3 誰か(2)

 テオバルトが屋敷に招かれて、三日目のことだった。

 突然帝国に連れてこられて、よくわからない研究者に雇われることになり、同僚である私兵達と訓練を重ねた。それがたったの三日間。

 その夜、見張りについているところに、無線で呼びだされた。以前から聞かされていた、護衛対象と対面するのだという。

 彼も、しばらく主となる相手のことを詳しく聞かされていなかった。聞いていたのは、教授の部下だということと、国外調査へ出る間の警護をするということだけだ。

 相手が誰にせよ、テオバルトのような子どもが護衛と知ればいちどは唖然とするだろう。その顔はきっと見物だ。邪険にされるかもしれないが、文句は斡旋した雇い主に言えば良いのだ。

 そんなことを考えて半ばわくわくしながら、扉を開けたのだ。


 見上げた視線が高すぎて、彼の目は虚空を捉えた。目の前に立っていたのは、予想に反して若い女性だった。てっきり、男性だと思っていたのだ。

 少し癖のある淡い金髪に、深い青色の瞳、整った顔立ちにやわらかい微笑を浮かべ、その目はしっかりとテオバルトに向けられている。彼女は驚いているどころか、微笑をぴくりとも動かさなかった。

「はじめまして。私はミコトです。あなたの名前は?」

 彼女の平然とした様子に、一同がぽかんとしていた。皆、彼女の驚く様子を楽しみにしていたのだ。

「……テオバルト……」

 狼狽えているのはテオバルトのほうだった。

「テオバルトね。みんなからは何て呼ばれてるの?」

「さすが、平然としてるな。呼び名は君に決めてもらおうと思っていたんだ。決めてやれ」

 教授が興奮して言う。

「それはまた唐突ですね。ネーミングセンスに自信はないんだけど……。ここに来る前は、何か呼び名はなかったの?」

「……セピア。名前なんて覚えられなかったから、皆、見た目であだ名をつけていたんだ」

 ミコト以外、一同が吹き出した。ミコトだけが、何やら感心している。

「セピア、イカ墨か。墨色の髪に、セピア色の瞳ってところか。おもしろいね」

 テオは灰色がかった黒髪に、鮮やかな茶色の瞳だ。誰がつけたのか知らないが、この呼び名のおかげで、すぐに覚えてもらえたものだ。

「おもしろいけど、君は気に入ってなさそうだ。ひねりはないけど、私は君をテオを呼ぼう。ご両親、じゃないかもしれないけど、誰かがつけてくれた大事な名前だし」

 確かにこの時、テオはセピアと呼ばれるのを想像して、心が暗くなったのだ。心を読まれたのかと思って、どきりとした。

「テオ、か。家族からはそう呼ばれていたかも」

「問題ないかな? ではテオ、これからよろしくね」

 ミコトは挨拶を終えたように一息ついてから、思い出したように手を差し出した。テオもそろそろと手を出し、握手をする。帝国では改まった挨拶に握手が欠かせないらしい。

 レベッカがふたりに席へ座るよう促し、教授が乾杯を急かした。



 食事中は終始教授がしゃべり続けて、ミコトとテオは話を聞くに徹した。テオはもとより無口だが、ミコトも相槌を打つばかりで、彼の話を止めてまで、話そうとはしなかった。教授は呼吸をするようにしゃべり続けるので、他の者は無視して、好き勝手に話している。

 その間、テオはミコトを横目に観察していたが、身なり、所作ともに、いかにも温室育ちのお嬢様に見えた。可憐な容姿は儚い妖精のようで、テオとは別世界の人間、というのが第一印象だ。

「なんだテオ。そんなに気になるなら、ミコトちゃんと話したって構わないんだぞ? ドクターの話は無視していい」

 にやけた顔で軽口をたたくのはエドである。焦って顔を赤らめるテオに、一同が笑う。ただし、ミコトは微笑のままだ。

「父さんの話は、要点を絞れば十分の一になるからね。ミコトさんも、テオの経歴を聞きたいだろうに」

 ご子息のアンソニーは夫人に似て、物腰の柔らかい穏やかな青年だ。子どものころから私兵に囲まれて育ち、彼らに憧れて軍人になったらしいが、結果的に彼にお似合いの、国家憲兵になったらしい。国家憲兵はこの国の警察組織であるので、さほど血の気の多い職種ではない。

「それはそうですね。テオは国外から来たんですか?」

 話をそこから始めるということは、ミコトは本当に何も聞かされていなかったらしい。

「ああそうだ。よくわかったな? テオはいわゆる外縁部の国の出で、少年だがいっぱしの猟師だ。護衛をするとなるとわけが違うだろうから、訓練が必要かと思ったんだが、覚えが良くてな。才能があるぞ」

「猟師とは婉曲ですね。その国では子どもも兵士にするんですか。それで、教授はどのようにして彼を引き入れたんですか?」

「それはだな、サンプルの回収を頼んだ軍人から腕の立つ少年がいると聞いて、気になったんでウィルに探させたんだ。あわよくば連れて帰って来いってな。で、うまく連れてきてくれたわけだ。ウィルには感謝している」

 教授は満足そうに言った。

「光栄です、ドクター。幸運でもありましたが、彼が快諾してくれたおかげで、難なく帝国に連れて帰ることができたのです。俺は大したことをしてませんよ」

 ウィルはオールバックで、たいてい背広を着ている。兵士というより、エージェントという印象を受ける。

「誘拐じゃないですか。君は国の兵士、いや、猟師という役目を捨てて来たということ?」

 こう言われると、テオは口ごもるしかない。ミコトは至って平然としていて詰問口調ではないが、責められているような気分になる。

 教授が口を挟もうとしたが、キャロルが睨んで制す。

「役目なんて、そんな立派なものはないよ。ぼくは生きるために、狩りをしていただけなんだ……。あの国にいても、ぼくらは使い捨ての戦力でしかない……」

 仲間たちを思い出す。彼らはまだ、あの国で戦っているのか。

「なるほど。悪いこと聞いたね。別に責める気はないんだ。君が納得しているならそれでいい。君は頼りになりそうだし」

 ミコトは別段申し訳なさそうな様子もなく、淡々と言った。彼女は何か、欠けているような気がする。それとも、育ちの良い人間は、感情を漏らさないほど理性的なのだろうか。

「ともかく、君たちはそれなりに長い付き合いになるだろう。さっそくテオを連れていくか? 話すべきことはもっとあるだろうし、互いに知っておくべきことは早めに知っておいたほうがいいだろう」

 この場で話ができなかったのは、教授が原因でもあるのだが。

「何言ってんの、女子寮にテオを入れるなんて、できないでしょ。うちに泊まっていきなよ。もう夜遅いんだし、一人くらい泊める用意はあるんだから」

 キャロルが楽しそうに言う。ドリーも乗り気らしく、キャロルに同調する。

 それがいいわ、と静かに同意して、夫人はそそくさと準備をしに部屋を出て行った。ミコトの意見はきかれていないらしい。



 ミコトを泊めるという話になってしばらくすると、歓迎会はお開きになった。各々仕事に戻り、テオは出会って間もないミコトと二人残されて、少々気まずい状況に置かれてしまった。

 黙り込んでいると、ミコトが思い出したように話しかけた。

「テオは、教授の研究については知ってるんだよね」

「話は聞いたけど、あんまり詳しいことはわからなかった。教授の話は長いから……」

「教授の話じゃ、根幹と枝葉の区別もつかないでしょ。調査はともかく、オブジェクトに関しては君たちのほうが詳しいだろうから、問題ないはずだよ。むしろ、私が君に訊きたいくらいだ」

 感情の起伏が一切感じられなかったミコトの表情だが、この時は少し、楽しそうな目をしていた。

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