Reminiscence Ⅱ

 ルークの住む家は、森の近くにあった。私はその森に、きのこや木の実を採りにしばしば出かけることがあったのだが、道が整備されているわりに、人を見かけることは皆無だった。

 そのことを、ルークに尋ねたことがある。

「あの森には、精霊が住んでるらしい。無許可に木を伐り倒したり、獣を殺したりすると、その森から戻ってこれなくなるんだと。子どもの脅しに使ってる作り話かと思ってたが、精霊は本当にいるらしいな。魔力の無い人間は姿が見えないんで、怖がって近寄らない」

 そんな森に出入りしていたのかと、身震いする。

「教えてくれればいいのに」

「お前は木なんか伐らないし、獣も殺せないだろ。魔力がないってことは、精霊に侵食されないってことなんだから、むしろ何が怖いんだ? だいたい」

 ルークは手に持ったままのペンで、ぴしりと私を指した。

「お前は森で食料探すことくらいしかできないだろ。釣りもできない、畑もろくに管理できない、食費を浮かすにはそれしかできないだろうが。料理はまだましになったが」

 そう言われると、返す言葉がない。

「別にそんな噂、気にしなくていいんだよ。森をけがさなきゃ、何の問題もない。現に、今までに何かあったか? ないだろ」

 少しくらい心配してくれてもいいのに、と言いたかったが、役立たずの居候の分際で、そんな発言は許されない。ルークは歯牙にもかけないだろうが。

 そういうわけで、それからも森に出入りしていた。確かになにも怖いことはなかったし、森は心安らぐ場所だった。


 ある時、その森で珍しく、少年の姿を見かけた。まだ十歳に満たないような、小さな子どもだ。まさか迷い込んだのだろうかと遠くから眺めていたが、道に迷っている様子はなかった。

 次に見かけた時、少年がこちらに気づいた。女の子のような顔をしていて、私を見ると、にっこり笑って近づいてきた。

「こんにちは。この辺りに住んでいるの?」

「いや、この森に住んでるんだよ。君はルークの家に住んでるのかな」

 予想外に、大人びた口調だった。それでもやはり子どもの声で、大人の真似をしているようにも聞こえたが、少々不気味で顔が引きつる。

「ええ、よく知ってるのね。この辺りに、お家があるの?」

 少年はおどけるように笑った。

「この森が家なんだ。良いところでしょ、生き物が多くて、人間は少ない」

 いよいよ変だ、と私は遅くも気づき始める。私の顔は青ざめたらしく、彼はぴくりと眉を動かした。

「怖がることはないよ。君は何も悪いことしてないし、鳥たちにも気に入られてるみたいだし。またおいでよ。ぼくも話し相手が欲しかったところだ」

 彼はひらひらと手を振って、後退あとずさる私を見送った。


 ルークにそのことを話すと、眉をひそめられてしまった。

「明らかに精霊じゃないか、そいつ。お前に見えたってことは、人間に憑依してるんだぞ。どっかの賢者の子どもだ」

「操られてるってこと? じゃあ、助けなきゃ」

「馬鹿か、無理だよ。憑依ってのは、いわば契約だ。どんなガキだろうと、契約を了承しなきゃ精霊は憑依できない。本人が切らない限り、他人がどうこうできるもんじゃないんだよ。別に身体的に害はないだろうから、放っておけばいい」

 私はその手の知識に滅法めっぽう弱い。おまけに世間知らずだ。

「どうすればいいのかしら、私」

「知るかよ。可哀想だと思うなら、話し相手になってやりゃあいい。身体の主だって、見聞きはしてるんじゃないか? 詳しくは知らん」

 ルークはあくまでも冷たく、言い方は投げやりだ。ろくに目も合わさず、作業する手を止めることはない。


 精霊の存在は曖昧なもので、良くも悪くも干渉できるのは、魔力のある人間、つまり賢者だけだ。力は強大だが、彼らに善悪の概念はない。彼らを利用する人間によって、善にも悪にもなり得る。

 精霊は万物の精神に干渉することで、それ自身を操ることができるとされている。一方、賢者の魔力は思考を具現化するものなのだが、自分の精神を物理現象に変換するものと解釈される。つまり、精霊と賢者が同じ現象を起こしたとしても、過程が異なるのだ。

 例えば、水を凍らせるとする。精霊は水の精神に干渉し、自発的に凍らせる。賢者は水が凍るという現象の詳細、つまり原理をイメージし、その通りに分子を操って凍らせる。精神、というのは概念的なもので、魔力のない人間には理解しがたい。

 精霊はその精神に反しない限り、万物を操れると言える。しかし、賢者はある現象を起こす際に、その原理をイメージする必要があるため、知識や想像力の面で、起こす現象とその対象に制限が存在する。もちろんそれは、個人の力量にも大きく左右される。

 ルークは賢者として優秀だからこそ、錬金術師としてやっていけるのだ。知識も、素質もある。

 精霊にも、操れないものは存在する。それが、魔力の無い人間だ。

 相手が賢者であれば、精霊はその精神に干渉し、姿を見せることができる。そして、相手が同意すれば、相手自身を操ること、つまり憑依も可能なのだ。この場合、賢者は精霊の力を、精霊は賢者の力を使えるようになる。両者にとって利点はあるのだが、賢者は精霊に精神を徐々に侵食されて、自己を失ってしまう恐れがある。

 魔力の無い人間は、精霊による精神への干渉が無いかわりに、その姿を見ることすらできない。認識できるのは、精霊が賢者に憑依している時だけなのだ。したがって、人間にとって精霊の存在は、賢者ありきと言える。

 死という概念の無い精霊にとって、あらゆる行動は暇つぶし、あるいは娯楽でしかない。彼らの目的を探ろうとするのは、まずもって無駄である。


 教養としては理解しているが、この世界のことわりは実にぼんやりとしていて、魔力の無い私に、実感することなど不可能だった。それが偶然にも精霊と対面する機会を得て、精神云々の存在を認識することができ、世界が広がったような気がした。

 要は、単なる好奇心だったのだ。私は怖いもの見たさに森へ通い、少年の話し相手となった。ルークはそれを知っていたに違いないが、精霊の話には触れようともしなかった。

 私は本当に浅慮だった。なぜ少年がルークのことを知っていたのか、一度も考えることはなかったのだから。

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