6 誰か(5)

 夢を見た。

 ミコトと出会う、ほんの少し前のこと。

 ひと仕事終えた後、つまり、一体のメルムを退治した後だった。

 テオの属していた班は、六人で構成されていた。玄人揃いで単独行動が許されており、その時もたった六人で一体のメルムを退治した。

 兵士とはいえ、メルムを相手にする防衛隊は軍隊のように体系立ったものではなかった。複数の班と合同で出動しても、教育不足の人材が戦略通りに動くことを期待できないからだ。

 現場においては班より上位の組織が存在しないため、大半の行動は班に委ねられる。情報を共有し、協力してメルムを追い詰める班は、いわば運命共同体だ。したがって大抵の場合、班単位で生死が決まる。実質的には階層構造を成していない防衛隊が、猟師と呼ばれるのも無理はない。

 最初の獲物は集落に出没し、山へと逃げたメルムだった。巨大な山羊のようで、草食には見えない大きな牙を持つ妙な生き物ではあったが、集落に大した被害はなかった。そのため、ひと班で出動したのだ。

 山へと逃げる時点で臆病な獣であることは明らかであり、人間を襲う素振りもなかった。実際、鹿を撃ち殺すよりも容易く仕留めることができ、探し出す方が苦労したくらいであった。

 あまりの手応えの無さに、一同は拍子抜けして山を下った。仲間たちがすっかり警戒を解きくだらない話をしているのを、テオは殿しんがりについて聞くに徹していた。

 メルムは人気のある村や街で出没するとされていたし、彼らも経験上、確かであると考えていたので、仕事の後は肩の力を抜く。終始警戒していては身がもたないし、雑談は熊除けにもなる。充分な心得があるからこその弛緩だ。しかし結局のところ、その時彼らは油断していたのだ。



 妙な物音が聞こえ、テオは足を止めた。羽ばたきのようだが、その音と同調して、木の枝が揺れる音がするのだ。まだずいぶん遠い。耳の聡いテオにしか、その音は聞こえていないらしい。

 仲間に声をかけ、瞼を閉じて聴覚に意識を集中する。音はどこから――。

 次のばさり、という音は、身体を煽る風とともに届いた。

 目を開き、振り返る。背後で立ち止まっていた仲間の姿が、消えている、のではない。彼らは地に伏しているのだ。

 息を呑む。鮮血の染みが広がる草地の先に、巨大な鳥のような影が立っている。まばらに差し込む日光に、翼と鳥の脚をもつ女性が照らし出される。紅く染まった歯をむき出しにして、不気味に笑っている。

「坊やは耳が良いんだねぇ。しかし足を止めるべきじゃあなかった。まあいずれにせよ、逃げることはできないんだけどねぇ」

 テオに近づきながら、下手な口紅のように口に付着した血液を、長い舌で拭う。顔はごく普通の女性にしか見えないが、口調も仕草も、どこか狂気じみている。

 一瞬で仲間を屠ったこのメルムに、テオはすくみあがっていた。自分だけが傷ひとつない状況を、とても理解できなかった。

 巨大な翼の先が、首元に触れる。それと同時に、震える手が何とか、背後で銃を握る。メルムはおかまいなしに、子どもを愛でるように、テオの首筋をなぞり続ける。ここで撃鉄を起こしたら、気づかれるだろうか。

「可哀想な坊や。こんなトコに生まれなきゃぁ、もっとマシな暮らしができたろうにねぇ」

 翼が離れたと思った次の瞬間、突風に煽られて地面に転がった。起き上がろうとして地面についた手が、血で滑る。

 助かった、のか。呆然と周りを見るが、まさか夢ではあるまい。仲間は伏したまま、死んでいるのは明らかだし、仮に生きていても、失血で助からないだろう。

 言葉を話すメルムは初めて見た。人気のない森に、突如として現れるメルムも。

 ともあれ、いつまでもこの場にはいられない。仲間を置いてゆくのは惜しいが、どうしようもない。傷ひとつこさえていないが、足を引きずるようにして、街へと向かう。

 そこで背広にオールバックという、あまりにも場違いな男、ウィルに出会った。



 首筋をなぞる感触で目が覚めて、冷汗を拭う。あの日から何度も同じ夢を見るが、記憶に忠実で変化がない上に、夢とは思えぬ臨場感がある。暑くもないのに、冷汗で枕に染みができそうなほどだ。ミコトを起こさぬよう、そろそろとベッドから出て顔を洗う。

 あの日、いかにも怪しげなウィルの誘いを二つ返事で応じたのは、どうしようもなく恐かったからだ。仲間が死ぬ場面には何度か出くわしたが、実力者であるあの仲間たちが一瞬で殺されるなど、考えたこともなかった。それまで首尾よく任務が遂行できていたのは、単に運が良かったからだ、そう思った。

 そしてあのメルムが、次にいつどこで現れるかわからない。次も仲間が殺されるかもしれない。班員と深く関わる質ではないが、どんな者であっても、目の前で人が死ぬのは、自分の無力さを見せつけられるようでたまらないのだ。

 それがどうしようもなく恐くて、嫌で、その場から逃げ出した。帝国に行けば、メルムの脅威を心配する必要は、少なくとも数十年ないはずだ。守りたいものなど何もないのに、今後の長い年月を兵士という役目に縛られるのにも、ずいぶん前から嫌気がさしていた。まさに渡りに船、しがみつかずにいられようか。

 そうしてテオは戦死を装って、故郷を捨てた。

 その結果、ギブソン教授のもとで私兵となり、ミコトに貸借され、場所は違えど外縁部にもどってきてしまったわけだ。とはいえ、そのことに怯えるほど、テオの精神は虚弱でないし、メルムに出会えば躊躇いなく立ち向かえるだろう。そのように育てられたのだから。

 顔をしっかりと拭いて、眠っているミコトをぼんやりと見つめる。あの日のことを話したら、ミコトは何と言うだろう。言葉を話すメルムなんて、彼女なら目を輝かせそうだ。その前に、彼女はメルムがどのようなものか、さほど知り得ていないのかもしれないが。

 そこでふと考える。あのメルムはなぜ、仲間たちを殺したのだろう。凶器はあの鳥の脚だろうが、口に血を付けていた。血を欲していたのか? ……ぞっとしない。

 そしてなぜ、テオは助かったのか。あの意味深な言葉。外縁部に生まれたことを言っていたのだろうか。いや、なぜそれを、メルムが哀れに思うのだ。

 頭を振る。考えても仕方がない、のだが。

 ミコトに話せば何かわかるような気がして、ほんとうはすぐにでも話したいのだが、口下手なテオはどう切り出して良いかわからず、メルムについて尋ねられたときでさえ、言い出すことができなかった。

 あの日のことは、誰にも話していない。直後に出会ったウィルにさえ、誤魔化して話さなかった。ミコトには話すべきだろうか。次にあのメルムに殺されるのは、ミコトかもしれないのだ。

 ベゼルは安全か? メルムが現れないと言い切れるか? そうでないから自分が同行しているのではないか。

 今自分にできることは、考えることではない。備えることだ。一度殺したメルムは二度と現れない。次に遭遇したら、確実に息の根を止める。急所がわからずとも、首を刎ねればどんなメルムも絶命する。……殺される前に殺すには、どう対処すれば良い?

 考えは堂々巡りだ。今夜は寝付けそうにない。

 

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