21 既視感(1)

 決定的な発見がないまま、視察は散歩と化していた。

「やっぱり、無理があるんじゃない? メルムの出現に、人間が関係してるなんて思えないし」

 テオが諭すように言うと、ミコトはついと目を逸らした。ジャスミンは黙って、背後でふたりの会話を聞いている。

「人間のとは考えにくいよね。でもこの世界に、魔法が存在していたらどうだろう。魔法使いや悪魔の仕業だとして、彼らがこんなことをする意味は何だろう。存在を明かすこともなく、不可解な事象だけを人間に見せて。しかもその事象を起こすには、制約があるらしい。人間が無関係とは考え難いでしょ」

 議論があらぬ方向に向かっている気がする。仮に魔法が存在するとして、ミコトはどう立ち向かうのだ。

「魔法があるのなら、その存在を誰も信じていないのは、おかしいんじゃないかな。記録に残るだろうし、それがないのなら存在するとは言えないよ」

「実在しても存在しない、か。……記録なんて当てにならないよ。歴史というのは、人々が解釈しやすいように歪められた過去でしかない。世界五分前仮説って知ってる?」

 テオは首を傾げる。哲学とは無縁だった。

「世界が今見ている形で、五分前に突然始まったと考える。そして人々は、実在しない過去を記憶としてもっているとする。世界が五分前にできたことを誰が否定できる? そんな話。過去は現在の状態、つまり今の記憶や記録から紡がれる、妄想でしかないのかもしれない。数百年前のことなら、事実なんて変え放題だと思わない?」

「それじゃ、何も信じられなくなるけど」

「まあ結局のところ、過去の記録の真偽については、現在の状況と齟齬があるかどうかで判断するに限るってことだね。この話はおいといて、魔法の話に戻そう。この世界には奇妙な境界線が存在するけど、あれは魔法めいたものを感じない? どうして外縁部の人たちが、すんなり受け入れちゃってるのか理解できないけれど」

 ここでジャスミンが口を開いた。

「そういうものだと刷り込まれているからじゃないのか? 原理が説明できないものなど、いくらでもあるだろう」

「それはそうだけど。ところで、メルムの出現が夜に多いこと、ジャスミンはどう思う? 夜のほうが魔法使いっぽいよね」

 ミコトは相変わらずの表情で言うが、これは冗談らしい。

「さあ……。単純に夜のほうが、人間が寝ていて襲いやすくはあるんじゃないか。森の近くの村なら、灯りは猛獣に居場所を知らせるようなものだし、日が沈めば眠る人が多いだろう」

「なるほど。でもそれでメルムに襲われるんじゃ、たまらないね。外縁部なら農村も多いし、メルムが夜に現れると知っていても、昼の作業のために夜は眠らなきゃならないわけだ」

 ミコトは妙に感心したような様子だ。テオにはさほど、目新しい意見に聞こえなかったが。


 三人は森を歩いていたのだが、ミコトがふいに立ち止まり、木に触れる。

「なんだか、この国って若い樹が多いよね。というか、古い樹が見当たらない」

 彼女が触れている樹も充分立派に見えたが、古い樹とは、樹齢が数百年単位であるもののことなのだろう。

「この島は比較的新しいと聞いたことがある。詳しくは知らないが、そのせいじゃないか? 私たちの文化的感覚からして、古樹を簡単に伐り倒すことはないだろうし、人の手によるものではないはずだ」

「新しいって言っても……。まあ、そういうものか」

 ミコトは何やら考え込んでいる様子だった。テオはよくそんなことに気づくものだと感心するばかりだ。

「それは何か関係するのか?」

「単に気になっただけ。何でもかんでも、メルムに関連付けるつもりはないよ。無関係だと結論づける気もないけど」

 ジャスミンはちょっと残念そうな顔をしつつも、まあそうだろうな、とつぶやいた。彼女としては、ベゼルにはメルムが出現しないという確信が欲しいのだろう。

 ミコトは横目にジャスミンの様子を窺い、意味ありげにゆっくりと瞬きをした。

「いや、関連付けて考えてみるのも一興だね。ジャスミンはどう思う?」

 ジャスミンはまたしても水を向けられて、ちょっと困った顔をした。少し目を伏せ、腕を組む。

「ベゼルにはメルムが出現しない、という前提で考えればいいんだろう? この島が新しいことが関係するのなら、出現する要因が、この島が形成される前にあると考えられるんじゃないか。メルムの出現場所に、古樹が共通してあったのなら話は別だ」

「古樹の存在を確認するのは、なかなか難しいね。……この島が発見されたのはさほど昔ではないようだけど、形成されたほうは、千年よりかは前でしょ。千年以上前なら、文献は当てにできなさそう」

 千年以上前の人間活動を示す遺構は、この世界に存在しないからだ。文献に記述があったとしても、それは神話や伝説と同様の扱い。つまり、作り話である可能性を否定できない。

「幻の歴史とやらに頼るわけにはいかないのか。詳細な内容については公にされていないし、そのあたりの話も信じ難いが。答えられないなら聞き流してくれればいいんだが、幻の歴史の舞台は、この世界と同じなのか?」

「地形や地名が、この世界に実在する場所と一致しているから、おそらくそうだろうね。後から創作したものという可能性もあるし、逆に似た場所だから、それからとったというのも考えられるけれど。どちらにせよ、幻の歴史にある記述から推測される地理と、この世界の地理はよく似ている。だから奇妙なんだよね」

 ミコトが幻の歴史について詳しいことも奇妙だが、今さら驚くことではない。

「そこに、ベゼルの記述はあるだろうか」

 何かに気づいたように、ミコトがはたと立ち止まる。それはどこか、芝居がかった動作だった。テオは神妙な顔つきのジャスミンとミコトを見比べていたが、ふたりの間には、温度差のようなものが感じられる。

 いかにも真摯に考察するジャスミンに対し、ミコトには、まともに取り合っていないような、軽薄さを感じるのだ。平然としているだけかもしれないが、すでに辿った思案をなぞっているような、超然とした余裕が見られる。まさかこの会話も、彼女の想定内なのか。

 ミコトがくるりと振り返り、ジャスミンと対面する。

「この世界の初期には、現在の帝国がある場所で、すべての人間が生活していたはずなんだよね。国はひとつ、王は一人。現在各地に散らばって存在する国家、あるいは集落が、形成される前の話だ。

 ところが幻の歴史では、もともと人間が各地で生活していた様子――もっとも、人類の起源はどこか一部の地域だとされているけれど。しかも、世界に境界線なんてものはない。世界は球面で、世界の果ては存在しない。要は、帝国が教科書に載せてる世界地図だ。記述の中心となる場所は帝国のあたりと一致するけれど、すでに別世界だと思っていいよね」

 ミコトはさらりと言ったが、本来は公にされない機密情報である。世界が球面であるというのは一般的なイメージとして刷り込まれているが、ジャスミンやテオにとっては、果てがないということのほうが想像し難い。

「いろいろ考えさせてからで悪いけど、それは踏まえておいてほしい。……それで、ベゼルの記述があるかって話だけど、私もその文献に直接触れたわけではないから、何とも言えない。誰かが解釈した内容を、伝え聞いただけなんだ。」

「幻の歴史にベゼルが登場してたとしても、この世界の話とは無関係かもしれないってことだね」

 テオの言葉に、ミコトは頷く。それを見て、ジャスミンはため息をついた。

「それではこの議論も、意味がなさそうだな。アルカ教とやらが、世界中で支持される理由はわかったが」

「でも、ベゼルの記述についてはちょっと気になるね。その手の話はいろいろ面倒で、簡単には調べられないけど。それも、アルカ教のおかげで帝国はややこしいことになってるわけで」

 ミコトは苦笑するように笑っていたが、その眼は険しかった。

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