7 誰か(6)

 ミコトは早起きだ。だが、テオはそれよりも数分早い。そして寝る時も、ミコトが眠るのを確認してから眠るようにしている。ミコトの生活に合わせるほど真面目ではないが、隣にいると自然とそうなるのだ。

「テオは早起きだね。ちゃんと寝てる?」

 ミコトは寝起きが良い。起き抜けでも、それとわからないくらいに澄んだ声をしているし、寝癖もつかない。ゆるやかな癖毛のおかげで、わからないだけかもしれないが。

「ミコトと同じくらいには寝てるよ。眠りが浅いから、物音がするとすぐに目覚めるだけ」

 昨晩は結局、眠れないと思いながらもうとうとしていた。

「眠りが浅いのはあまり良くないね。夢も見ないくらいに深く眠らないと、脳が休まらないよ」

「防衛兵だったころは、ゆっくり寝ることもできなかったから……」

 夢の話が出て、たじろいでしまった。いっそここで話してしまおうかと思ったが、ミコトが着替えにとりかかっているので口を噤む。そして目を逸らす。

「メルムは昼間、出ないんだよね。となると、仕事は夜だったんだ?」

「近くなら夜で済むけど、メルムを逃したり、現場が遠かったりすれば朝まで待つんだ。暗いのは不利だから」

「その間に消えちゃったりしないの?」

「消えたらそれでいいし、大きな街に入りさえしなければ、ぼくらの仕事としては充分なんだ。ぼくは辺境にある拠点にいたから、山や森での仕事が多かったけど」

 最前線ではあるが、最悪放置しても、上から咎められることはない。もちろん住民からは罵倒されるだろうが。

 最悪、自分の身さえ守っていればいいわけで、自ら進んで戦いに行く義務はなかったのだ。それでも彼らに仕事をさせていたのは、人々を守る使命感だけではなかっただろう。復讐、名声、そしてただ殺したいという欲望か。

「メルムを掃討しても、また数日のうちに現れるんでしょう? やってられないよね。だから、君がウィルさんの誘いに乗った理由、聞く必要はないと思ったんだ。でも、訊いたほうがいい?」

「……話さなくても、お見通しなんだろうけど。仕事が嫌になっただけじゃないよ」

 やはり、ミコトは心が読めるんじゃないか。彼女と話していると、話すべき内容に誘導されている気分になる。テオが話したい、あるいは聞きたいと思う話題を、彼女は雑多な話をするうちに、読み取っているのだろう。

「人間みたいなメルムに会ったんだ」

 あの日の話を、拙い言葉で洗いざらい話した。ミコトはいつもの微笑で、静かに話を聞いていた。つまり、驚いた様子はなかった。



「――いろんな動物がごちゃ混ぜになったみたいなのばかりだったし、人間を襲うことはあっても、縄張りを荒らされた動物みたいな暴れ方をするから、知性のあるメルムがいるなんて、考えたことがなかったんだ。ぼくが知らなかっただけかもしれないけど。それと、そいつは夜が明けた後に出た」

「私も聞いたことがないよ。そんなのがいるなら、すぐに噂が広まるはずだしね。その話は秘密にしておいた方がよさそうだ」

「わかった。……帝国では、どこまでわかってるの?」

 帝国はメルムに関するあらゆる情報を収集している。被害のある外縁部よりも詳しいほどだ。帝国からの情報提供が役立つことも少なからずあったが、情報が行き渡るほど、外縁部の環境は整っていない。

「まず、帝国の手札から。出現したメルムの情報は、ほとんど持っているんじゃないかな。提出されているものに限るけどね。それと、まれに得られる遺物はかき集めているはず。メルムの形態や生態は本当に様々だけど、それらの中から共通点を見出すことが目的なんだ。一般化だね。ギブソン教授は遺伝子からアプローチしている。そのあたりの話は聞いたかな?」

「聞いたはずなんだけど、頭が追いつかなくて」

 教授は普段からマシンガントークだが、研究に関することとなると、さらに早口になる。内容を汲み取れる者ならば、あちこちに話題がとんで、脈絡が失われていることにも気づく。

「それは仕方がない。教授はDNA……遺伝子を調べることで、怪物、メルムの起源を調べようとしているんだ。まず遺伝子なんてあるのかすら、疑わしかったのだけれど。ご存知のとおりメルムにも遺伝子はあって、この世界の生物と似ている部分が見つかった。それもまちまちなんだけどね。で、これの欠点は、メルムの遺物があまりにも少ないということだ」

 テオは訓練の一環として、ある程度の教育は受けていたが、生物学には疎かった。これまでにほんの少しだけ、ミコトの講義を受けて、遺伝子の概念くらいはわかるようになっていた。生物の設計図のようなものと考えれば、難しい話ではない。

「わずかなサンプルから絞り出してわかったのが、メルムはこの世界に存在する、複数の生物の遺伝子を掛け合わせたものだということだった。それも、今の私たちには不可能な、それどころか理論的に不可能なレベルで。つまり自然発生したわけでも、人為的に作成されたわけでもない。少なくともこの世界においては。……これはこの前も話したかな」

「それって、結局何もわかってないんじゃ……」

「その通り。生物の構成要素となる物質を同じ割合で用意しても、生物が作れないのと同じだ。肝心の合成方法がわからないからね。私たちが得た答えは、この世界の常識で測っていては、メルムに関する謎を知ることはできないという、科学者泣かせの事実だけ。

 ただそれでは、私たちの存在意義が問われてしまうから、私は教授から離れて別のアプローチをすることになった。私は教授の部下、じゃなくて学生……なんだけど、軍のために働くのが、本来の役目だからね。それが今回の国外調査でもある」

 結局のところ、帝国も手詰まりということだ。帝国が軍人を派遣しているのも、物資を供給するようになったのも、自ら情報を集めざるを得ない状況にあるためだろう。

 帝国がメルムの脅威に晒されるのは、今のところずいぶん先になりそうだが、これ以上難民が増えることを見過ごせない。帝国がその権威を保つには、国民が危機感を抱く前に、災厄を終わらせる、あるいは抑え込む必要がある。

「遺伝子解析が空振りだとしても、教授がメルムに関する研究の第一人者であることは変わりない。研究員である私も、専門家みたいなものだ。上から命ぜられた私は、遺伝子から離れて、メルムの出没条件と、遺物が残存する条件を考えてみた」

 ミコトはそう言って、リング式のノートを取り出した。情報がまとめられているのかと思いきや、彼女がぱらぱらとめくるページは真っ白だった。

 おもむろにペンを取り出し、さらさらと略図らしきものを描く。どうやら記録用のノートではないらしい。ミコトは、不思議そうなテオの様子に気づいたようだ。

「人に伝える必要がなければ、大事な情報はすべて頭に記録する。これは筆談や解説用に持ってるものだよ。……で、これは帝国の西側、ベゼルがある外縁部周辺の、簡単な地図。ここが帝国、西端にベゼル島、南西のあたりが君のいた地域」

 人が住む地域、つまりこの世界は、大陸の西側にある、半島部分に集中する。帝国を中心に、西側海岸部までの距離を半径として、おおよそ円状にこの世界は広がっているのだ。そしてその円の外側に、越えた人間が忽然と姿を消す、世界の境界線が存在する。

 つまり、人は大陸の全貌を見ることはできない。半島と、それにつながる大陸の一部、そしてその周囲にある海洋と島のみで、この世界は構成されている。

 帝国は半島の根もとにあたる部分の北側に存在し、その北部に湾岸をもつ。ベゼルは半島の西に位置する離島だ。半島の南西部分にあるテオの故郷とベゼルは、メルムが出没する帯上に描かれている。

「帝国の北側はほぼ海だから、西岸と南方、東方の地域に居住地のある外縁部がある。南方や東方の内陸部は気候条件が厳しいから、人口は多くない。そのせいか、メルムの目撃情報も少ない。人間がいるところにメルムが出現するのか、人間がいないと目撃されないだけなのか、今は置いといて、東と西の端、出現時間、厳密には目撃した時間を比べてみた」

 テオは首を傾げるようにして、ノートを覗き込む。

「わかりやすく西から言うと、君の言った通り夜、厳密には夜八時以降、夜中の三時あたりまで。東は夜中の三時以降、朝の九時あたりまで。ちなみにこれは現地時間だ」

「東のほうが遅いんだ」

「うん、端的に言えばそうなんだけど……。東と西ではおおよそ六時間、時差があるんだ。東では出現頻度が低い分、時間帯が短いけど、東のほうが六時間ほど出現時間が早いと言ってよさそうでしょ」

 テオはしばらく考える。東のほうが六時間早いということは……、西で夜中の三時のとき、東は朝の九時。それが何を意味するのかはわからない。

「つまりメルムの出現条件は夜じゃない。これは比較的広い範囲で東と西を分けたけど、標準時間ごとに分けたら、もっと時間帯は絞れる」

「なんとなくわかったけど、それはつまり、どういうこと?」

 出現条件が夜に限らないということは、テオが身をもって体験している。今回の話とは、無関係に思えるが。

「メルムの出現について、この世界の常識で考えるのをやめてみよう。メルムが異世界から召喚されたとか、神か悪魔が遣わしたとか、とびきり空想めいたことを仮定する。なんでもいいけど、この現象を起こしている存在は、ある地点の標準時間をもとに、一定の時間帯で現象を起こしていることになる。それって何だか変じゃない?」

 少し前に聞いた、ミコトの話を思い出す。ベゼルにメルムが出現しないのは、帝国に向けた犯人のメッセージである、という話だ。犯人が存在するという憶測について、彼女は無根拠に言っているのではなかったのだ。

「その存在はベゼルにいて、夜にメルムを出現させているつもりで、他の地域では朝になっちゃってたってこと?」

 それは少し、間抜けな話だ。

「あくまでも私の妄想だけどね。君の言う通りかもしれないけど、各地の目撃情報は、ベゼルの標準時間で夜九時から夜中の三時に集中する。大人が就寝前の読書でもしていそうな時間だね。昼に勤めている人でも、その時間帯は自由時間じゃないかな」

「文化的な生活だね。確かに、その時間帯でないといけないってこともありそう……かも」

 この世界の常識にもどってきてしまっているが。

「時間についてはわかった。遺物のほうはどうなの?」

「これまでの遺物は毛、蹄、鱗、歯などなど。失くしても再生するもの、あるいは個体の一部として認識し難いもの、と思われる。例が少ないから、ただの偶然かもしれないけど」

「それならメルムを退治する前に、毛や鱗をとるようにすればいいんじゃない? 研究を進めるためにも」

「そんなこと頼めないよ。命を賭して戦っている人たちに、サンプルが欲しいので、なんてふざけてるでしょ。そんな厚顔だったら、メルムなんかと戦う前に、無主地を開拓して移住しろって勧めてるね」

 それもそうである。移住できないから戦っているのだし、もとからあるとは言え、堅牢な壁で守られ、高見の見物を決め込む帝国を、彼らは良く思わない。帝国からの要請に従うのは、せいぜい後方勤務のお歴々。現場の人間が背けば、サンプルは永遠に採集されない。

「これだけ考えていたなら、ベゼルに来る理由も充分あるんじゃないの?」

「今はね。君の話を聞いて確信、まではしないけど、信憑性が高まったんだ。昼間に現れ、一部とはいえ人間の身体をもつ、言葉を話すメルム。君の生まれを哀れむということは、この世界の事情を知っているということだ。この世界を見ている異質な知性が存在する。何か意味を持って怪物をけしかけている、かも。人間の中に敵が紛れている可能性だってある。君の話が、私の想像力を掻き立てたんだよ」

 ミコトはどこか楽しそうだ。彼女の考えは飛躍しすぎているように思われたが、テオが思い至らないほど、彼女はたくさんのことを考えているのだろう。

「それじゃあ、本当に最初は行き当たりばったりのつもりだったんだ」

「上の命令だからね」

 ミコトは笑っていた。ベゼルはもうすぐだ。

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