24 既視感(4)

 翌日、ミコトはジャスミンを呼んで、もう一度ジャスミンの生家へ行きたいと言った。どうやらこれ以上、視察をする気はないらしい。もちろん、ジャスミンは何も言わずに同行した。

 ミコトが何か企んでいるのだろうと簡単に予想はついたが、目的地に着く前に、問題が発生した。


 目的の森の手前にある村は、朝から大騒ぎだった。何でも、奇妙な人影が目撃されたのだと言う。あれは噂のメルムに違いないと、村の住民は早々に避難を始めていた。そのおかげで、被害はないようだ。

 兵が派遣されるのも時間の問題なので、ひとまず三人は森に向かった。

 ミコトは見るからに丸腰の様相だが、ジャスミンはというと、ほとんどお飾りになっていた軍刀に手をかけていた。テオも警戒して、隠し持った銃に手をかけている。この国では一度も使わずに済むかと思っていたのに、残念だ。

 ベゼルでメルムが出現したにも関わらず、ミコトはまったく動じていない。きょろきょろと周りを見渡してはいるが、警戒しているというよりも、興味津々といった様子だ。

「メルムって、突然出たり消えたりするんだよね。さっき森にいたからって、森にいるとは限らないんじゃない?」

「時々違うのもいるけど、一度消えたらしばらく出ないと思う。むやみに出たり消えたりはしないはずだし……」

 頼りない見解だが、テオの経験に頼るほかない。何せミコトとジャスミンは、メルムと対峙したことがないのだ。

「いちおう身を隠した方がよさそうだな。ミコトは伏せていて」

 ジャスミンは耳を澄まして、あたりを見渡す。ミコトは村に残すつもりだったのだが、テオたちと一緒のほうがむしろ安全だと言って聞かなかったのだ。ミコトはおとなしく地面に伏せている。

「近づいている。聞こえるか? テオ」

 テオは身震いした。この音には、聞き覚えがある。あの羽ばたきだ。

 ジャスミンが睨む方向で、わずかに木々が揺れている。近づいているはずだが、遠すぎて姿が確認できない。

 テオの青ざめた様子にすべてを察したらしく、ミコトの表情もいつになく真剣になる。

 ばさり。羽ばたきの音は、こんなにも重たいものだろうか。

 テオはとっさに銃を構えたが、いつかと同様に、突風に煽られて転がる。それを、ミコトが受け止めた。身体が小さいというのは、こういう時に困る。

 枝や葉が擦れ合う音を切り裂くように、けたたましい悲鳴があがる。

 ジャスミンは、と恐る恐る顔を上げると、刀を振りぬいた彼女の姿より先に、巨大な翼が目についた。片方、転がっているのだ。悲鳴をあげているのは、メルムのほうだった。

 ミコトはおお、なんて感嘆を漏らすが、テオは言葉がでなかった。当然ジャスミンは無傷で、片方の翼を失った鳥女に刀を向けている。

「テオ、君はこれも知っているんだろう。このまま消えることはあるのか」

 ジャスミンは冷静に問う。そんなことを訊かれても、と言いたかったが、この様子では無理そうだ。メルムは致命的な傷を負った場合、絶命してから消えるはずだった。これも、経験則である。

「ひとまず、取り押さえたほうがいい」

 ミコトも立ち上がり、痛みに悶える鳥女を見下ろしている。悲痛な呻きを漏らすばかりだったが、虚ろな目の焦点が合うと、不気味にも女は笑った。

「あんまりじゃ、ないのぉ。やっと、会えたっていうのにぃ」

 翼を切り落とされた左肩から、とめどなく血が滴る。地面に広がり、薄く生えた草地を、赤く染めていく。

「何か話してるね」

 ミコトはしゃがみこみ、女を覗き込む。テオは驚いて引き離す。

「危ないって、ミコト」

 この人には、恐怖という感情がないのか。

「大丈夫でしょ。もう飛べないし。片脚斬りおとせば完璧だけど、所詮、鳥の脚だから」

 そう言いつつも、一歩下がったところで腰を下ろす。

「はじめまして。それはハルピュイアの真似ですか? それはともかく、誰に会えたと?」

 鳥女は三人の顔を一瞥して、下卑た笑みを浮かべる。息は荒い。

「そこの、黒髪の子、知ってるんだからねぇ。あんたが、今の、憑代よりしろなんでしょぉ」

 ジャスミンはいかにも不愉快そうに顔を歪める。こいつは何を言っている?

 ミコトはちらりとジャスミンを見て、再び鳥女に視線を戻した。

「興味深い話ですね。このまま死んでもらうのは困るから、止血しようか。消えないでくださいね」

 ミコトはあろうことか、ジャスミンが持ってきたロープで鳥女の止血を始める。テオとジャスミンは目を剥いたが、死なれて困るのは同じだった。そのまま、樹に女を縛り付ける。

「そこの、ぼく、前、会ったよねぇ。奇遇だねぇ」

 鳥女はこの状況でも、にやにやと笑っている。テオはたまらず目を逸らす。やけにのんびりとした、老婆のような口調が不気味さを増している。若いころは美人だったと思われる顔は、奇妙な老け方といびつな表情で、すっかり化け物じみている。

「鳥頭ではないらしいな。お前はいったい何だ。憑代とは何のことだ」

「知ってる、くせにぃ。出て、来なよぉ」

 ジャスミンの表情が、さらに険しくなる。怒っているようだ。テオはわけがわからないまま、ジャスミンを見上げていた。すると突然、鳥女が再び悲鳴をあげた。振り向くと、脚に枝が突き刺さっている。そしてその枝は、ミコトが握っているものだった。

「余計なこと喋るくらいなら、質問に答えて。あなたは他のメルムとは違うでしょう。あなたが元凶だったら、ありがたいんだけど」

「元凶……? あたしは、願いを、叶えて、いただけで……。あの子、たちを、作って……」

 ミコトの表情は変わらない。失血と激痛が相まって、息も絶え絶えな相手に、一切の容赦もない。微笑を浮かべたまま、枝を持つ手に力を加えていく。

「メルムを作ったのはあなたですね。遺伝子を掛け合わせたんですか? なんて、訊いても無駄でしょうけど。願い、というのも後にします。ひとまず、どこから来たんですか」

 女は悶絶して身じろぎしていたが、それでもにやにやと笑い続ける。

「そんなの、外の、世界に、……決まってる」

「そう、それはよかった」

 脚に刺さった枝は、脚を貫いて地面に達していた。うまく固定されて、さらに身動きがとれなくなっている。ミコトは枝から手を放し、立ち上がった。

「言質はとれたね。さてジャスミン、この人はあなたを知っているらしいけど、身に覚えはないよね」

「当然」

 ジャスミンはきっぱりと言い切ったが、その眼には戸惑いが浮かんでいる。

「どういうことなの、こいつがメルムを作ったって……。それに、外の世界って」

 ただの人間から聞けば冗談としか思えないが、信じざるを得ないこの状況に、テオも狼狽えている。

「それは今からわかるよ。……さてジャスミン、どうしてあなたは、テオが鳥女のことを知っていると、知っていたのかな。テオは私以外の誰にも、この女と遭遇した話はしていないはずなんだ。それと、この島が新しい、ということも」

 ジャスミンは目を見開いた。目は泳いで、彼女らしくもなく、怯えるような表情をしている。そして、小さく呟く。

「テオから聞いたのでなければ、なぜ私は、この女を知っている……?」

 ジャスミンが白を切っている様子はない。

 おそらくジャスミンは、鳥女をどこかで見たのだ。想像か、夢か、現実以外のどこかで。見るからにメルムの類であるこの女をなぜだか知っていて、それをテオから聞いたのだという、辻褄の合う記憶が捏造された。そんなところか。

「声が、聞こえるんだってね。それはお母様だけかな? 典型的な多重人格、解離性同一性障害の症状ですね、なんて言いたいところだけど。ふざけるのはやめておこう。……それで知るはずもないことを、知っていたりするのかな」

 ミコトの落ち着いた様子に、ジャスミンも落ち着きを取り戻し始めたのか、怪訝そうな顔でミコトを見返す。

「声? それは違う。だが、見聞きしたという明確な記憶がなくとも、知っていることがあるんだ。見聞きしたことを忘れただけだと思っていたが、既視感というものかもしれない」

 ジャスミンはほとほと困り果てた様子だったが、ミコトの瞳は輝いていた。微笑のまま、彼女の興奮を表すかのように、ちらりと白い歯が覗く。

「へえ……奇遇だね。私も同じなんだ」

 えっ、という、驚嘆の声が漏れる。テオのものだった。

 ミコトはゆっくりとジャスミンに近づき、彼女の胸元に、人差し指を突く。

「出てこないのは意地悪なんじゃないの、メフィスト」

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