二章 想うはあなたひとり

15 好奇(1)

 通訳としてのミコトの任務、つまり暗号解読は、背中越しに作業を見ていることすら苦痛になりそうなほど、細々として、あてのない作業に見えた。なんでも小さな紙には、模様を描くかのように細かな、点と線が記されているだけなのだ。

 よく見れば記号なのだろうと推測できるものの、複数ある暗号を示した紙はどれも同じに見える上に、どうつながるのかわからない。ミコトが作業を見ても構わないと言うので近くで見ていたが、目がちかちかしてしまう。

 そんな目に悪そうな作業を、ミコトは平然と、造作もない様子で毎日のように行っていた。しかも彼女は、書き込むことも、紙を並び替えることも一切しない。無造作に置かれた紙を順番に読み、解読後の文章を書き記す前に、暗号の紙はすべて燃やしてしまう。

「安全性は高そうだけど、手間な暗号だね。全部同じに見えるし」

「いちいち暗号表を更新するよりかは楽だよ。読む気を削ぐのは効果的だし。実は、同じものはないんだよ。一つの紙の終わりと別の紙の始めが重なってて、短い文章がつながって本文ができる。紛失を見越して送られた、重なる部分がずれただけのほとんど同じ文も届いているけど。塩基配列の解析と似てるから、慣れてるんだよ」

 教授ならここで塩基配列の講義が始まるが、ミコトは尋ねない限り些末な話には触れない。テオも、難しい話に触れる気はなかった。

「それにしても、たくさん届くんだね。その細かさなら、暗号だとしても結構長い文章になりそうだけど」

「私に対する念押しまで暗号化してくるからね。ベゼルに伝達すべき文章はそれほどないよ。同じ日に暗号がすべて揃うとも限らないんだから、私への指示はやめてほしいんだけどな。紛らわしい。それに、お偉方の指示はわかりきってることばっかり。そして念押し」

 そう言いながら、ミコトは暗号の紙を燃やす。灰皿の上で、紙がのたうつように燃えていくのを、ふたりで静かに見守った。


 事情を知らないとは言え、解読後の文章を見ることはテオも自粛しているため、帝国とベゼルの間で、どのようなやりとりが行われているのかはわからない。

 特に根拠はないが、尊大な態度と一方的な要求で、先方を不快にさせていそうなイメージを、テオは帝国に対して抱いていた。そのため、ベゼルの人々と微妙な関係になるのを心配していたのだが、それは杞憂に終わった。

 ふたりの存在はベゼルの人々に知らされていないらしく、ジャスミンが連れている見かけない若者に、不思議そうな顔こそするものの、誰もが親切にしてくれた。

 ジャスミンに関しては、国中に知れ渡っているらしい。女王の傍付なのだから当然ではあるが、彼女は誰からも尊敬されているように見えた。面白かったのは、女性は遠慮なく彼女に声をかけてくるのに対し、男性、とりわけ若者は、どこか怯えているように見えたことだ。

「ジャスミンって、徴兵の教育を任されることもあるの? 有名だね」

 ミコトの皮肉っぽい声音に、単純な意味ではないことがわかる。

「いや、私が指導するとしたら、専ら近衛兵だ。徴兵達に関わることはほとんどない」

「近衛兵だと、びびられるものなの?」

 彼らが畏れる対象がジャスミン個人でないのなら、テオには何となく納得できる。精鋭中の精鋭ともいえる彼女に対し、畏敬の念を持つことができるくらいには、彼らが教育されているということだ。どれほど努力を重ね、偶然に恵まれても、彼女らには敵わないということを。

「彼らは私に関する噂を鵜呑みにしているだけだろう。ありもしない噂だ」

 ジャスミンはげんなりした様子で言う。

「なにそれ」

「君たちは知らなくていいんだよ」

 後からルドに訊いたところ、ジャスミンには様々な逸話があるらしい。数隻で現れた海賊を一人で殲滅したとか、他国訪問の際に、無礼な相手国の軍人を一撃で打ちのめしたとか、近衛兵が十人でかかっても体勢すら崩せないとか、とにかくいろいろある。事実でないのは最後の話だけで、それも成し遂げてはいないが、機会がないだけのことらしい。

 ジャスミンが少し顔を赤らめて、狼狽えているのが何とも可愛らしい。

「しかし、ミコトたちの調査は上官が指示しているのか? 居住地周辺の地形を確認したいなら、地図で充分だろう」

「実際に見ないと、わからないこともあるからね。島中調査しろっていうのは上官の指示だけど、何を調査するかは私に委ねられているんだ。まあそれも、憶測をもとに手探りでやっていることなんだけど」

 帝国はどうにかして、メルムの出現という奇怪な現象を、科学的に見せかけて説明したいのだ。帝国は世界の境界についても秘匿しているのだから、国民に科学の万能性を信じさせていたいのだろう。そしてそれが可能となった暁には、他国にも顔が立つ。

 ベゼルに協力を要請しているのは、外縁部での調査の規模を広げる、あるいは設備を整えるためでもあるのだ。世界の監督者を自負する帝国は、早くこの現象を一般化して、可能であれば対策を、不可能であっても人々を納得させる説明を、導き出さなければならない。

 いずれにしても無理難題だが、でっちあげであっても、何かしらの法則を見出していたいのが人間である。五里霧中の現状だが、ミコトも彼らの意に沿うことにした。そして彼女の強引な帰納的推論は、共通点を挙げるところから始まった。

 そこでテオも一緒に考えたのだが、メルムの出現場所の近くには、森林とは言えずとも、緑豊かな場所が存在する。砂漠であれば、オアシスがそれにあたる。

 メルムは村や町など、人気のある場所に出現する、というのが外縁部の常識なので、比較的水利が良く、緑の多い場所に人が住むのだと考えたらそれまでだが、比較的都市化した町の中心部では、被害が小さい傾向も見られる。何らかの関連がありそうだ。

 無論、確証のない仮説に過ぎないため、ジャスミンにも話さずに、ふたりで温めることにした。

 ベゼルはすべてにおいて例外、なんてことになりそうではあるが、ひとまず土地利用や地形に着目することになった。地図を片手に、視察を進める。

「メルムが発生する可能性がある場所を、地形から読むなんて可能なのか? そもそも、大陸と島という時点で、地理的にはずいぶん差異があるが」

「その差異でメルムが出現しないって、断言できたら良いよね。ベゼルは何の心配も必要ないし、私も隈なく調査しなくて済む」

 ミコトの言葉に、嫌味な響きはなかった。

 今回調査しているのは、ジャスミンの故郷である森の周辺だった。山麓の田舎っぽい雰囲気が、テオにも懐かしさを感じさせた。

「木の種類とかはちがうけど、ぼくがいたところにちょっと似てるかも」

「というと、メルムが頻繁に出没した地域に似ていると?」

 ジャスミンの表情が少し強張っているように見えたので、テオはあわてて付け加える。

「そうなるけど、こういうところはいくらでもあるだろうし……。ジャスミンも、こういうところで育ったんだね」

「私の家は森に入ってしまうから、ここよりも民家は少ないよ。行ってみるか?」

 この言葉にミコトがすっかり乗り気になって、三人は森へ向かった。

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