29 絶対者

 メルムが出現しなくなったことで、テオの立場は脅かされていた。城内で警戒する必要はまずないし、仮に何かあっても自分で対処するとミコトに言われて、彼女が客室に籠っている間は、単独行動を許された。だからといって、何をするでもない。

 何となく辿り着いた回廊に、ジャスミンの姿が見えた。服装を見るに、仕事に戻ってはいるようだが、ぼんやりと外の景色を眺めている様子だ。テオに気づくと、薄く笑った。

「やあ、君か」

 すでに違和感はあったが、やはりメフィストだった。

「何してるの」

「見ての通りだ。周りが仕事を与えないようにしているおかげで、彼女が暇そうだったのでね。今まで昼間は眠っていたから、少し感傷に浸っていたんだ」

 テオも横につき、景色を眺める。メフィストはちらりと、テオを横目に見た。

「君はぼくが、憎いんじゃないのかい?」

 もちろん彼のしたことは許せないが、憎むというのは少し違った。自分でもよくわからない。

「たぶんね」

「たぶん、か。君も複雑なんだね。外縁部の人々にぼくのことが知れたら、忽ち血祭りにあげられそうなものだけど。まあそんなことをしても、何にもならないわけだが」

 メフィストは嫌味っぽく、鼻で嗤う。

「メフィストが神様だって言えば、誰も何も言わないよ」

「神か。確かにぼくは、この世界の神だね。君たちが信じている、女神様とはずいぶんちがうけれど。なるほど……、神なら、どんな殺戮も許されてしまうんだね」

 メフィストは、後ろで組んでいた両手を広げ、空を仰ぐような恰好をした。

「人間よ、悔い改めよ、ってね。彼らは平伏ひれふすだろうか。家族や友人を殺した神に、まだ祈りを捧げるだろうか。あるいは無傷で済んだ人々が、神に選ばれたのだと優越感に浸るだろうか。馬鹿馬鹿しい。そんな人間不信で傲慢な神は、引きずりおろしてしまえばいいんだよ」

 芝居に付き合う気はない。テオはメフィストに目を合わせることなく、頬杖をつく。それを見て、メフィストがまた嗤った。

「君は故郷で死んだことになっているらしいね。家族もいるんだろう? すべてを捨てて帝国に行き、ミコトと出会って絆されてしまったかい? あの砂の城で、すべてを忘れて生きられるのかい? 君はこの世界のすべてを恨んでも、許されるはずだ」

 彼は知っているのだ。そして楽しんでいる。面白がっている。それがわずかに、腹立たしい。

「誰が許すのか知らないけど、ぼくが選んだことだ。何のせいにするつもりもない。終わったことだし」

 テオの静かな啖呵に、メフィストの笑みが消える。

「感心だね。そうなると、君はぼくを殺したいとも思わないのか」

「消えてくれればありがたいけど。そもそも、どうやって殺すんだ」

「さあね。ぼくにもわからない。この世界はぼくが必要らしくてね。生憎、外出も限られている。ぼくが消えたら、この世界も消えるかもしれない」

 彼はおどけるように言ったが、表情は暗い。退屈で仕方ない、そんな顔に見えた。

「神様なんて、なるもんじゃないね」

「その通りだ。でもぼくは、この世界から逃げる気はない。優しいだろう?」

 メフィストは、にやりと笑った。

「何言ってんの」

 テオはにべもなくつぶやく。


 客室に戻ってからも、テオはメフィストとの会話を反芻していた。彼が消えたら、この世界も消えるかもしれない。エルピスもそうだとしたら、ふたりの存在は、この世界の人々によって無意識に望まれ、この世界に縛られている。

「……どうしてエルピスは、メフィストを刺そうとしたんだろう」

 返答を求めるでもなく、ぽつりと呟く。

「私が知っていると思っているのなら、その期待には応えられないな」

 ミコトは他人事である。

「そうは思ってないから、予想でいいよ。何でもいいから、納得したいだけなんだ」

「ほう、テオもわかるようになってきたね。自分がしたことの意味を推論するのも、滑稽な話だけど」

 ミコトは可笑しそうに言って、右手を口元に当てる。考え事をする仕草だ。

「刺したところでメフィストは殺せないし、彼女は殺生を嫌うらしい。殺意はなかっただろうね。しかし明らかに、敵意を向けていたことはわかる。敵意や嫌悪を示したいのであれば、言葉でも可能なはず。それをしなかった。いや、できなかったとしたら?」

 エルピスは、メフィストのしたことを非難していた。その意味はよくわからなかったが、彼を責めていることはわかった。だがそれをする前に、彼女は刃を向けた。

「……口にできないことがあったから、とか」

「なるほど。言葉を選んで罵倒するのは、なかなか難しい。そうなると、単に激昂した結果とも言えるね。つまり大した意味はないんじゃない? 呆気なく阻止されたんじゃ格好がつかないから、さらにもう一度、刺そうとした」

「……真面目に言ってる?」

 テオはあしらわれている気分だ。

「ふざけてはないよ。でも君が撃ったのは、彼女を止めるためだけではなかったでしょ? 他にもやり様はあったはずだ。君は違和感に気づいて、彼女がやろうとしたことを、より安全に試した。私にはそう見えた。であれば、君は最初からわかっているんじゃない?」

「そうでもないよ。でも、結果的にああなったということは、メフィストを引っ込めさせたかったのかな。ジャスミンと話をしたかったのなら、後でもその機会はあったはず……」

 やはりどこか、辻褄が合わない。エルピスが感情的な人物というなら、それまでだが。

「彼女はきっと、メフィストみたく自由に現れることができないんだよ。あの時はなぜだか現れることができたから、ジャスミンと話す機会を逃したくなかったのかな。……その内容がわかれば、彼と対抗する手段が得られるかもしれないね」

 メフィストを野放しにする気はないのだろう。あまりにも馴染みすぎていて忘れそうになるが、災厄を起こしていた張本人だ。その動機が絶対者の気まぐれとも言えるくだらないものであっても、彼のしたことは看過できるものではない。

 ミコトは得体の知れないメフィストさえも、抑え込む気でいるのか。テオはうそ寒さを覚える。

「まあそれは、その必要が生じてから考えよう。私は正義の味方じゃないからね」

「正義の味方か。……ぼくらはいったい、何と戦えばいいんだろう」

「さあね。正義と悪、味方と敵に二分できるほど、現実は単純じゃないってことだ。災厄が終わった今、私たちがすべきは、再発防止に努めることだね」

 たった一人の、あるいは二人の絶対者の気まぐれに、この世界の運命は揺れ動く。そんな不確かな現実を、どう受け入れればよいのだろう。










***

 これにて二章は終了です。何が何やら、という方も特に問題ありません。

 ここからは怒涛の伏線回収が始まります。ファンタジー要素は世界観だけにして、登場人物たちが救われる様を描いてゆきたい所存です。

 ちなみにリコリスというのは、ヒガンバナ属の総称です。不味いキャンディーのことではありません。悪しからず。

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