第3話

 その場で項垂れるように落ち込む勇。真司は、そんな勇をずっと見ていたらまた笑ってしまいそうになるので、笑いを堪えるために勇から顔を逸らし菖蒲に向き直った。


「あの、お酒って何に使うんですか?」

「ふむ。大晦日兼元旦用に、少しな」

「元旦? でも、元旦ってもう少し先ですよね?」


 そう言うと、真司は壁に掛けられているカレンダーを見た。

 カレンダーは白い子兎がカップの中に入っていて、カップの中央には12月と書いてあった。


「元旦よりも先にクリスマスじゃないですか?」


 後一週間で年が明けるが、真司はてっきりクリスマス用でお祝いをするためのお酒だと思っていたのだ。だが、それはどうやら真司の思い過ごしらしい。

「何を言うとるねん!!」と、突然勇が炬燵の天板を叩きながら言った。


「あの酒は、神に捧げる酒やで!? この時期に用意せな間に合わんっちゅーねん! まぁ、それでも、今回は仕上げまで来るのに遅い方やけど……」

「えっと……神様に捧げるお酒ですか??」

「真司さんは、御神酒おみきってご存知ですか?」


 膝の上でいつの間にかスヤスヤと眠っているお雪の頭を優しく撫でながら、白雪は真司に問う。


「それって、元旦に神社とかで貰うあれです、よね?」


 そう答えると、白雪はニコリと微笑んだ。


「その通りです」

「正確に言うと御神酒とは本来、神様にお供えしたお下がりの酒のことじゃ。神に物をお供えしてお参りをすると、神の霊力がその供え物に宿ると言われておる。そして、その酒で祭りをすれば、霊力の宿った酒……すなわち、神酒みきとなる」


 湯呑みを持ち、淡々と語る菖蒲。

 真司は、初めて知った御神酒の本来の理由を知り「これも、なんだか深い話だなぁ」と、少し思ったのだった。

 すると、今度は勇がその続きを言うように話に加わる。


「しかも!! これを、後から頂けば神様の霊力が直接体内に入ることになるんや!! この事から神道の祭礼に於いて、非常~に重要なこととなったんやでっ!」

「へぇ~」


 真司が頷いていると、勇から引き継ぐように今度は白雪が話を続けた。


「因みに、人間が洒落た言葉でいったのが"御神酒"なのです。本来は、"神酒しんしゅ"と呼びますね」


「ふふっ」と、白雪が微笑みながら言う。真司は初めて知った知識に深く頷いた。


「へぇ~、言い方にも色々あるんですね。勉強になりました」

「にゃふふふふ……ちっちっちっ〜、まだまだ甘いで人間!」

「え?」

「神に捧げる酒は、ちゃんと決まっとるんやっ!」


 ビシッと真司を指さしする勇。それは指をさすというよりも、プニプニの肉球を真司に向けていた。

 真司は、思わず触りたくなる衝動に駆られそうになったのを、グッと抑え皆の話に耳を傾ける。菖蒲は湯呑みをテーブルに置くと勇の言葉に「ふむ」と、言いながら頷いた。


「神に捧げる酒は、四種の酒と決まってるんや!」

「四種ですか?」

「一つは、清酒すみさけ。そして、濁酒にこりざけ……」

白酒しろき黒酒くろきもありますね」


 菖蒲が二種類のお酒を言うと、残りの二種類を白雪が言う。

 すると勇が胸を張り、自慢げに「この四種の酒が、神に捧げることが出来るんや!」と、真司に言った。


「色々あるんですねぇ。それで、菖蒲さんはどのお酒に入るんですか?」

「うむ。私の所は毎年、清酒になっているの」

「それを、この俺が作っとるんや!!」


 えっへん!と、胸を張る勇は改めて菖蒲に向き直る。


「本題に入ると、今日、こちらに来たのは最終確認として菖蒲様に味見してほしいからです」

「ふむ」


 勇はそう言うと、先程から首に掛けていた、小さい猫用サイズの瓢箪ひょうたんを菖蒲に手渡した。


(あれって、中身お酒だったんだ)


 ずっと何なのだろうかと密かに真司は考えていたので、中身がわかると気になっていたのがスッキリとした気持ちになった。

 菖蒲は瓢箪を勇から受け取ると真司の名前を呼ぶ。


「真司、台所からかわらけを取ってきておくれ」


 しかし、真司は『かわらけ』が何なのか分からなかった。


「かわらけ……ですか?」

「ふふふっ。では、私が持ってきましょう」

「うぅ……す、すみません」


 白雪は、膝の上にあるお雪の頭を起こさないようにそっと畳に下ろす。そして、台所から戻ってきた白雪の手には、桜の柄が描かれている真っ白な杯があった。


「あ、これ、御神酒を貰う時の」

「うむ。かわらけというのは、これのことじゃ。また、一つ知識が増えたの」


 袖を口元に当て、いつもの笑う時の仕草をする菖蒲。

 なんだかからかわれたように真司は思え、ちょっぴり拗ねると菖蒲はまたクスクスと笑った。


「確かに一つ増えましたけど……そんなに笑うことないじゃないですか」

「さて、と。からかうのはこれぐらいにして、早速、勇の酒を貰おうかの」


「やっぱり、面白がってたんだ……」と、内心思い、真司は溜め息を吐く。

 菖蒲は瓢箪に入っている酒を杯に注ぐ。水のように透明で澄んでいて、正に"清酒"という名前の通りのお酒が瓢箪の口から流れ杯を満たしていく。

 菖蒲は杯を口に付け、コクリと喉を鳴らし酒を飲むと、その杯をテーブルにソッと置いた。

 どんな感想が来るか緊張しているのだろうか? 猫なのに正座をし、背筋を伸ばして菖蒲の顔色を窺っていた。

 居間に静寂が訪れる。


(う……な、何だか、僕まで緊張してきたよ……)


 真司が少し緊張していると菖蒲がゆっくりと口を開いた。


「っ!!」


 いよいよ来る!と思い、勇だけではなく真司までもが知らずに背筋が伸びていた。

 眠っているお雪を膝の上に乗せ直すと、白雪はそんな二人の様子を微笑みながら傍観している。


「美味じゃ」


 その一言で、真司と勇はホッと安堵の息を吐く。菖蒲は満足そうな笑みを浮かべ深く頷いた。


「うむ、今年も美味ぞ。これならば供えても問題なかろう。あやつも喜ぶ」

「よかったです!」

「はぁ~……何だか、僕まで緊張したよ」


 畳に両手のひらをつけ、天井を見上げる真司。

 勇は、スっと立ち上がると瓢箪を菖蒲から受け取り、再び首にぶら下げた。


「では、予定通り進めていきたいと思います。失礼します姐さん!」

「うむ。気をつけて帰るんやぞ」

「はいっ!」


 元気良く返事をする勇は、器用に障子を開けて居間を出る。真司は勇を見送るために、店の入口まで着いて行った。

 すると、突然、勇の足が立ち止まり真司の方を振り向いた。


「人間、今日は世話になったな」

「いえ、僕は何もしていないので」


 真司は本当に自分はなにもしていないことを勇に言うと、勇は「いやいや」と、真司に言った。


「俺が知る限り、菖蒲様も相当お変わりになられたでー。きっと、その変化は人間……お前の存在やろうな」

「は、はぁ……」

「ま、それはええわ! ほなな~、人間」


 そう言うと、勇は四つん這いになり、颯爽と去って行ったのだった。

 真司は勇の背中を見送りながら、ふと思う。


(菖蒲さんって、昔からあんな感じじゃなかったんだ……)

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