第6話

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 無事に掛け軸の願いも叶い、あやかし商店街へ帰るというので、真司は菖蒲をあかしや橋へと送って行った。


「まだお昼過ぎですけど……ここで、大丈夫なんですか?」


 辺りを警戒しつつ真司は言う。幸い、周囲には人が通っていなかった。


「あぁ、充分やよ」

「……菖蒲さん」

「ん? なんじゃ?」


 真司は菖蒲が大事に抱えている風呂敷を見つめる。掛け軸の損傷が激しく、菖蒲は知り合いに良い腕を持った専門の修理人を知っているらしく、真司は菖蒲に掛け軸の修復を頼んだのだ。

 真司はそのことについて思い出すと、改めて菖蒲に頭を下げた。


「その掛け軸のこと……どうか、よろしくお願いします」

「あい、わかった。掛け軸の修理が終わり次第、お前さんに渡すから安心おし」

「はい」


 菖蒲が微笑むと真司も自然と笑がこぼれた。

すると菖蒲が真司に一歩また一歩と近づいた。


「え……? え?」


 二人の距離は、まるで恋人が寄り添うぐらいまで近くなる。


「あ、あああのっ、菖蒲……さん!?」


 真司は驚きで一歩身を引こうとする。その時、菖蒲はおもむろに真司の長い前髪に触れると、前髪を上にかき上げた。


「っ!?」


 視界がいつもより明るくなり、真司は眼鏡越しでも急な眩しさに目を閉じてしまう。そして、恐る恐る目を開けてみると、頬を膨らまして拗ねている菖蒲の顔が間近にあり、真司は思わず息を飲んだ。


「真司。お前さんは勿体無い男ぞ?」


 何か言おうとして口を開いたが、菖蒲に言葉で遮られる。


「髪で隠しているのも、他の妖怪と目を合わせないように関わらないようにしたのもわかるえ。怖かったんじゃろ?」

「…………」

「お前さんの判断は人間として正しい。じゃが、もうお前さんは一人ではない」


 菖蒲は目を顕わにしている真司を真っ直ぐ見つめると優しく微笑んだ。


「お前さんには、これからは私がいる」

「…………」

「故に、お前さんは、もっと己の心に自信を持つこと! 何事も隠す事を禁ずる! 私が、お前さんを守護し護ろう。分かり合える者がいなければ、私がお前さんと分かち合おう」

「……っ………うっ……」


 真司は菖蒲の言葉を聞いて、過去のトラウマやずっと孤独だったことを思い出す。すると、段々涙が溢れ出してきた。

 菖蒲は真司の前髪を梳くようにして元に戻すと、今度は子供をあやすように頭を優しく叩き、真司の体を抱き寄せる。


「うっ……うぅっ……うわぁぁっ……っ」

「よう頑張った。頑張ったな」


 菖蒲に抱き寄せられ、押し殺していた声が自然と外に出た。

 真司は泣きながら、菖蒲を抱きしめ返す。


 ——まるで、迷子だった子供がやっと親に出会えたように。


 真司が沢山声に出して泣いた後、菖蒲は真司の頭を再び優しく撫でると、そっと距離を置いた。

 真司は大泣きしたことが少し恥ずかしく思い、軽く俯いていた。


「さて、と。そろそろ行かないとねぇ」

「え……もう、ですか……?」


 少し悲しげに真司が言う姿は、小さな子犬が寂しそうにしている姿にも見えた。

 菖蒲はそんな真司を見て苦笑すると、直ぐに優しく微笑みかけた。


「これこれ、言ったやろう? お前さんは、もう、一人じゃないって」

「……はい。でも——」


 真司が何かを言おうとすると、菖蒲はそれを遮るように真司の唇に自分の人差し指を当てる。


「むぐっ!?」

「それ以上の言葉は不要じゃ。真司。お前さんには、明日から私の店で働いてもらうえ」

「…………え?」

「聞こえなかったのかえ?」

「いえ、そういう意味では……」

「お前さんは、明日から、私の骨董屋で、働いてもらう」


 言葉を区切って、ゆっくりと二度同じ事を言う菖蒲。


「そうは言っても……僕は人間で、何の力もありませんし……」

「あるじゃないか」

「え?」

「お前さんには、既に力がある。それは、お前さんには人に見えないものが見え、聞こえないものが聞こえるという力がの」


 菖蒲はそう言うと「ふふっ」と、笑った。


(それに、この私の結界を見破ったときたしのぉ。なによりも、この魂の波動……。ふふっ)


 菖蒲の心とは裏腹に、真司は不安を感じていた。


「確かに、これは普通の人には無いものですが——」

「こりゃ、まだ言うか? 全く心配症やの~。今まで不快に思い、怯えて暮らしていた力を、お前さんはこれから私の傍で使っていくんよ。怖い事はあらへんから安心おし」


 微笑みを浮かべる菖蒲の表情を見て、真司は「もし、あやかし商店街に行かなかったら」という未来を想像した。

 恐らく、今までと変わらず人を避け孤独を選び、周囲の人も真司自身を避けるだろう。

 それはとても寂しく、とても悲しい未来だった。

 真司は決意した面持ちで拳をギュッと握ると俯いていた顔を上げ、自分が出した答えを菖蒲に伝える。


「僕……菖蒲さんの隣にいたいです。今もまだ不安で怖くいです……でも! もっと、もっと自分に自信をつけるように、上を向けるようになりたいですっ!」


 菖蒲はその言葉に満足するとニコリと微笑んだ。


「なら、決まりやね。これから大変になるえ。何せ、商店街は賑やかやからねぇ」


 そう言うと、菖蒲は着物の袖口を口元に当て、ウインクしながらクスクスと笑ったのだった。



 ——翌日。


 真司は放課後になると、あかしや橋へと走りながら向かっていた。

 真司は腕に着けている赤い数珠のブレスレットを見る。ブレスレットの中央には銀の鈴があり、鈴には菖蒲しょうぶの花が彫られていた。

 真司は、これを渡されたときの事を思い出す。


『真司。お前さんには、これをやろう』


 別れる前に菖蒲は着物の袖口から数珠のブレスレットを真司に手渡した。

 赤い数珠が太陽の光を受け、まるで夕陽のようにキラリと光る。菖蒲は、真司にブレスレットの説明を真司にした。


『これには私の妖力が込められておるのじゃ。これがあれば、子の正刻まで待たなくても、自然と商店街へと道は繋がる。そして、これがあればお前さんに悪さをする妖怪も下級なモノも寄っては来ぬじゃろう。肌身離さず着けるんじゃぞ』


 菖蒲はそう言うと真司に背を向けた。だが、顔だけは少しだけ真司の方を見ている。


『明日、学校が終わったら店にきんしゃい』


 菖蒲が最後にそう言った瞬間、突然辺りに強い風が吹き付けた。

 真司は風の強さに目を閉じる。そして、目を開いた後には、目の前にいた菖蒲の姿は忽然と消えていたのだった。


「はぁ……はぁ……」


 堺市は山の表面を荒削りし、コンクリートを埋めただけの道なので、一見平坦に見える道でも実は上り坂になっているという道が沢山ある。だから東京で暮らし山に慣れていない真司には、坂の上がり下りが少々しんどかった。

 それに加え、走りながら向かっているので息が切れ、肩が上下に上がっていた。

 真司は立ち止まり、学ランの第1ボタンを外し深呼吸をしながら息を整える。目の前には『あかしや橋』と書かれている橋が建っていた。


(あやかし商店街……)


 菖蒲がくれたブレスレットに一瞬だけ目をやる真司は、再び前を向く。そして、あかしや橋へと一歩大きく歩んだのだった。


(終)

 next story→一ノ伍幕


[あらすじ]

 掛け軸のお願いから、あやかし商店街へ二度目の訪問をする真司。

 二度目の訪問では初めて妖しと接触したり、菖蒲の店に住むお雪に質問攻めされたり?

 新キャラ登場の一幕のその後のお話。

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