25 既視感(5)

 わけがわからない。テオはひとり、立ち尽くしている。

 メフィスト、と呼びかけられたジャスミンの表情が、ふっと消える。鮮やかな翠眼には影が差し、ミコトを射抜くように見つめている。

「なんだ、気づいていたのか」

 もともと男口調に近いジャスミンだが、この言葉には、人を小馬鹿にしたような響きがあった。声はジャスミンなのだろうが、発声の仕方はまるで別人だ。

「はじめまして、というのはそぐわないのかな。確信を持ったのは今さっきだよ。鎌をかけたんだ」

 ミコトはごく普通に会話している。

「そうか、君とははじめまして、だね。ぼくはメフィスト、と呼ばれている。全知の悪魔だとか、森の精霊だとか、呼び名はいろいろある。君は知っているわけだから、テオ君にわかるように説明しないとね。この身体を撃ち殺しかねない」

「それはないと思うけど。テオ、大丈夫?」

 テオは理解が追い付かず、くらくらしそうだ。大丈夫ではないが、とりあえず頷く。

「ではまず、外の世界について話そうか。この世界の基となった世界なんだが、そこには、ぼくみたいな精霊が存在する。精霊というのは、精神を操れる存在だと考えてくれればいい。精神は万物に存在する、分かりやすく言うと魂みたいなものだ。それを操ることで、それ自体を物理的に変化させることができる。まあ、魔法みたいなものだね。……ここまではいいかい?」

 良くはないが、ここで理解するのを諦めるわけにはいかない。突然始まった精霊の解説は、教授のマシンガントークよりわかりやすく、信じがたいものだった。

 メフィストは、笑いをこらえるように顔を歪める。

「そして、精霊のほかに、魔力をもつ人間もいる。ちなみに、彼らは賢者と自称するね。魔力というのは、精神を具現化する能力だと考えてほしい。ここで言う精神とは、思考によって生まれるイメージのことだ。つまり、超能力と同じだね。より詳細にイメージすることで、魔法みたいなこともできるよ。君たちが空想するほど、便利で万能なものではないけど」

 いよいよ理解できなくなり始めて、ミコトを見上げる。ミコトもこちらを見ていて目が合ったが、テオの困り顔を見て可笑しそうにしているだけだ。

 そもそも、理解できないものが多すぎる。もしかしたらこれは、夢かもしれない。鳥女も登場して、一度訪れた場所。それに、知っている人しかいないじゃないか。辻褄が合いそうな話をしているが、それは睡眠中の脳に、ろくな思考力がないから騙されているだけだ。

「もちろん、魔力をもたない人間も存在する。ここでは便宜上、人間と呼ぼう。ぼくたち精霊は、賢者の精神に干渉して姿を見せることができるし、相手の同意があれば、身体を憑代にすることもできる。ただ人間には、それができないんだ。つまり人間は、精霊を見ることができない。だから賢者の身体を借りることになる。ぼくは今、ジャスミンの身体を借りているわけだ。理解できたかな?」

 理解などできるわけもないのだが、拒絶していても仕方がない。テオは一連の話を反芻し、曖昧に頷く。これは夢だと思ったら、冷静になり始めた。

 質問してもどうしようもないことばかりだが、訊いておきたいことはある。

「……全知の悪魔っていうのは? あと、メルムはメフィストの仕業なの?」

 彼は、嫌味っぽい笑みを返す。

「君は理解が早くて助かるよ。ぼくが全知の悪魔と呼ばれるのは、物質の力学的状態と力を知っていて、それを解析できる能力があるから、未来でさえもある程度、予想できるからなんだ。ただし、精神の作用が加わると、予想は不可能になる。つまり、生き物の動きは予測できない」

「それだけじゃないよ。蛇足だけど、物質の力学的状態と力、つまり位置と物質量は不確定性をもつものもある。だから結局のところ、全知ではない」

 ミコトが補足するが、テオに理解できる話ではない。ひとまずわかったのは、ジャスミンの姿で話しているのが、、全知の悪魔ということだ。

「まあ、そういうことだ。ぼくは世界に存在するあらゆるの状態を知り得る力はあるけれど、それまでなんだ。困ったことに、全知でも、全能でもなくてね。……それでは、メルムの話に移ろうか」

 メフィストが、ちらりと鳥女を見る。女はすでに、意識が朦朧もうろうとしているように見えた。

「メルムは、彼女が作り、ぼくがこの世界に送り込んだものだ。実は彼女も、精霊なんだよ。彼女は混沌の精霊と呼ばれている。混沌……融合こそが融和をもたらすと信じてやまない、純粋な精霊だよ。キメラを作り、人々が愛した神話や伝説の生き物を再現した。そして、人々が望む終焉を演出させようとしたんだ」

「人々が望む終焉を演出? そんなはずない、あんなの殺戮だ」

 テオは声を荒げたが、メフィストは意に介さない。それどころか、ほらそうきた、と言わんばかりの表情が、癪に障る。

「そうかな。君の仲間だって、メルムを望んでいたんじゃないか? 殺戮者はどっちだか。もっとも、君はメルムを嫌悪していたし、殺戮を望まないから、彼女に殺されずに済んだわけだけど。……それに、メルムが出現して、国家間の戦争は無くなったんだろう? 人類がもつべきは、共通の敵ということだ」

 テオは噛みつかんばかりにメフィストを睨んでいたが、その姿はジャスミンに他ならないので、内心は複雑だった。

「いや、そんな綺麗事を述べるつもりはないんだ。だけど確かに、人々は災厄を求めたんだよ。混沌を望み、悲劇から人々を救う英雄を、あるいは女神の降臨を望んだんだ。だからぼくは、この身体と魔力を借りて、エリスと協力し、まずは外縁部から、樹木を媒体としてメルムの召喚を行った。ジャスミンが忙しいから、限られた時間帯になってしまったわけだけど」

 ミコトの推理は、かなり的を得ていたわけだ。いや、彼女は最初から、この犯人を知っていたのではないか。

「樹木がどうして媒体になるの? というかその話だと、ジャスミンも賢者だということ?」

 ミコトはテオの戸惑いなどお構いなしに、メフィストと会話を続ける。

「樹木の精神は、ぼくの好みなんだ。だから森の精霊とも呼ばれる。君たちにはわからないだろうけど、それだけのことだよ。……ジャスミンが賢者、と言うのはあまり好ましくないんだけど、もとは同じ世界にいた人間だから、この世界にも、わずかながら魔力を持っている者がいるんだ。ぼくがこの世界を創ったすぐ後に彼女の祖先と契約し、代々身体を借りている。今までは特に、何もしなかったんだけどね」

「それがどうして、千年も経った今、人々の悲願を叶えてくれる気になったわけ?」

 ミコトは嫌味っぽく言う。

 メフィストはさらりと、自分が創造主であることを述べているが、彼は人々が慕うような神ではないらしい。

「さあね、どうしてだろう。はっきり言えるのは、人々の願いを叶えたかったのはそこのエリスであって、ぼくではない。そうだな……君が、すべての終わりを望んだからじゃないのかな。どうやらぼくは、君の願いを叶えるために、存在しているらしい」

 ミコトはわずかに、口角を上げる。そして鼻で嗤うように、ふっと息を吐いた。

「そうか、私が望んでいたんだね。では今、私は如何に愚かなことを望んだか、思い知ったはずだ。私はそれがもたらす結果を望んでも、殺戮を望むはずがない――」

 ミコトはまるで、「私」という他人の話をするように言う。いや待て。ミコトは、妙なことを言っていた。「既視感」とはいったい、どういうことなのか。

 ゆっくりと目を閉じたかと思うと、ミコトの微笑が消えた。次に目を開けた時には、その眼に憎しみをたたえていた。いつの間にかその手には、ナイフが握られている。

 しかしテオにはわかった。あれは、ミコトではない。

 ナイフの握り方がなっていない。その手は震えているし、躊躇が感じられる。テオも一度しか目にかかっていないが、あのミコトなら、相手が気づく前に納刀まで終えているはずだ。

 彼女はジャスミンめがけてナイフを振りかぶるが、その腕はいとも容易く掴まれてしまった。

 メフィストは余裕綽々よゆうしゃくしゃくの表情で、彼女に笑いかける。愛おしいものを見るように。

「やっと出てきてくれたね、エルピス」

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