建物全体に広がって、死体も焼くだろう。物のひとつやふたつなくなったって、誰も気づきやしない。そして私は、あんたには会っていない」

 サムは数秒、目をぱちくりさせていたが、彼女の意図を察してすぐに動いた。最も重要なものは、この部屋にはない。事務所を飛び出し、ホーキンズの鞄をひったくる。

 必死に走って数分と経たないうちに、背後で爆発音が響いた。振り返るまでもない。

 少し離れた集合住宅の一室が、サムの家だった。玄関を開けてトイレに駆け込み、こらえていたものすべてを嘔吐した。自分の手が汚れていることに、その時初めて気がついた。


「なんだお前、無職か?」

 馴れ馴れしい女に話しかけられたのは、その一週間後だ。あれからいろいろとあったわけだが、ホーキンズの形見は上手く隠してきた。そしてあの夜、事務所にはいなかったことにした。

「な……あ!」

 その声には聞き覚えがある。あの女だ。ちらりとしか見ていないが、背後に立っていたのは、予想通りの美人だった。しかし、思ったよりも若いようだ。革のジャケットにデニムという、どこかの不良のような恰好だったが、今回は銃を手にしてはいない。

「公園のベンチで新聞なんて、職探しでもしてんのか?」

 美人だが、口が悪い。

「か、確認してるんだよ」

 女は紙コップを手にしている。備え付けられたゴミ箱の横に立ち、さも飲み終えて捨てるために来たというふりをしている。

「こっち見んな、口は新聞で隠すんだよ。で、仕事は見つかったのか?」

 女は紙コップで口を隠している。声が反響していた。

「見つかった。あれをどうしろって言うんだ」

「どうもするな。大事に温めとけ。で、あんたは理解したのか?」

 ここでできなかったなんて言ったら、殺されそうだ。

「おそらく……。まさか俺に、あれを掘り下げろと?」

「その通りだ。ばれないようにしろよ。ばれると、ああなる」

 そんな無茶な。まだまともな記者ですらないというのに。

「憲兵がもみ消そうとした情報を、なぜ掘り下げさせる? あんたも憲兵なんだろ?」

「察しがいいな。学歴は伊達じゃないようだ。だが、そんなもん訊いてどうする。余計なことを知るとどうなるか――」

「それは余計なことじゃないだろ。まさか、また八年前みたいなことを……」

 女が舌打ちする。これ以上余計なことを言うと何をされるかわからないので、サムは黙る。

「あたしがあんたに、情報を提供してやったんだ。その借りを返せよ、情報屋見習い。優しいあたしが助けてやるから、その話を国の皆様が納得するだけの内容に仕立て上げろ。それだけだ。目的なんぞ、勝手に見えてくるだろうが」

 女はカップをひっくり返す。コーヒーらしき液体が、地面にまき散らされる。

「まっずいコーヒーだ」

 紙コップをゴミ箱に投げつけ、去っていく。

 どうやら、とんでもないことに巻き込まれてしまったらしい。本気でまともな職を探そうとしていたところだったのだが、あんな女に目をつけられてしまったら、到底無理だ。間違いない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます