5 誰か(4)

 初めて出会った三日後、ミコトとテオは海の上にいた。出発を長引かせる理由もなく、さっそく国外調査へ向かうことになったのだ。

 目的地は外縁部の島国、ベゼル王国である。そこは、外縁部であるにも関わらず、怪物が現れない安全地帯として知られている。

 外縁部に兵や調査員を派遣する際の物資補給や拠点として、帝国にとってベゼルは非常に有用であった。実際に協力を要請して拠点を設置する前に、調査と交渉が必要なのだが、多大な被害が生じている他国を差し置いて、無傷のベゼルに多くの人員を割くことはできなかった。

 仮にそうでなくとも、帝国が国外に大々的に人員を派遣することはない。帝国を出入りできる人間は、国外への派遣を開始した今でも、ごく少数に限られたままだからだ。

 そういう事情と、安全地帯ということもあり、ミコト一人が派遣されることになった。テオの同行に関しては、教授と軍上層部の間で話がついているらしい。

 ミコトはメルムの専門家でもあるため、ベゼルを安全地帯たらしめる要因についての調査も、同時に任されていた。一人で複数の任務が可能であるため、彼女に白羽の矢が立ったとも言える。



 ふたりは甲板で、ゆらめく海面を眺めている。

「ベゼルって、どんなとこなの?」

「どんなところ、と言われても、私も初めて行くんだよ。噂では、強い軍隊に食料生産も盛ん、国民も真面目で言うことないね。少々閉鎖的なところはあるみたいだけど、最低限の外交はしているし。小国だけど、国力は大きいと思うよ。怪物も戦争を仕掛けたくないんじゃないかな」

 ふたりが乗船しているのは、帝国とベゼルを定期的に往来する貨物船である。乗組員の大半は帝国の壁外地域に属し、輸出入を担っている。帝国は貿易であっても、他国の船を港に迎えることはない。

「豊かな国なんだね。そういえば、帝国では怪物って呼ぶんだ」

 意外なところを追及されて、ミコトは目を丸くする。

「私たちは結局のところ、見たことがないからね。ひねりがないのは確かだけど。他では何て呼んでるの?」

「ぼくたちはメルムって呼んでた。少し離れた地域でも通じてたから、わりと一般的な呼び名じゃないかな」

「メルムね。古語で災い、だったかな。怪物と呼ぶにも実体の定まらないものだと聞いたから、災厄と言い表すほうが適切かもしれないな」

 瞬時に言葉の由来が思い当たるほどの豊富な知識に、テオは感心する。

「私の知っている情報には偏りがあるんだけど、メルムの出現場所は徐々に広がっているそうだね。つまり、出現頻度じたいも増えているということかな?」

「たぶんそうだと思う。この二、三年でも増えている感じはあったし、内陸にも現れるようになったのは、最近だって聞いたから」

 テオは質問に答えつつ、ミコトがメルムの外見や特徴については訊こうとしないことに気がついた。その情報については、彼女も知っているということか。上目遣いに彼女を覗くが、考え込んでいるのか、遠い目をしている。

「突然現れて消えるのに、実害が生じる。しかも、遺物が残ることもある。……まったく、いつからこの世界は、空想が具現化するようになったんだろう。ただでさえ狭い世界が、綻んでいるみたいだね」

 空想が具現化とは、科学者らしからぬ発言である。だが、この世界に科学で証明できないことは多いのだと、外縁部の人間が最もよく理解している。

「メルムが残したものは、大事そうに帝国へ持ち帰ってたけど、あれが教授のところに届いていたんでしょ? 何かわかることはあったの?」

「ないことはない、くらいかな。とりあえず、怪物、メルムがこの世界の生態系から自然に生じた可能性は、ほぼないと考えて良い。仮に人為的、実験的に作られたものだとしても、帝国ですら持ち合わせていない、かなり高度な技術が必要だから、ここから先は科学者の仕事じゃないよ」

 ミコトはお手上げだ、と言う風に掌をひらひらさせている。

「それじゃあ、誰の仕事になるんだろう」

「さあ。作家か形而上学者じゃない? テオはメルムが現れたり消えたりする瞬間、見たことあるの?」

 テオはちょっと首をかしげて考える。

「わからない。本当にぱっと現れたり、消えたりするから。見間違いかな、と思った時には、襲われていることもあったっけ。一人だったり、無傷だったりすると、夢か幻にしか思えないんだ。たまにただの獣みたいなのもいるし」

「反則的だね。被害が絶えないわけだ。そんな不確かなものを研究したところで、役に立つとは思えないな」

 弱気な発言だが、悲観しているような言い方ではない。表情は相変わらず柔らかい微笑のままで、つまり真顔だ。

 ミコトから銃を預けられた時、テオは彼女を少し恐ろしく感じたのだが、激しい部分が見えたのはあの時限りでそれ以降、すっかり影を潜めている。

 彼女はいつでも微笑を絶やさず、テオはそれが真顔なのだと理解しているが、四六時中行動を共にして、わずかに口角を上げたり、眉を顰めたりするところも見ている。それすら人前であからさまにすることは滅多にないが、ひとまず彼女にも感情はあるのだと、テオは安心したものだ。

 テオの前ではひと際わかりやすく、ミコトはわずかな表情の変化を見せるのだ。そのおかげで、彼女の選り好み、特に嫌いなものに関しては、わかり始めている気すらしている。それが嬉しくて、テオは彼女のシグナルを見逃すまいとしていた。

 常に穏やかで優雅にふるまい、感情的になるところを見せないミコトの裏の表情を、自分だけが知っているような感覚にテオは陥っていた。結局のところ、早くも彼女に惹かれてしまったわけだ。

「ベゼルに着いたら、いったい何を探せばいいんだろうね? すでに手詰まりだ。単なる偶然で安全地帯になっているとしたら、私の出る幕はないな。そうだとしても、この奇妙な現象を傍観するには、ベゼルはうってつけだけどね」

 そこでふと、何かに気づいたように口に手を当てる。

「メルムが出現する地域は外縁部に限られているけれど、それを認識できるのは帝国ぐらいだ。そしてぽっかりと、ベゼルは安全地帯となっている。これは帝国に向けたメッセージかな。止めたければここまで来てみろ、という犯人からのメッセージ」

「そんなまさか」

 この現象が、人為的なものであるとは考え難い。

 軍や教授はろくな手掛かりもないまま、ミコトを国外へ派遣したらしい。無謀極まりない。あるいは、それほどミコトに期待しているのだろうか。

 テオはミコトのように、愚痴をこぼせる立場ではない。何より、頼りないこの国外調査のおかげでテオの人生は変わったのだから。



 海風に、ミコトのスカートがぱたぱたとなびく。それが気になって少し振り返ると、甲板で海面を眺める二人を、乗組員がちらちら気にしていた。

 乗組員にミコトの身分は明かされておらず、詳細の説明抜きに、軍の伝令係ということになっている。テオは偽りなく、万が一の用心棒ということになっているが、彼らが信じているかは不明だ。彼らもミコトが軍の人間と聞いて、それ以上詮索することは罪だと理解しているらしい。

 とはいえ、男ばかりのこの貨物船に女子どもであるふたりは、明らかに場違いだった。個室を与えられ、普段は隔離されているのだが、甲板で佇んでいれば注目が集まる。

「見られてるね。そんなに物珍しいのかな」

 ミコトは帽子を押さえながら、肩越しに彼らを見る。彼女が振り返るだけで、声を押し殺したような歓声があがる。

「男ばっかりだと、女の人が恋しくなるんじゃない? 最終的には、男女関係なくなるけど」

「意味深だね。元同僚を見てきた経験則かな? 彼らがそうならないことを祈りつつ、スカートを履くのが、私のせめてもの気遣いだよ」

 思えばミコトはいつも、スカートを履いている気がする。いつも似たような服装をしているだけなのかもしれないが、スカートが実用的な服装だとは思えない。

「それは船に乗る前からだと思ってた」

「なんだ、気づいてたのか。仕事中は基本的にスカートを履くようにしてるんだ。理由は知らない方が良い」

 それは気になる話である。テオが怪訝そうな顔をすると、ミコトは機械的に口角を上げた。これが彼女の笑顔なのかもしれない。

「冗談だよ。格式を意識してるだけ。文民っぽく見えるでしょ」

 テオには彼女が誤魔化したようにしか聞こえなかった。ミコトは冗談を、冗談として言わないからだ。

「覗かないのが身のためってことだね」

「それはどの女の人でもそうでしょ」

 ミコトは可笑しそうに言った。

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