14 縋る者

 庭の様子を確認した後、郵便受けから新聞を取り出す。エマの日課だ。

 普段は広げて目を通すことはないが、一面が気になって、庭のベンチで新聞を広げた。

 一面の見出しには、「アルカ教に不穏 宗派分裂か」とあった。アルカ教は古くから最も信者の多い宗教で、無宗教である者にも、少なからず影響を与えている。その教団は、八年前のクーデターでも一役買ったとされ、国の権力者にも、息のかかったものが少なからずいるという噂だ。

 その宗教に、不穏な動きが見られるのだという。幹部とされる聖職者たちが次々と辞任し、それに伴うように、信者が改宗を宣言しているとあった。

 エマは内心ほくそ笑んだ。彼女は八年前に、苦い過去を持っていたからだ。



 エマは王族の生まれで、継承権には実質的に縁がないものの、由緒ある家庭で育った。躾は厳しかったのだろうが、何不自由ない生活を送っていた。

 マグノリアは、大学で出会った友人だった。資産家の令嬢である彼女とは気が合ったし、両親にも自慢することができた。何より、彼女は聖人のように素晴らしい女性だったのだ。

 学生生活の大半を、マグノリアにくっついて過ごしていたのだが、クーデターの勃発により、生活は一変した。とはいえ、クーデターは春の初めに起きたのだが、春の終わりまでは喪に服しつつも、普段通り生活できていた。

 クーデターの勃発から数か月後、王室が秘匿していた情報が軍によって明らかになるにつれ、アルカ教の信者が暴徒化し、国民をだました罪人だとして、軍の謀りによって没した王室を罵るだけでなく、その攻撃を王族にも向け始めたのだ。

 憲兵に警護を要請してはいたが、家に籠る日々が続いた。とはいえ、外の様子はいたって普段通りで、危機感はなかった。だから、その日も普段通り、エマは熟睡していたのだ。



 真夜中のことだった。何かを破壊する音と足音で目を覚まし、何が何だかわからぬうちに、銃声が響いた。反射的にベッドの下にもぐり、叫びそうになる口を塞いで縮こまっていた。

 自室の扉が開けられた時には、息が止まった。ベッドは明らかに起き抜けの状態だったが、足音は一瞬止まっただけで、すぐに去っていった。

 何度銃声が響いたかはわからない。だが、両親と弟を殺すには十分な回数だった。

 屋敷に静寂がもどり、恐る恐る家族を探した。無駄だとわかっていたのだから、そのまま外に飛び出してもよかった。案の定、惨劇を目にすることとなり、口から出そうになる、嘔吐なのか嗚咽なのかよくわからないものを、必死に手で塞いで家を飛び出した。

 それなりに距離はあったはずだが、朦朧とした意識でマグノリアの家にたどり着いた。もちろん寝衣のままだったが、なぜだか靴は、ちゃんと履いていた。

 真夜中かつ突然の訪問にも関わらず、呼び鈴を押すと、マグノリアはすぐに現れた。その後ろに、ミコトがいたことも覚えている。ヒナタも続いて現れ、彼が通報してくれたはずだ。

 マグノリアを見て安心したのか、そこからの記憶がない。翌日事情聴取を受け、頼ることができる親戚も残っておらず、エマはそのままオリヴァー家に身を置くこととなった。

 後で知ったことだが、あの後自宅は全焼していたらしい。銃殺された焼死体が五体、両親と弟はそれぞれの寝室に、残り二体は玄関先と裏口に、おそらくは警備についていた憲兵だろうが、玄関先に死体などあっただろうか。結局、暴徒の仕業として処理されたものの、犯人は現在も不明。もうどうでも良いことだ。

 しばらくは何事もままならず、マグノリアに甘えるような日々が続いた。彼女のおかげで、使用人として働けるくらいには回復し、家事が不得手な私には、庭の世話が任された。オリヴァー家には、唯一の拠り所である親友と、好き勝手にできる広い庭、そして愛らしい子猫が揃っていて、これ以上ない心安らぐ場所だったのだ。

 当時、ミコトも屋敷に迎えられた直後だったらしく、彼女はマグノリアにしか懐いていなかった。常に無表情で、マグノリアと子猫のシエロにしか、柔らかい表情を向けなかったはずだ。

 彼女の髪は今よりプラチナブロンドに近く、後ろ髪を大雑把に切ったようなショートカットで、少女にも、少年にも見えた。シエロを抱いていると妖精のような愛らしさがあったが、伏し目がちで暗い瞳や、少し痩せた体型は、彼女も壮絶な何かの経験者なのだろうと感じさせた。

 マグノリアが亡くなったのは、夏の終わりだった。エマがようやく屋敷になじんで、外出できるようになったころ。

 彼女の死を知ったエマは、半狂乱になっていた。家族に続き、心酔していた友人まで失ったことで、自分が死を呼んでいるのではないかと思ったほどだ。毎日彼女の墓前で泣き続け、当然ながら仕事は手につかなかった。

 屋敷の者は皆優しく接してくれたが、泣いているエマは手に負えなかったはずだ。マグノリアの父親であるアイクすら、他人事のように哀れんだ目で、自分を見ている気すらした。

 ミコトはそんなエマを、遠目に見守っていた。学校に通うようになった彼女は、放課後になるとふらりと墓地に現れ、木の下で佇んでいた。

 自暴自棄の日々が続いて体力が限界に達し、ただ呆然とへたりこんでいた時のことだ。ミコトが突然、エマに話しかけた。彼女に声をかけられたのは、その時がはじめてだった。

「私とあなたの違いはなんだろう。私は、涙すら出ないんだ」

 振り返ると、彼女は柔らかい微笑を浮かべていた。少し伸びてふわふわと揺れる髪は、彼女の少女らしさを増していた。

「運命っていうのは、一人ひとりの行動の結果が重なった、事象でしかないんだよ。死も、その重なりの中で生じる偶然でしかない。私たちは死んでいないだけ。だけど、その重なりに干渉できるのは、生きているものだけだよ」

 中性的で、どこか老成した言葉。思えば今の彼女は、あの頃から始まっていた。

 手を引かれて、身体の小さい彼女に覆いかぶさるような形で、屋敷へ帰った。不思議と彼女の言葉は、すんなりとエマの心を満たし、体力が回復してすぐに、仕事に戻ることができた。マグノリアとは似ても似つかないが、ミコトの存在は、どこかで心の支えとなった。

 ミコトが軍の大学に入ると聞いた時は、ひどく驚いた。たしかにこの国で、軍に属する施設ほど恵まれた環境はないだろうし、彼女の能力はそれに見合うものだった。しかし、エマはなんとなく、彼女が政府や軍を毛嫌いしているのではないかと思っていた。

 それが勘違いだったとは言い切れないが、彼女は帰省する度に、生き生きとした表情を見せた。もちろん、あの微笑のまま。

 ずいぶん楽しそうね、と言うと、彼女はいたずらっぽくこう答えた。

「私は自分と、自分が好きな人のために生きるって決めたんだ。きっと私は、そのために他人が不幸になっても構わない」



 アルカ教が崩壊することで、誰が何を得て、誰が何を失うのか、エマにはわからない。自分は復讐心を満たせるかもしれないが、それはアルカ教という、漠然とした何かに向いているのだろうか。

 エマは、アルカ教のことを知らない。知りたくもなかったからだ。神話は読んだことがあるが、いったい誰が神なのか。祈りたければ勝手に祈ればいいのだ。集団になって、自分を聖者と勘違いした者が集金して、教えのためなら人を殺して、救われる人間はどこにいる? 何のために、あの教団は存在する?

 すでに人の手に堕ちた宗教が与えるものは、いったい何だろう。人々は何にすがりたくて、何に祈るのだろう。信仰心を金に換え、得るものは何だろう。

 信者を奪うということは、女神を殺すことになるのだろうか。

 新聞を折りたたむ。ミコトの計画は、とっくに始まっているのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます