そのために道場を?

 倉科駅周辺から徒歩十五分前後の距離にある、二十階建てのセキュリティも万全のマンション。


 その屋上に、幸介は右腕を枕のようにして横たわっていた。


 左手で地面を撫でる。鉄筋コンクリートの地面は硬く、冷たい。


 先程帰宅したところまだ誰も帰って来ていなかったので、そのまま屋上へやって来た。


 寝そべったまま、フェンス越しに空を眺める。すでに辺りは暗く、空には星も見えない。


 しばらくの間そうして過ごしていると、扉を開く音、そしてコツコツと足音が聞こえた。


 足音の主は近付いて来ると、すっと背後に腰を下ろした。


「沙也加」

「ん?」


 足音の主である沙也加は優しく訊き返した。彼女も帰宅してすぐに屋上へ来たのだろう。


「巧海さんが玲菜のこと、奈津に似てるって」

「うん。あの子、笑うと何となく奈津に似てるよね」

「それに、玲菜が俺と結婚するって」

「奈津と同じこと言うんだね」


 沙也加も横になり、背後から幸介の胸の辺りに腕を回して優しく抱きしめてきた。


「つらいなら、会わなければいいのに」

「玲菜が俺に会いたいって言うんだ」

「剣も教えて欲しいって言ってるんだっけ?」

「ああ。道場で子供たちと一緒に習わせることにしたよ」


 幸介は身体の向きを変え、左腕を頭の下に置いて沙也加と向かい合わせになった。


 幸介の目線より下の位置にいた沙也加を見下ろすと、沙也加は僅かに距離を取ってこちらを見上げる。


 いつも通り綺麗に整った顔。緩くウェーブがかった明るい髪は、地面に流れている。


 沙也加の頬を右手で撫でると、彼女は僅かに頬を赤く染めた。


「どうしたの?」

「昔から、綺麗だってみんなから言われてたよな」

「大人にはね。同世代の子からは言われなかったよ」

「そりゃお前の気が強いから怖かったんだろ」

「む……」


 沙也加は顔を顰める。


「沙也加。今度、おっちゃんを道場に連れて行こう」


 今度は目を丸くしてこちらを見る。


「そのために道場を?」

「ああ」


 幸介が後輩の和也に頼み、子供たちに剣を習わせ、道場を再稼働させた理由。それは、現在施設で療養している沙也加の父親に帰ってきて欲しいからだ。


 沙也加と奈津の母親は彼女たちが幼い頃に亡くなっており、父親は男手一つで娘二人を育てた。


 平峰家の隣に住んでいた幸介も、彼にはとても世話になった。


 しかし五年程前、奈津を目の前で殺害され、娘まで突然失った彼は心を病んでしまった。


 それから、彼は海沿いの施設で療養している。


 幸介は異世界から戻ってきてから何度か会いに行ったが、彼は少し相槌を打つくらいでほとんど会話もしてくれなかった。それがとても悲しかった。


 だから道場を再開させようと思った。昔のような道場の光景を見せれば、彼が何か変わってくれるかもしれないと思った。



「もうすぐだね。奈津の命日」

「ああ。墓参りに行こう」

「うん」


 幸介が上体を起こすと、沙也加も起き上がり、隣で膝を抱える。


「美優ちゃんは秋人君のとこ?」

「ああ。夕飯を食べてから帰ってくるって」

「小夜さんに止められたのね」

「美優のこと大好きだからな。カレンもいるし、思い出話でもしてるんだろ」


 秋人の母親である小夜には本当に世話になっている。昔から可愛がってくれたし、今も信頼している大人の一人だ。彼女には頭が上がらない。


 異世界から帰ってきた幸介と美優に、新しい戸籍も用意してくれた。奥山幸介と、奥山美優として。


「カレンって向こうの世界で仲間だった?」

「そう。カレン・ウォルコット。レムリナから来て、今は何故か秋人の妹ってことになってる」

「わけわかんない」

「俺も」


 小夜は美優だけでなく、カレンのことも気に入ったらしい。そして彼女たちの能力についてもそうだ。


 ぶっちゃけカレンと美優さえいれば、普通にこちらの世界で過ごす分には大体のことが何とかなる。


「沙也加、とにかく何か作ってくれよ。お腹減った」

「うん」


 立ち上がり、沙也加に手を差し伸べる。


 沙也加はその手を掴んで立ち上がった。


「あんたはカレンと話さなくていいの?」

「つーかあいつ、同じクラスに編入してきたんだよ」

「えっ、そうなの?」

「ああ。でも何か怒ってるんだよ。多分、俺が勝手にこっちに帰ってきたから」

「ふーん」


 幸介が屋上の扉の方へ向かうと、沙也加も後からとことことついてきた。


 マンション内に入り、エレベーターで十五階の自宅へ戻る。


 部屋へ入ると、沙也加はエプロンをつけ、キッチンで夕飯を作り始めた。

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