19 友人(1)

 ユンは暗い廊下を歩いていた。滅多に通ることがないので、ミコトと初めて会ったのはここだったかなと、ふと思い出す。

 その時になぜ、この廊下を通ったのかは忘れたが、彼女の後ろ姿が気になって、見つめていたのだ。事務員にしても、ずいぶんと華があって場違いだった。

 ミルクティーのような、絶妙な色の髪がふわふわと揺れていて、シンプルなブラウスとフレアスカートといういかにも女性らしい恰好に、実用性を重視した半長靴が不釣り合いだった。

 ぼんやり見つめていたのだが、振り返った彼女の胸元には、見覚えのある徽章がついていて、ぎょっとしたものだ。ユンも同じものを持っていた。

 そこで話しかける必要が生じて、声をかけようとしたところで彼女もユンに気づいた。女であるユンもはっとするほど、ミコトは美少女だった。まだあどけなさの残る顔に、落ち着いた微笑が浮かんでいた。

「初めまして、ジューンさんですね。ちょうど良いところでお会いできました。私はミコトと言います。用件はご覧の通りなので、どこか人気のないところへ移動しましょう」

 美少女に迫られて狼狽えていたのだが、平静を装って任務の内容を聞いていた。それに気づいていたのか、ミコトは淡々と伝達事項を述べ、それが終わるとじっとユンを見つめていた。

「……何?」

「いえ、若い女性もいらっしゃるのかと安心したんです。男性ばかりなのは、少々心細いですから」

 当時はユンも軍人となって日が浅いころで、ミコトとはさほど歳が離れていないように感じた。妹と言って良いくらいの歳の差だろう。ユンに妹はいないが。

「ああ。その徽章をつけていたんで、こっちも驚いた。もっと年くった奴が伝令係してると思ってたし」

「皆さん驚かれますよ。高官の娘か何かかと疑われます。そんなことはないので安心してください。双方に連絡を伝えるだけで、必要な報告はしますが、余計な監視なんてしませんし。私の徽章に気づいて任務を受けるなり、報告するなりしていただければいいわけで、顔を覚えていただく必要もありません」

「あんたの顔を覚えないってのは難しいな。それより、その堅苦しい話し方、やめない? なんか気味悪いから」

 ミコトはちょっと目を見張って、驚いたような顔をした。しかし微笑はそのままだ。

「それでは、今後はそのように。ジューンさん、これからよろしく」

 ころりと変わった口調に、自分が頼んだくせにユンは吹き出してしまった。

「ユンでいいよ」


 ユンの仕事は狙撃手だ。狙撃の能力を見込まれ、いきなり憲兵の特殊部隊に配属された。憲兵になれたのは嬉しいことだったのだが、特殊部隊というのは想定外だった。訓練も並ではないし、周りはいかにも精鋭、という雰囲気を帯びたバケモノのばかり。彼らは嫌な人間ではないのだが、嫌味っぽい新人扱いに閉口した。

 経験がないので仕方がない、そう自分に言い聞かせて、鬱陶しい先輩風と厳しい訓練に耐えたが、あまりにも実践が少ない。国が平和で喜ぶべきことなのだが、特殊部隊が出動し、かつ狙撃手が活躍する案件が起こらない限り、ユンは経験の積みようがない。

 そんなとき、例の徽章を授けられた。お偉方に見込まれたのは嬉しいが、なんだか裏の仕事人みたいで心外だった。自分にはその方が合っているとも思ってはいたが。

 徽章をつけるのは伝令係、実行係は身の証明に使うだけで、普段は隠している。ミコトに会って、それが初めて役立ったわけだ。

 それから何度もミコト伝手に任務を受け、確実に遂行した。内容はいわゆる暗殺。標的の詳細は聞かされないが、多くを知ってしまった民間人、といったところだろう。気の毒だとは思うが、世の中そんなものだ。死にたくなければ、長いものに巻かれるべきなのだ。


 ある時突然、ミコトから食事の誘いを受けた。余計な接触は避けるべきではないのか、とユンは不思議に思ったが、指定された喫茶店らしき店に赴いた。

 とても堅気には見えないマスターに迎えられ、奥の席に案内されると、ミコトが座っていた。ちょっとした個室になっていて、内緒話にはちょうど良さげな席だった。

「突然で申し訳ない。コーヒーは飲める?」

「飲めるけど……。仕事以外での接触は、避けるべきじゃないの?」

「この店なら大丈夫。ところで私たち、もともと知り合いだったことにしない?」

 ミコトは手を挙げてマスターに注文しつつ、さらりと言う。

「はあ? 何言ってんの」

「私、他の人にはあからさまに話しかけたり、傍から見て会話しているとわかるような接触の仕方、していないんだ。ご丁寧にお話するのはユンだけ。友達だからね」

「それはどうも。で、何か意味あんの、それ」

 マスターがコーヒーを運んできて、ミコトにちょっと笑いかける。彼女は常連らしい。

「大ありだよ。ユンにとっても悪い話じゃない」

 ミコトはカップを両手で包み、香りを楽しんでいる。

「何? ミコトが言うと、ろくな話に聞こえない。軍に逆らおうっての?」

「まさか。私たち無職になっちゃうじゃない。もっと簡単で、害の少ない話だよ」

 ユンが眉を顰めるのを見て、ミコトは可笑しそうに目を細めた。

「女神様を殺そうと思って」


「相変わらず洒落た頭だな。目立って助かるが」

 男が馴れ馴れしく話しかけた。彼はブラックマンと名乗る、所属のよくわからない上官で、例の徽章を持っている顔見知りだ。

 ユンの地毛は何の変哲もない暗い髪色だが、短くそろえた髪の毛先を染めて、遊んでいる。今は赤色だ。ユンはそれが不良っぽくて気に入っているので、馬鹿にされたようでむっとする。

「うるさい。あんたが呼び出したから来てやったのに。人目に触れる接触は避けるんじゃなかったのかよ」

「今更こそこそ会ったって仕方ないだろ。堂々と会話してたほうが、怪しくないしな」

 彼がでかい声で笑うので、ユンは舌打ちする。

「マスターに伝言するくらいなら、店で会えばよかったんだ。で、用件は何だ」

「なあに、ヒメがいなくなって、しょぼくれてるんじゃないかと思ってな。……なんてのは冗談で、お前が引きずりこんだ記者、えらく優秀らしいから教えてほしいんだが」

 ブラックマンはミコトのことを「ヒメ」と呼ぶ。彼女の雰囲気がそうさせているのであって、特に意味はないらしい。

「声がでかいんだよ、おっさん。誰が教えるか。私はあんたに、何の義理もないんだからな」

「そう噛みつくなよ。俺は誰にも疑われず、クリフに接触できるんだぞ? ヒメに連絡するなら、俺が把握しておいたほうがいいだろ」

 もっともな話で、反論のしようがない。この男にはあまり関わりたくないのだが、彼が動いた方がミコトの為にはなる。ユンはわざとらしくため息をついてから、ぴしりとブラックマンを指さした。

「教えてやってもいいが、あの店でだ。奢れよ。どうせ金を使うあてもなくて、持て余してるんだろ? それから今後は、あの店でしか会わないからな。あんたに呼び出されるのは気にくわない」

「俺も忙しいんだがな……。そいつはマスターの差し金か? まあいいだろう、今日の夜に店で会おう」

 忙しいくせに今夜の予定はごっそりないのかよ、と言いたかったが、ブラックマンはさっさと背を向けて、姿を消してしまった。

 

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