第4話

 近所の人にも会わず無事に家の前まで辿り着くと、真司は安堵の息を吐いた。

 幸い、家の中は今は誰もいない。真司は菖蒲の方を振り向くと「どうして菖蒲さんが学校にいるんですか?! そもそも、なんで他の人にも姿が見えるんですか?!」と、菖蒲に問い詰めた。

 菖蒲は真司の勢いに目を見張るように驚くと、可笑しそうにクスクスと笑い始めた。


「お前さんの学校にいたのは、さっきも言ったとおり待ちきれなかったからじゃ。そして、学校を特定できたのは、お前さんが昨日、その制服を着ていたからじゃ。ここいらで学ランといえば、あの学校か他の周辺の学校しか無いからね。後は、妖怪の情報収集のおかげじゃな」


 真司は妖怪の情報網がどれだけのものかわからないが、こうやって特定できた以上は、かなりすごいだろうということだけはわかる。

 菖蒲はポカンと口を開けながら菖蒲の話を聞く。


「そして、他の人間が私の姿を捉えることができるのは、私がそうしているからじゃ。つまり〝化けている〟ということじゃな」

「化ける?」


 菖蒲は真司の言葉にコクリと頷く。


「私たち妖怪は人に姿を見せる際、化けて出る。そうやって、昔から人を驚かしているのじゃ。今回、私は化けて学校まで来たんやえ。その方が、お前さんも周りの目を気にせず話せるじゃろう?」

「菖蒲さん……」


 真司は菖蒲の優しさに胸が温かくなる。菖蒲はそんな真司を見てフワリと微笑むと、真司の家を見上げた。


「そういえば、真司。家の者はおらぬのかえ?」

「あ、はい。両親は今頃仕事ですから」

「そうか」


 菖蒲の言葉に真司少し首を傾げたが、気にせず門扉を開け菖蒲を招き入れる。


「どうぞ」

「うむ。お邪魔するぞ」


 真司の家は、学校から歩いて15分ぐらいの一軒家が立ち並ぶ住宅街の中にある。

 菖蒲は隣の家や近所の家と真司の家を見比べた。


「それにしても、お前さんの家は立派な洋風じゃの。何とも、可愛らしい。ドールハウスにありそうな家やの」

「まぁ、引っ越してきたばかりでリフォームとかもやりましたから。外観は母の趣味ですが……これには、僕も父も少し恥ずかしいぐらいです……」


 真司は門扉の横にある置物を横目で一瞥する。そこには動物や小人の置物が置いてあったり、可愛らしい鉢植えが並んでいた。

 今はまだ咲いていないが、春になると花が咲き乱れ、真司の家の周りは今よりもっとファンシーになるだろう。

 真司は、ふと、新たな疑問が頭に過ぎる。


(そういえば、今、菖蒲さん、"じゃの"って言ってなかったけ?さっきから言ってる、よね……?)


「ふむ。どおりでお前さんの喋りには訛りが無いわけやね」

「あ、言われてみればそうですね。僕は、元々東京出身なので」


 菖蒲にそう言われ、真司は改めて自分の方言について考える。転校してきた初日、季節外れの転校生にクラスの人達は〝東京から来た転校生〟というのに興味津々な様子で真司に話しかけてきた。

 なるべく人と関わらないようにしていた真司は、目を合わせないように小さな声で話すと、話しかけてきた学生達は真司にこう言った。


『それ、標準語言うんやんな?』

『うわ……俺、それ聞いたらゾワゾワした!』

『こっちの喋りにせぇへんの?』


 真司は学生達に言われ当初は自分も大阪の方言にしないといけないのかな?と、思っていた。だが真司は東京でのことを思い出し、人と関わらないのなら変えても仕方がないと思ったのだ。

 なによりも両親も今だに標準語のままで話している。やがて真司は、自分の方言について考えなくなった。

 また、それと同時に〝転校生〟というものに熱が冷めた学校達は真司が全然話さないことや関わってこないことに興味をなくし、真司の周りから離れていった。

 方言についてもどうでもいいのか、まるで真司の存在が居ないように気にかけてくることも話しかけてくることも無くなったのだ。


 それでも、二人の男子生徒だけはしつこく真司に話しかけていた。

 その二人も真司の方言については特に気にしていないようだが、真司は避けるようにその二人からいつも逃げていた。


 真司は自分のことよりも、菖蒲のことについてまた考える。


(菖蒲さんは、大阪の方言というより何だかお年寄りっぽい話し方だなぁ。かと思えば、京都なのかな? まるで、舞妓さんみたいな喋り方もするし……う~ん……謎な人だ)


 意外と失礼なことを思っている真司とは裏腹に、菖蒲は納得したかのように頷いていた。


「ふむふむ。して、掛け軸はどこぞ?」


「あ、そうでしたね。今、持ってきますので、僕の部屋で待っていてください。部屋を案内します」

「あい、わかった」


 真司は鍵を鍵穴に差し込み、菖蒲を家の中に入れと靴を脱ぎ、二階に続く階段を上った。

 階段を上った突き当たりのところに真司の部屋はある。真司は部屋のドアを開け「座布団とか無いですけど、好きなところで寛いでいてください」と、菖蒲に言うと階段を降りた。

 真司は階段を降りるとリビング行き、そこからベランダに出て庭に出る。庭には真司の母が趣味で植えている花々と園芸野菜などがあった。

 そして、庭の隅には少し大きい物置き入れがあった。

 真司は物置の扉を開く。中には、両親が大事にしている物や父親の釣り道具、菖蒲の店で見たような壺や古い割れ物、着物などがある。どこから集めてきたのかと、真司でも思うぐらいだった。

 真司は奥の棚にある箱に入っている掛け軸を見つけると、それを手にして自分の部屋へと向かった。


「お待たせしました……って、何をしているんですかっ?!」


 部屋のドアを開けると目の前の光景に驚き、真司は手にした掛け軸を思わず落としそうになる。真司が目にしたもの――それは、菖蒲が真司のベッドの下を犬が伏せをしているような格好で覗き込んでいる姿だった。

 菖蒲はというと、覗く姿勢のまま真司を何気ない顔で真司を見ていた。


「む? 見ての通りやの」

「はい!? えっ!?」

「うむ、最近の若者は、ベッドの下にイヤラシイ物を隠しておると、お雪から聞いてのぉ。折角やし、確かめようと思って」


 菖蒲の言葉に頭痛がしてきたのか、真司は眼鏡を上げ眉間を軽く揉むと溜め息を吐いた。


「菖蒲さん……。普通は、そんな所にありませんよ……」

「なんじゃ、そうなのかえ? つまらんのぉ~」

「そっ、そもそも、そんな物僕の家にはありません!」

「な、なんとっ!?」

「その……そういうのは、少し……もごもご……」


 真司は目線を菖蒲から逸らし頬を掻く。耳が少しだけ赤く染まっているのを見ると、どうやら恥ずかしいらしい。

 そんな真司の姿を見て、菖蒲は体を起こし着物の袖を口元に当てクスクスと笑った。


「おやまぁ。ふふふ、お前さんは初心やの」

「…………」


 更に恥ずかしくなり俯く真司は、菖蒲に言い返せなかった。

 何せ、菖蒲が言う『初心』という言葉は正論を言っているのだから。


(まったくのその通りです……うぅ……)


 菖蒲は真司の手に持っている箱に目が行き「ふむ。それが、例の掛け軸かえ?」と、真司に尋ねる。真司は気恥しい気持ちのまま俯いていると、気を取り直すように顔を上げ返事をした。


「はい、そうです」


 真司は菖蒲の前に腰を下ろし菖蒲に掛け軸が入った箱を手渡した。

 菖蒲は箱を受け取ると、箱を隅から隅までジックリと見る。箱は菊塵きくじん色で、直径40cmの長方形型で見た目の損傷も無く綺麗な状態だった。


「ふむ。印も無し、か……」


 そう呟くと、菖蒲は箱を床に置き、丁寧な仕草で箱の中の掛け軸を取り出す。真司は慌てて目の前にあった小さな折り畳み式のテーブルを折り込み端に寄せる。

 菖蒲は掛け軸をそっと開くと笑みをこぼした。


「ほぅ。これは、また可愛らしい童子わらしやのぉ」


 掛け軸が入っていた箱は損傷が無く綺麗な状態だったが、掛け軸本体の損傷は激しかった。

 端は破れ、絵は色褪せ変色し剥がれ落ちている。そんな掛け軸には、小川で楽しそうに遊んでいる女の子が一人描かれていた。

 すると菖蒲は、その掛け軸の異変に直ぐさま気がついた。


「……しかし、これは足らんな」

「足りない? どういうことですか?」

「おかしいとは思わんか? ……ほれ」


 そう言うと、菖蒲は掛け軸の中の女の子を指さした。

 真司は菖蒲が指した場所を見るが、真司には女の子が一人で普通に川遊びをしているようにしか見えなかった。


(足りないって……どういうことだろう?)


 真司は腕を組み「うーん」と、唸りながら考え始める。答えを求めるように菖蒲をチラッと見たが、どうやら菖蒲は答えを教えてくれなさそうな顔をしていた。


(自分で考えろってことかな……?)


 真司は、また掛け軸を見て「うーん」と、唸りながら考える。そこで、真司はこの掛け軸のおかしな点を見つけハッとした。


「あ、わかりました! ここだけ変な水しぶきがあります!」


 そう言いながら、真司は女の子の直ぐ隣の水面を指す。菖蒲は真司の答えに満足したのか、微笑みながら深く頷いた。


「うむ。この子の周りの水しぶきはわかる。じゃが、その隣の水しぶきと水面の揺らぎは明らかにおかしい。ということはじゃ、これは、この子のではないということやの」

「つまり、この女の子の他にも何かが描かれていたっていうことですか?」


 真司が菖蒲に聞くと、菖蒲はコクリと頷いた。


「正解じゃ。そして、女の子の視線からにして、もう一人は〝人〟では無いの。つまり、動物……ということじゃ」

「えーと、それって、猫か犬っていうことですよね?」

「うむ」


 菖蒲がまた頷いた途端、掛け軸が突然カタカタと動き始めた。


「うわっ!?」


 掛け軸の急な動きに真司は驚く。菖蒲はというと、平然とした様子で動く掛け軸を見ていた。


 ——その時、掛け軸から例の泣き声が聞こえてきた。


「うっ……ううっ……お願い……お願い、助けて……助けて……」

「菖蒲さん」


 泣き声が例のだとわかると、真司は菖蒲を見た。

 菖蒲はわかったかのように頷くと、掛け軸に優しく話しかける。


「お前さんだね? ずっと、泣いていたのは」

「……うう、えぐっ」

「お前さんは、何に泣いている?何を願うのだ?」

「私のわんちゃん……私のわんちゃんが消えたの……うぅっ」

「消えたって、どういうことでしょうか?」


(もしかして、死んじゃった……とか?)


 〝死〟をイメージして不安な気持ちになった真司だが、どうやら菖蒲の答えは違うらしい。菖蒲は真司を見ると「逃げ出したんやろうねぇ」と、言った。


「逃げ出す?」

「物には、それぞれ生命いのちが宿る。古い物やと特にな。この作者はわからんが、どうやらこれは相当古い物やの。して、問題はなんの拍子で抜け出しどこに行ったか……」


 真司と菖蒲はお互い「うーん」と、唸りながら顎に手を当てて考える。真司は、この掛け軸の声が聞こえ始めた頃を思い出す。


「確か……声が聞こえたのは、雨の日だったと思います。凄く天気も悪くて雷とも鳴っていました」

「なるほど」

「うぅっ……あのね……あのね……」

「ん?」


 なにかを言おうとしている掛け軸の女の子に、二人は同士に見る。


「大きな音にね、わんちゃん驚いたの……」


 真司が話かけた時はただ泣いているだけだったが、菖蒲が同じ妖怪だと知って安心したのか、女の子はその時のことを話し始めた。

 それは子供が親に一生懸命説明するように拙い話し方だった。


「ピカッて光ってね、わんちゃんと一緒に驚いたの……わんちゃんね、そのままどこかに行っちゃったの」

「やはり、その雷が原因らしいの」

「でも、どこに逃げたんでしょうか?」


 菖蒲はしばし考え込むと「真司。この掛け軸はどこにあった?」と、真司に聞いた。

 真司はキョトンとした表情で菖蒲の質問に答える。


「庭にある物置の中ですけど……」

「ふむ。予想やと、きっと、まだそこにおるの。どうやら、そのわんちゃんというのは臆病者らしいからの。そうなると……外に出ず物置の中で隠れてるかもしれん」

「でも、それならどうして早く自分から戻らなかったんですか?」

「戻りたくても戻れなかったんやろうね」


 真司は菖蒲の言っている事がわからず首を傾げる。


「雷の音で驚いたと同時に、掛け軸の方も動いたんじゃろう。落ちた拍子に箱が開封し掛け軸も開いた。その隙間から、わんちゃんが逃げ出した」

「…………」


 菖蒲は犬が逃げ出す様子をその場で目撃したかのように真司に説明する。真司はそんな菖蒲の言葉に耳を傾けていた。


「この女の子は、雷の怖さとわんちゃんが逃げ出したのに悲しんだ。わんちゃんも、戻ろうにも怖くて中々戻れんかったんやろうて。そこで真司が現れた。お前さんは、落ちてある掛け軸を拾ったのではないかえ?そして、天気の崩れも続いていた」

「はい。暗くてよく見えなかったんで、最初は辺りを探していましたけど……。確かに、2、3日は雨も続きました」


 菖蒲は「ふむ」と、呟くと話を続ける。


「掛け軸が落ちてあるのに気づき、お前さんは、掛け軸を広げて見た。そして、正体が掛け軸の中の女の子やとわかると、その掛け軸を再び箱に閉まった。そうやろう?」

「はい、そうです」

「だから、わんちゃんはその後も戻れなかったんじゃよ」


 菖蒲の言葉に真司は「え?」と、小さく呟いた。

 菖蒲はそんな真司を見て話を続ける。


「出てきた掛け軸から戻るためには、再びその掛け軸の中へ入らんとあかん。しかし、この掛け軸は真司の手によって箱の中にしまわれた。開いていない掛け軸は、閉じてある限り元の場所には戻れんのじゃよ」

「じゃぁ、元の場所に戻れないのは……僕のせいだったんですか……」


 そう言うと真司は落ち込みシュンと項垂れた。

 菖蒲は、そんな真司に優しく微笑みかける。


「気にすることはあらへんよ。お前さんは、こうして女の子の悲痛な願いを聞き入れたのやから」

「……はい」

「さて、と」


 菖蒲は掛け軸を丁寧に丸め閉じると、箱に納めスっと立ち上がる。そして、ニコリと微笑むと「わんちゃん救出作戦に行くぞ、真司!」と、真司に言った。

 真司は「そのネーミングセンスどうなんだろう?」と、少し思ったが、元気良く返事をしたのだった。


「はいっ!」

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