16 好奇(2)

「ずいぶん前から空き家だから、あまり期待しないでほしい」

 森に入ってすぐに、細い道の先に丸太小屋が見えた。たしかに人の住んでいる様子はないが、かえってそれが、森の雰囲気に合っていた。

「ご両親は?」

「父も母も、子どものころに亡くなっている。ほとんど母と二人で住んでいたんだが、母が亡くなってから間もなく、王都に移ったんだ」

 気まずくなってもよさそうなところだが、ミコトは相変わらずの様子で、ふうん、と軽い返事をした。

 小屋の扉を開けると、こぢんまりとした、母娘ふたりの生活が思い浮かびそうな空間が広がっていた。

「奥の部屋は母の仕事部屋だったんで、扱いには注意してほしい。母は薬師だったから、毒なんかも明記なく置いてある」

「薬師? 薬剤師ではなく?」

 ミコトはすかさず尋ねる。

「私も詳しくはないが、医者も兼ねていたように思う。もっとも、母が患者を診ているところを、あまり見たことがなかったんだ。訪ねてきた人とちょっと話をして、薬を渡す。そんな様子だった」

 医者を兼ねていたのなら医者ではないか、とテオは思ったが、家の中でちらほらと見られる怪しげな小瓶に、何となく理解できた気がしたので黙っていた。奥の部屋の扉を開けると、本がぎっしり詰まった本棚と、中身の見えない戸棚が、小さな部屋の壁を埋め尽くしていた。

「これは本草学かな。廃れた、なんて言ったら失礼だけど、帝国ではメジャーじゃないんだよね。大陸にあるどこかの地域では、今でも主流だと聞いたことはある」

「ベゼルでも動物や鉱物を利用した薬物学は、あまり知られていないらしい。母は異端だったとも言えるが、腕はよかった」

 ミコトは本を開いてみたり、戸棚の中身を確認したりと興味津々だったが、テオは触るのも憚られて、入り口から様子を見ている。

「単なる興味だから気を悪くしないでほしいんだけど、お父上は?」

「気を悪くすることでもない。父は近衛兵師団長だった。オットーの前任だ。昔、他国との小競り合いで武勲を挙げたらしいんだが、荒っぽい生業は寿命を縮めるらしい」

 彼女の身体能力は父親譲りということか。若くして女王に指名されるのも頷ける。

 ミコトは開いていた本をもとに戻して、ジャスミンに向き直った。

「なるほど、だからお父上とは別居状態だったんだね。いろいろと訊いて申し訳ない。ジャスミンは何か質問ないの?」

「山ほどあるよ。ミコトが答えてくれそうなものはあまりないが。……でもそうだな、せっかくだから訊いておこう」

 ジャスミンはしばらく、言葉を選ぶかのように虚空を見上げてから、口を開いた。

「ミコトの目的は何だ。もちろんここへは上官か誰かの命で来たんだろうし、伝令係だか、通訳だかの任務があるのも理解している。だが、ミコトには別の目的があるように思えてならない。私たちに隠した、帝国の別の目的であるなら答えなくていい。何となく、そうではないような気はしているが」

 核心をついた質問だが、ミコトは笑っている。その瞳が輝いて、いつもの微笑が不敵な笑みにかわったように見えた。

「いつか訊かれるだろうと思ってた。私は変なことばかり尋ねているからね。いろいろ訊いておいて何も話さないのは無粋だし、ジャスミンには言っておいたほうがよさそうだと思っていたところ」

 ミコトはテオに近づき、あらためてジャスミンに向き直る。何気なく、テオを背後に立たせたのだ。テオからジャスミンを見ることはできないが、当然、ジャスミンからもテオの反応が見えない。

「帝国の別の目的は、ベゼルがなぜ安全地帯であるかを探ること。帝国が伝令係なんて胡散臭い人員を寄越したことを考えれば、これは容易に想像がつくかな。これを隠す必要はないと私は思うんだけど、上からの命令だからね。……私の目的もそれと同じ。ただ違うのは、私はメルムが何であるかまで、知ろうとしていることだ」

「メルムの正体を、痕跡ひとつないこの地で探るのか? メルムに無関係なのだから、帝国の目的も果たせそうにないが」

 ジャスミンが言うことはもっともだ。メルムに関する情報を得たいのなら、メルムが出現する場所を調査すべきなのだから。

「おっしゃる通り。帝国はメルム討伐に兵を派遣してもいるから、帝国の目的に関しては、ベゼルでの調査は視察と交渉という主な目的のついでだと考えてほしい。そうなると私の目的もついで、ってことになるんだけど」

 ミコトは自分の頭をかくように、髪に触った。

「恥ずかしい話、私がこの役に指名されたのは流刑というか、隔離なんだよね。そのあたりの事情は訊かないでほしい。で、逆にそれを利用して、お偉方の鼻を明かそうというのが、私の真の目的。その手段がメルムの正体を明かすことなんだけど、手掛かりがないんで、関連の有無にかかわらず情報を集めている。納得したかな?」

 ジャスミンは呆然とした顔をしていた。テオはというと、ミコトの背後で狼狽えていた。ミコトが隔離のためにベゼルへ派遣されたという話は、テオも初耳だった。ミコトは重要な話を、後になって何でもないことのようにする節がある。

「ミコトの言動に一貫性がない理由は理解した。なるほど、ここは流刑地にちょうどいい。それで、上に睨まれるようなことでもしたのか?」

「ご想像にお任せします、なんてね。私は別に、何もしてないよ。お偉方は心配性な上に、想像力が豊富すぎるんだ。なのに頭は固い。メルムの存在だって、半信半疑なお方もいらっしゃる。差し向けてやりたいくらいだ。おっと、これは不謹慎」

 ミコトがしまった、という風に口に手をあてて見せるので、ジャスミンは苦笑する。テオがミコトの背後から覗くようにして彼女の表情を見ると、彼女は手の陰に、不敵な笑みを隠していた。

「帝国にとって、メルムは他人事に他ならないだろう。私たちも今のところは、帝国を責めることができないわけだが」

「今のところは、か。メルムが出現してから、外縁部で続いていた国家間の戦争は、休戦状態になったらしいね。もともと小競り合い程度の小規模なものが、謎の天敵が出現してそれどころじゃなくなったからだ。今では世界的に、公式の戦争は皆無。中心部はかえって平和になってる。メルムは他人事どころじゃない」

 ミコトがちらりとテオを見る。テオには、ミコトの言いたいことがよくわかる。彼女が口にすべきことではない。テオが代弁する。

「襲われる心配がない人たちにしてみれば、メルムは戦争を終わらせてくれた、ありがたい存在ってことだね。メルムに襲われているのが敵だったら、なおさらだ」

 嫌な話だが、自分が幸せでいられるなら、無関係な人間の不幸は安いものだ。ましてや交流のない他国の人間。博愛主義者か人道主義者でない限り、国境を隔てれば違う人間、場合によっては敵とみなすだろう。

「だれも口にはしないだろうけどね。まあ、メルムに関係なく、人間はいつだって変わらない。戦争だったら戦闘地域と非戦闘地域が、地獄と天国に分かれるだけ。地獄があるから天国を自覚できる、あるいは天国が存在できるとしたら、天国の住人にとって、地獄はありがたい存在だ」

「……何が言いたいんだ?」

 ジャスミンは眉をひそめている。ミコトの話はいつも、ふらふらと話題が逸れる。普段は彼女の意図する方向へ誘導されていたことに気づくが、今回はその意図が見えない。

「地獄を作るのは神なんかじゃない。地獄を欲するものが、地獄を作る。それは狂った地獄の住人か、天国の住人。私はそう考えているから、ベゼルでの調査に意欲的なんだ」


「ジャスミン、変な顔してたよ」

「変な顔って。まあ、私が変なことを言ったからだろうね。もっとわかりやすく言えたらよかったんだけど」

 あれから城に戻るまで、ジャスミンに不機嫌そうな様子はなかったが、終始上の空だった。ミコトは遠回しに、ベゼルがメルムの出現に関わっている嫌疑を伝えたのだから、怒りを買わなかったのが幸いなくらいだ。

「ミコトは嘘をつくつもりなのかと思ってたけど、あれは嘘じゃないよね?」

 ミコトがどれほどうまい嘘をついても、テオは表情を隠すことができない。だからジャスミンからテオを隠したのだろうと思ったのだが、ほとんどがテオの知っている話と一致していた。嘘をついて誤魔化してはいないはずだ。

 ただ、ミコトの話はどうにも抽象的で、示唆的なものだった。彼女が何を言いたいのか、そして何を考えているのか、想像もできない。

「私、滅多に嘘はつかないよ。つくにしても、相手は選ぶし。ジャスミンに本当の話をしたこととか、私が上に睨まれている話は意外だったでしょ? テオが驚いてたら変な誤解を招きそうだったから、君の反応を見せたくなかったんだ」

 テオはぐうの音も出ない。

「ぼくも、ポーカーフェイスの練習しないとね」

「素直なくらいがいいよ。腹芸は大人になってからで充分」

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