第5話〜肝試しと全力ダッシュ

 「これで今日の講習は以上となります。夜ご飯を食べたら玄関前に集合してください」


 講師の先生が言うと、ガタガタという椅子を引く音と共に生徒たちがぞろぞろと席を立って移動始める。

 

 「冬馬、今日の肝試し一緒に行こうね」

 

 冬馬は「うん」と返事をすると、先程の講習の最後に貰った、今日の夜に行われる肝試しについてのパンフレットに視線を移した。

 午後八時開始予定でペアは自由。参加、不参加も自由と書いてあり、去年行われた肝試しに参加した先輩たちの楽しそうな写真が貼られている。

 コースは合宿所から山の方まで進んで行き、橋を渡ったところで別の道へ折り返して帰ってくるという至ってシンプルな道になっている。

 思うほど距離は長くないコースなので、純と一緒に歩いていれば退屈もしなくて済むのと、この二日間勉強ばっかりしていたので息抜きには丁度いいイベントだろう。


 「さあ、ご飯食べに行こ」


 隣の席の純が机の上の荷物をリュックに詰め込んでいると、近くに座る女子たちが何やら肝試しの事について話しているのが冬馬の耳に入ってきた。


 「香織ごめん! うち笹森君と肝試しいける事になったから!」

 「ううん、いいよ。今回がチャンスなんだから頑張って!」


 どうやら花園といつも一緒にいる望月が、意中の男性とペアを組んで肝試しを一緒に回るらしい。それで花岡は取り残されたという事だ。

 まあスクールカーストの頂点に立ち、男女の支持も厚い花園なら、望月じゃなくてもすぐにペアが見つかるだろう。こういう時に友達が多いのは譲れない利点だと思う。

 それにしても望月は好きな人がいるというのに花園にはいないのだろうか。昨日の大部屋でちらほらと男子たちの声が聞こえていたが、既に恋人がいる者たちは一緒に行く予定を立てていたり、片思いを抱いている者は誘ってみようとかなり意気込んでいた。

 その生徒たちの中に、一か八かの賭けに出て花園を誘いたいという男子もいたが、結局のところ彼女は誰と回るのだろうか。


 (それに、昨日の夜中。どうして彼女は一人で学習室に籠っていたのだろうか)


 就寝時間を大幅に過ぎているのにもかかわらず、あんな時間まで残っているなんてあまりにも不自然すぎる。……自分が見たのは本当に花園だったのだろうか。


 「……冬馬? どしたんシャーペン持ったまま動かなくなって」

 「あ……いや、ちょっと考え事をしていただけだよ」


 何故かは知らないが、以前まで拒絶していた花園の事を考えているという現象に陥っていた。これが俗に言うリア充に対しての嫉妬なのであろうか。でも純と一緒にいたとしても楽しいことは間違いない。冬馬は勉強した記憶が頭から飛び出さない程度に楽しんでおこうと思った。


 まだ冷たさが残る春の夜風が肌を襲い、道の先が真っ暗で何も見えなくなっているのが余計に怖さを引き立てる。

 周りのペアを見てみると、すでに男子の懐に手を回したり、男子同士が抱き合ってふざけたりしている生徒が何人もいた。

 ここで、いつもは楽観的な思考で冬馬に面白い事を言ってくれる純が、玄関を出てから珍しく一言も口を開かない事に気づく。


 「ん、純どした」

 「いやいやいやいや、な、何でもないよぉ!」

 「……怖いの?」

 「だ、だ、誰がそんなこと言ったんだよ! 怖くなんてないし!」


 純は慌てた様子で、大袈裟に首を横に振るが、根っからの正直者の彼はどうやら嘘をつくのが下手なようだ。

 いや、誰がどう捉えても嘘だと分かる純の態度に、呆れよりも好感がもてる。


 「純、ちょっとそっち向いて」


 何気なく冬馬が言うと、純は「えっ、えっ」と狼狽えながら、冬馬が指差した道の暗がりの方に腰を向ける。


 「……わっ!」

 「だぁーーー!!!」


 純の耳元で声を上げると、純はけたたましい悲鳴を上げて飛びあがり、着地と共にその場にしゃがみこんでしまった。

 冬馬と純の周りにいた生徒たちも、「うわ、びっくりした」と口々に言いながら肩を震わせていたが、すぐに「何してんだあいつ」と呆れて、再度恋人との二人だけの空間に戻っていった。


 「冬馬ひどいよぉ」

 「いや、怖くないって言ってたからさ、ごめん……ふふっ」


 アニメのキャラが作画崩壊した時のような純の表情が脳裏から離れず、純に顔を見せないように緩まった口元を手で隠して思い出し笑いを繰り返す。

 純が立ち上がり、やがて冬馬が落ち着いてきたところで、周りの生徒が次々に移動を始めた。


 「では、今から肝試しを始めます。五分ごとにスタートするので、順番になって待っていてください」


 肝試し運営担当の先生が、メガホンを口に当てて点呼を始める。


 「純、俺たちも行くぞ」

 「やっぱり行きたくないなぁ」

 「行くのやめる?」

 「……行く」


 まるで子供をあやしているような気持ちになり、「世話がかかるやつだな」と思いながらも、先程のリアクションは百点満点以上だったので、肝試しの途中で何か面白い事でも起こらないかなという期待を胸に秘めて生徒の列に滑り込んでいった。


 

 「肝試しって色々な要素を取り込めるから、ゲーム制作会社側にとっては好都合のイベントだよね」

 「そうなの?」


 結構な時間が経って怖い雰囲気に慣れてきたのか、純はいつも通りのオタク知識を披露する純に戻っていた。

 そして冬馬は少し前から、純が言う「恋の王道パターン」について熱弁されていた。


 「例えば、意中の女性から急に抱きつかれる。とかっていうシチュエーションを肝試しには含む事ができるんだよ。実際に最近読んだ小説で、そんなことから恋が始まった物語があるんだ」


 純は二次元にしか興味がないと言っておきながら、しっかりと現実の恋にも重点を当てているらしい。


 「俺にはそんな相手いないからなー」

 「もしかしたら僕との恋が始まるかもね」

 「そんなのごめんだよ」


 そんな他愛もない話をしていると、前にいたペアがスタートし、遂に冬馬たちがスタートする番になった。


 「純、行くよ」

 「よぉーし、早いとこゴールして部屋に帰ってお菓子パーティだ!」

 

 完全に怖がっていた気持ちを振り払ったとみえる純を隣に、純は携帯のライトで足元を照らしながら、道の暗がりに向かって歩き始めた。


 歩き始めて十分くらいが経ち、服に感じていた違和感に無視できなくなった冬馬が、とうとうしびれを切らして口を開いた。


 「あの……純? 何で俺の服掴んでるの?」

 「あ……いや、ちょっと寒くて」

 「そか」


 少し厚めの生地の服からでも純の指が震えているのが若干気になるが、冬馬はそんなに悪い気はしないのでそのまま進むことにした。

 会話がないまま形態のライトの明かりだけを頼りに進んでいると、段々ともやが深くなってくると同時に中間地点の端が見えてきた。この橋を通過すればもう帰るだけだ。


 「純……、もう少しだから頑張っ……」


 その時、カサ、カサという音と共に、頭上を覆う木々から何か落ちるのを察知した。


 「う……うわぁーー!!」


 本日二度目となる甲高い叫び声と共に、とうとう恐怖に耐えきれなかったのか、純は普段の体育の授業でも見せない俊足で、冬馬を置いて橋の先の真っ暗な道へと走り去ってしまった。


 「……え」


 ぽかんとする冬馬を、冷たさを乗せる夜風が襲う。


 「俺……一人?」


 肝試しが始まる前に「何か面白い事でも起こらないかな」と期待こそしていたが、まさかこんな展開になるとは予想だにしなかったし、勿論暗い夜道の途中で一人になる事なんて望んでもいなかった。


 (とりあえず落ち着け……)

 

 脳の歯車が上手く噛み合わなくなっている状態に、深呼吸という油を差して一旦心を落ち着かせる。

 純が走り去っていったという事は、一人でこの夜道を歩いて行くか、引き返すしかないという事だ。

 今まで純が怖がっているのを見て、面白がりながら気分を誤魔化していたが、この真っ暗なコースを一人で歩くのは流石に少し身が縮む。

 だからといって今から戻るにしても、後ろから来るカップルと鉢合わせになるので、どちらも気まずい思いをしなければならない。


 「……しょうがないな、一人で行くしかないか」


 途方に暮れた冬馬だったが、うだうだして考えこんでいても後ろから来る人たちと鉢合わせになってしまう。もしこの夜道に一人で歩いているのを誰かに見られたりでもしたら、「水城ってやつ肝試しに参加したいからって一人で行くのは違ぇよな」みたいな感じで謂れもない中傷を受けるかもしれない。

 冬馬はその場で長い息を吐いてから、純が全力で駆け抜けていった跡道を辿って行った。

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