13 幸福な国(4)

 しばらくミコトと小難しい話を続けた後、ジャスミンとルドは去っていった。本日の調査は終了ということだ。

「あの話、どうしてふたりにしたの?」

「自分の仮説を確かめるために、当事者から話を聞きたかった、それだけだよ。ルドは予想外だったけどね。国外に出る機会なんて、そうないから」

 ミコトは可笑しそうに言った。ミコトの行動すべてに、意味を見出そうとするのは無駄なのかもしれない。ふうん、と気のない返事をしたテオを、ミコトが覗き込む。

「城下町には何もなさそうだったからね。どうせ何度も行くことになるんだし。……ところでテオ、外縁部の人々は、メルムの正体を何だと思っているの? 悪魔の使いとか?」

「ぼくのいたところでは、女神が力を失って世界が崩壊に向かっているとか、さまよっていた世界が魔界に突入したとか、やっぱりこの世界は、方舟みたいなものだったんだって、アルカ教を信じる人も増えてきてるんだ。だからひっくるめると、昔の人類が逃れた災厄の再来、かな」

 アルカ教の経典であるイーリス神話には、災厄に見舞われた人々をある女性が救い、自らが創造した、この世界に導いたという記述がある。その女性は人々にとっての女神となり、始原の国、つまり現帝国の王となった。帝国の王族はその子孫であり、存在自体が神聖化されていたのだ。

 災厄を逃れた人々を救うこの世界が、まるで古代の伝説に登場する方舟のようだということで、アルカ教は、方舟を意味する古の言葉である「アルカ」から名付けられた。しかし、この話のモチーフである伝説じたいを知る者は、ごくわずかである。

 この神話、つまり、この世界は方舟のようなものだ、という考えは、世界中の人々に深く根付いている。そしてアルカ教は、この世界と救世主である女神を信仰の対象とするため、複数の宗派が存在するものの、各地で普遍的にみられる宗教である。

「世界の境界線の存在が受け入れられているからこそ、人々にとって、神話もあながち空想ではないんだろうね。帝国ではなぜだか、今でも偽物の世界地図が教科書に載っているんだけど」

「どうしてわざわざ、神話と違うことを、嘘をついてまで教えるんだろう。アルカ教は帝国の宗教ってイメージがあるけど」

「さあ。今は皇帝も空席だし、アルカ教の扱いを決めかねているから、帝国の方針もぶれているんじゃないかな」

 帝国は現在、「帝国」でありながら、君主である皇帝が存在していない。八年前のクーデターにより、皇帝が失脚したためである。当時から立憲君主制であったため、軍の勢力が増したものの、政治に大きな影響はなかった。

 このクーデターにはアルカ教が絡んでおり、彼らは当時の皇帝とその血筋を否定し、真の皇帝、つまり王であるべき女神の子孫が、別に存在すると主張した。軍は結果的に、その最高指導権を皇帝から奪ったものの、アルカ教と結託した理由や、真の目的については明言していない。

 軍や政府の思惑をよそに、真の皇帝とやらの即位を、民衆はどこかで期待していた。それは、メルムという謎の脅威を知ったためかもしれないし、現世に空想を求めているためかもしれない。

 現実主義と民衆の期待の狭間で揺れた結果、帝国政府はアルカ教とつかず離れずの関係を保ち、ちぐはぐな思想を人々に抱かせることになった。そして現在も、皇帝を空席としたまま、帝国を名乗り続けている。

「これも私の勘みたいなものだけど、帝国はこの世界の在り様を知っていながら、それが混沌をもたらす都合の悪いものだと知っているから、ひとまず隠しているんじゃないかな。メルムのことは隠しきれなかったみたいだけど」

「都合が悪いものなのかな。ぼくらは世界に境界線があっても、そういうものだとしか思っていないけど。嘘を教えてまで、帝国が守りたいものって何なの?」

「私だって民衆の一人だから知らないよ。だけど、帝国は科学で証明できる世界こそが、秩序だと思っているんじゃないかな。魔法みたいな奇蹟なんて認めたら、収集がつかないでしょ。でも、本来はそれを認めないと、この世界は説明できないんだろうね」

 帝国では群を抜いて科学が発展していて、世界の事象の大半を、科学的に説明することができる。非科学的なことを簡単には認められないほどに、科学という万能の学問に、味を占めたのだ。ただしそれが通用するのは彼らの築いた壁の中だけで、彼らの世界にメルムという非科学的な何かが、迫りつつある。

「メルムもそうだし、見えるのに行けない世界の果て、いわゆる境界線とか、幻の歴史。そういう謎を解明するには、結局のところ、この世界の起源を明らかにすべきなんだろうね。異常なまでに身体能力の優れた人間、特殊能力者も、それに関わるんじゃないかと思っているんだ」

 さっきまでは根拠のない仮説だとしか言っていなかったが、やはり意味のない考察ではなかったのだ。だが、テオには論理が飛躍しているようにしか思えない。

「どういうこと?」

「実は私、さっきの話で結構嘘をついていたんだよね。特殊能力者は容姿が優れているっていう仮説、全く根拠がないわけでもないんだ」

 嘘があったと言われたところで、今さら驚くことではない。

「歴史の専門家でも触れることのないような古い書物に、身体能力に優れ、容姿に恵まれた人間に関する記述があったんだ。損傷が激しくて前後の文脈が不明なんだけど、その書物は、幻の歴史を断片的に語っている。つまり、千年以上前の出来事を、千年ぐらい前の人が記した、嘘かほんとか証明しようのない記述だ。あ、他の人には秘密だよ」

「……よくわからないけど、さっきの話は理解できた。でも、なんでミコトはその本を読んだことがあるの? 貴重そうだし、読める人も限られているんじゃないの?」

 テオは話に追いつけない。帝国についての話は教授やその私兵から聞かされていたし、この世界に関する基本知識もミコトから聞いている。今最もわからないのは、ミコトが何者かということだ。

「貴重なのは確かだけど、帝国の図書館で閉架になっているだけで、申請すれば基本的に誰でも見ることはできるよ。問題は、その書物があると知っていない限り、申請できないってことだね。状態が悪いし解読も難しいから、研究者にすら忘れられて、文字通りお蔵入りになってるだけ」

「なんだか可哀そうな本だね。ミコトはその本のこと、どうして知っていたの?」

「私は図書館で育ったようなところがあるからね。閉架の書物も含めて、あてもなく片っ端から読み漁っていたんだ。その書物は指定したというより、行きついたというのが正しい」

 ミコトの知識が豊富なことにも頷ける。図書館で育ったというのを、テオは比喩なのだろうと受け取ったのだ。しかし、疑問は残る。

「研究者にも解読が難しいのに、よく内容を理解できたね。それに、そういう発見は公表するべきじゃないの?」

 これにはミコトも返答に窮した。しかし実際のところは、彼女は感嘆の言葉を漏らしただけで、決して口をすべらせてしまった、という素振りを見せなかった。

「まさか自分が、その事実の第一発見者とは思わないからね。昔の研究者がとるに足らない情報と決め込んで、読み捨てたものなんだと思ってる。その書物に訳はなかったけれど、役の付いている他の書物と見比べて、かつ日がな一日眺めている暇さえあれば、どんなに読みにくいものでも文字は文字、書かれている言語は他と同じ古語だよ」

 テオはそういうものか、と矛を収める。ミコトに常識をあてはめてはならない。

「ミコトは歴史学者にもなれそうだね」

「メルムの研究に全く関係のないことではないからね。それに、学問は本来、この世界を説明するものだから、すべてがつながっているんだ。無関係に見えるものでも、調べて無駄なことはないよ」

 メルムの調査と、特殊能力者に関する仮説が、無関係ではないと言いたいのだろう。それについて理解はできるが、どのように関係するのかまではわからない。

「そうかもしれないけど。表向きの仕事もあるのに、メルムの研究は進みそうなの?」

「いやあ、遅々として進まなさそうだね。まあ、私にとっては表向きだけど、通訳の仕事もれっきとした任務だからね。上官にとっては、メルムのほうが裏の任務かもしれないくらいだ。そっちをちゃんとしてれば、代理が寄越されないまま帝国に帰れないだけで、文句は言われないよ」

 ミコトは笑っている。それも問題な気がするが、ベゼルの居心地は悪くないので、滞在が長引くのも悪くないかと、テオは密かに思った。

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