22 既視感(2)

 視察は森林浴となってしまったが、新たな考えは得られたようだ。ジャスミンと別れて客室に戻り、ミコトは地図を眺めていた。

「何かわかりそうなの?」

「それもわからない。でも、何かが気になるんだよね。ああ、そうだ。テオには言っておくけど、幻の歴史に、ベゼルの記述はないよ」

 テオははあ、という気の抜けた返事しかできなかった。ミコトは構わず続ける。

「幻の歴史を記す書物には、ご丁寧にも世界地図が載っていたんだ。精度は高くないけれど。……あ、これは絶対秘密で。それをもとに、帝国は描き得ない世界地図を作成できたわけ。その地図に、ベゼルらしき島はなかった。認識されている土地というのは誇張されて描かれるものだから、制度が低いこととは無関係に、ベゼルに関する記述はない。知られていなかった可能性は否定できないけれど」

「じゃあ結局、ベゼルが千年以上前に存在したかはわからないんでしょ?」

「そう、なんだけど。ベゼルの由来、教えたよね。あの話から考えると、ベゼルは大陸側から見た人間が名付けたはずなんだ。おそらく、ベゼルが無人島だったころに。例の書物……、と言っても複数あるんだけど、そこには半島全域に関する詳細な記述があって、ベゼルの話が出てもおかしくない気はしてたんだよね。だけど、ベゼルという島に関する記述は一切ない。もしかしたら本当に、当時は存在してなかったのかな」

 そうなると、ベゼルも人間と同様に、この世界に出現したのだろうか。あるいは、記述されていない短期間に、ベゼルという島が形成されただけなのか。

「ベゼルは何か、特別なのかもね。……それと、やっぱりミコトはその書物を見たことがあるんでしょ?」

「そうなるね。本来お目にかかれないはずなんだけど」

 ミコトはなぜだか、他人事のように言う。


 今後の方針が立てるために、一度考えを整理しようということになった。視察は休みにして、その日は城内を散策していた。ジャスミンは他の仕事に当たっていて、その日は別行動となった。

 こぢんまりとした中庭で風に当たっていると、オットーが通りかかった。

「お、今日は休みか?」

「こんにちは。煮詰まりきらないまま、材料ばかりが増えてしまったもので」

 ミコトは自嘲するような口調で言う。

「材料は集まってるのか。なら悪くはないな。で、今は煮詰めてるところか?」

 オットーも、調査については知っているらしい。

「どうでしょう。乾煎りしているだけな気もします。今日はお休みですか?」

「休みってわけじゃないが、油を売る時間はある」

 オットーは呵々と笑う。

「ちょっとお聞きしたいことがあって。ジャスミンのご両親のことなんですが」

 意外だったのだろう。オットーは目を丸くした。そういえば、オットーはジャスミンの父親の後任と言っていた。知り合いでないはずがない。

「グスタフとイルファのことか? グスタフは俺の上司だったんだが、友人でもあってな。化け物みたいなやつだったよ。ジャスミンもそうだが。そんなこと聞いてどうするんだ?」

 警戒している様子はなく、あくまでも不思議そうに尋ねる。

「ジャスミンに興味があるので。イルファさんともお知り合いですか?」

「まあな。あの人も美人だったぞ。この国では珍しい容姿だったし、仕事も見慣れないものだったが。ふらりと現れて、いつの間にかグスタフとくっついてたんだ。怪我をしたあいつに出くわしたのが馴初めらしい」

「素敵ですね。ふらりと現れるって、何か目的でもあったんでしょうか」

 ミコトは感嘆している様子もなく、しれっと言った。

「さあなあ。この島は薬草が多いとか、生命力があふれてるとか言うのを聞いたことはあるが、放浪してる感じだったぞ。案外そういう土地を求めてたのかもしれんが」

 女性一人で放浪とは、度胸がある。大陸から渡るにしても、当時から海賊が跋扈ばっこしていたはずだ。

「最初のうちは港町の宿に泊まっていたんだが、薬師としていろんな村を廻っている途中で、あの小屋を譲り受けたらしい。グスタフは普段から城に通っていたから、同居はしてないはずだ。真面目な顔して、足繁く通っていたぞ」

 オットーはにやにやしている。友人としても、喜ばしいことだったのかもしれない。別居状態とはいえ、仲は良かったようだ。そして、ジャスミンが生まれることになる。

「親父から、ジャスミンは英才教育を受けてたんだよ。女でも自分の身を守れるようにってのがあいつの言い分だが、あれは度が過ぎてる。ジャスミンに才能があったこともあるだろうが。そのうち、当時は王女だが、陛下がジャスミンのことを気に入っちまって。遊び相手というか、話し相手というか、とにかく昔から仲良くやってたんだ。それで今に至る」

「それはまた。陛下にも頼りにされるわけですね」

「そうそう。ジャスミンは頭も良いが、妙に勘の優れたところがあってな。天気なんかを言い当てたり、波を読んだりするのはまさに正確そのもので、陛下は喜んでたよ。弓なんかも上手いしな。あれはグスタフも驚いてたが、母親譲りなんだと」

 まさに両親の良いとこ取りである。森で育つと勘が優れるようになるのだろうか。だが、森で波は読まない。

「イルファさんも、天気を味方につける方なんですね。沿岸部の生まれなのかな」

「いや、海には慣れていないと言ってたぞ。内陸部の生まれだそうだ。何か、声のようなものが聞こえるんだと。超能力者ってやつかね。ジャスミンに訊くと、はっきり答えないんだが」

「声、ですか」

 超能力者とは、また胡散臭い話になってきた。

「ああ、ジャスミンには内緒で頼む。ぺらぺら喋ったと知れたら、どやされちまうからな。あいつも、怒ると怖いんだ。怪我しないぎりぎりで痛めつけるのが上手い。テオも気をつけろよ」

「なんでぼくなの」

 オットーは何かを思い出したように、手を振って去っていった。ミコトは礼を言って会釈したが、心ここにあらず、という表情に見えた。


「メルムが初めて現れたのが何年前か、明確にはわかっていないんだよね。初期の事案は規模が小さかったし、家畜だけが襲われるものも多かったから、ただの獣に襲われたのか判断がつかないから」

 しばらく黙り込んだ後で、ミコトが突然話し始めた。

「でも、外縁部で獣らしきものによる被害が、明らかに増え始めていた。それが二、三十年前くらい。だんだん人間に対する攻撃性が増して、村が壊滅する事案も発生している。そして、徐々に被害が中心部へ広がりつつある」

 独り言のように、遠い目で続ける。相変わらず、口元に微笑を浮かべたまま。テオも彼女の言葉を反芻し、ふと気づいた。

「ジャスミンって、ミコトのいくつ上くらいだろ」

「五歳前後じゃないかな」

「イルファさんがベゼルに来たのは、ジャスミンが生まれる数年前……」

「それくらいが妥当だろうね」

 単なる偶然としか思えないが、ミコトは重要なことだと考えているらしい。根拠は何もないように思える。実際、ないのかもしれない。

「何か、わかったんだ」

「まだ、わからない。でも、わかるかもしれない」

 いったい何が分かったというのだ。テオは混乱気味だったが、ミコトが歩き出したので、後を追う。

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