4 誰か(3)

 始原の地とされる帝国から広がっていった人々は、やがて海を越え、人類未踏の地を目指すようになった。彼らはそれを成し遂げる、充分な技術を持っていたはずだ。

 しかし彼らは、二度とは戻ってこなかった。

 つまりこの世界は、現在人間の住む陸地と、そのごく近傍にある海洋と島々までしか広がっていないのだ。そして、どこにあるかもわからぬ境界を超えた人間は、跡形もなく消えてしまう。

 この話は、外縁部の地域では誰もが知っている。しかし、帝国で知らされている人間はごく僅かだ。帝国は国民、特に壁内の人々の出入りを制限し、情報交換すら管理しているためだ。

 そして、帝国の人々に謎の怪物の存在が明かされたのも、数年前のことである。



 怪物が現れたのは、二、三十年前と言われている。出現場所は外縁部に限り、突然現れ、人間や家畜を襲い、ほとんどは忽然と消える。姿形、生態は様々で、すべてに共通する点は、人間に害を為すということと、神話や伝説に登場する生物に似ているということだ。

 この怪物について、密かに研究しているのがギブソン教授である。ミコトはその下につき、現在は研究の手伝いをしている。

 帝国は外縁部に出現する謎の怪物を、知らん顔で放置しているわけではない。現在では、武器の提供と、軍隊の派遣にも乗り出している。しかし、それに関わる人物についての情報は秘匿されている。

 帝国がこれほど頑なに、国民が外部と交流することを嫌う理由は不明である。帝国は国民と外部の人々に、多くの隠し事をしているのだ。

 ミコトはそれを知っていた。すべてを知るために、軍に入ったのだ。そして、軍の中でも限られた人間のみが知る事実を知り得る、研究員となった。

 一方テオは、この怪物を駆除する兵士として育った。怪物を狩る彼らを、猟師と呼ぶ者もいる。しかし、彼らの敵である怪物は、この世界に存在する猛獣とはわけが違う。怪物の中には人間を恐れず、徹底的に攻撃するものもいるからだ。

 不定期に現れ、村や街を襲う怪物は、外縁部の人々にとって災厄以外の何でもない。彼らは住処を捨て、求心的に避難していったが、それを追いかけるように、怪物たちが現れた。その結果、難民たちが怪物を呼び寄せるとされ、移住を拒まれるようになった。そして彼らは仕方なく、怪物と戦うことになったのだ。



「テオはいつから兵士になったの?」

 客室にふたりきりになった途端、ミコトが尋ねる。

「たしか七歳のときに、訓練施設に入れられた。兵士が突然家に来て、お金を置いて連れていかれたんだ。家族とはそれきりだから、あんまり覚えてない」

「そうなんだ。さぞかし君は逸材だったんだろうね。ウィルさんも、お金置いて連れてくるべきだったんじゃないかな」

 ミコトは冗談めかす様子もなく、淡々と言う。

「何にせよ心強い。まあ、これから私が向かうところは、外縁部にある謎の安全地帯だけど。ところで君の武器って、まさかライフルじゃないよね?」

「まさか。いや、もちろん今までは主に小銃だったけど。怪物相手だといろんな手を使わなきゃいけなかったから、拳銃もナイフもそれなりには使えるよ」

「それもそうだ。お見逸れしました。それでは君に、これを託そう」

 ミコトはどこからか拳銃を取り出し、テオに手渡した。

「拳銃なら、支給されたの持ってるけど」

「知ってる。これは護身用に持たされたものなんだけど、私には要らないから君に預けるよ。私は銃が嫌いなんだ」

 そう言うわりに、今も拳銃をもって来ているではないか。そう思いつつも、テオは黙って受け取る。そしてふと、疑問が浮かぶ。

「ミコトは心得があるの?」

「心得? 私は軍属の人間だから、軍事訓練は受けてないよ。護身術程度。拳銃くらい使えるけど」

 そう言ってミコトは胸のブローチのようなものを指した。

「まあ言っておくと、私はちょっと特殊なんだ。国外に出られるくらいには、お偉方に買われているし、監視されてもいる。この徽章きしょうはその証で、同じものを持っている人にだけ、同類だとわかるわけ。首輪みたいなものだよ」

 テオは帝国の内情に疎いので、国外へ出ることがどれほど特別なことか、理解していない。だが、ミコトは学生だったはずだ。彼女が特別待遇であることは、充分に理解できた。

 徽章には青い宝石が埋め込まれ、暗くてはっきり見えないが、細かい修飾が施されているようだ。彼女はその徽章で、リボンタイを留めている。てっきりアクセサリーかと思っていた。

「それがあると、何か変わるの?」

 ミコトはわずかに口角を上げた。

「変わらないね。仲間が気づけば、情報くらいはもらえるかもしれないけど。私が言いたいのは、君、あるいは教授たちが思っているほど、私は貧弱じゃないってことだ。もちろん腕っぷしの話じゃないよ? お偉方を認めさせるくらいには、私は強かなんだ」

 突然そんな話をされて、テオはミコトを凝視することしかできない。テオがぽかんとしているのにかまわず、ミコトは続ける。

「そしてこれが首輪だと気づかないほど、私は目が眩んでいないし馬鹿でもない。私は鈍感で思考停止した人間が、大嫌いなんだ。これから長く行動を共にする君には、そういう人間に見られたくない。当然君にも、そういう人間にはなってほしくない。

 君は任務として私の護衛をするわけだけど、それが君の意思に背くのであれば、無理をする必要はない。君がいると助かるけど、私一人でも大した問題にはならないから。ただし君が私から離れるときは、その銃を返してね。黙って消えられるのは、さすがに困るから。それさえ守ってくれるなら、あとは君に任せるよ」

 抑揚のないミコトの言葉からは、感情が感じられない。薄ぼんやりと灯された彼女の瞳は、ぎらりと底光りして見える。

 先ほど渡された銃が、ずしりと重くなる気がした。これはいわば、契約の証ということか。テオの手の中にあるそれに、ミコトの手が触れる。

「それでも君は、ついてきてくれるのかな」

 テオに尋ねるようでも、懇願するようでもなく、ミコトはつぶやくように言った。

 テオはしばし黙り込んだ。返答に窮したのではなく、故郷のことを思い出していたのだ。怪物との戦いに明け暮れた日々を。

 怪物と戦う兵士の中には、追い立てられ、ろくな訓練も積まずに駆り出される者も多かった。精鋭すらも犠牲になる戦場で、彼らは捨て駒のように扱われた。彼らを人々は疎んじ、怪物の駆除に失敗すれば、その存在自体を非難した。自分たちは守られて当然、兵士たちは死んで当然。そんな風に思っているようだった。

 テオは幼いころから訓練を受けた、歴戦の猛者でもあったのだが、怪物の真の脅威を知らぬ人々にとっては、穢れた害獣を狩る彼らも、軽蔑の対象だった。

 惨状を知らず、のうのうと生きる人間。彼らに命を懸けて護る価値があるとは思えなかった。罪のない人々とは、よく言ったものだ。

 ミコトは彼が護るに値する人間か、自分の意思で彼女を護れるか。それを、彼女自身に尋ねられているのか。

 いや、彼女はテオの意思を訊いているのではない。これは忠告なのだ。

「わかった。だけど今は、ミコトに従うことにする」

 テオが銃を握りしめるのを、ミコトは満足そうに見ていた。

「まあ、雇い主は教授なんだけど」

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