二つの事件

 翌日、倉科学園高校には二つの事件が沸き起こっていた。


 その内の一つは校内新聞となるほどのニュースらしく、特に女子たちの間では朝のうちに知らない者がいなくなる程、その話題で持ち切りになっていた。


『エース柴崎秋人、サッカー部退部!』


 新聞部が発行した校内新聞のタイトルだ。


 秋人が退部届けを出したのは昨日のことだ。それを知った新聞部の女子が記事にしてしまったため、一気に噂が広まった。


 秋人は二年生ながらサッカー部のエースであり、スピード&テクニックでは他校を含め誰にも負けたことがない。


 そして、サッカー部は今年は全国大会も狙える程の選手層の厚さとなっており、部員だけでなく、監督からも期待が高まっていた。


 そのチームの中心人物であり、期待を一身に背負う秋人の退部は、特に同じ部員たちには絶望さえ与えるものだった。


「すみません、色々と事情がありまして」

「柴崎! 頼む。考え直してくれ!」

「何で辞めるんだよ!」

「せっかく今年は全国に行けるかもしれないのに!」


 朝から二年A組の教室へとやってきた三人の三年生たちが、秋人を取り囲んでいた。


「でも、僕一人がいなくなったって今年のサッカー部は強いじゃないですか」


 秋人が愛想笑いを作りながら答える。


「アホか! それでお前が居れば全国でもいいところまで行けるだろが!」

「つーか事情って何だよ!?」

「ちょっとしたことじゃ認められねえぞ、マジで!」


 退部を止められるとは思っていたが、彼らは思っていた以上に必死だ。ちょっとやそっとでは引き下がってくれそうもない。


 秋人は悩ましげな表情を作りつつ、俯いて言う。


「……実は、ちょっと訳あって医者にしばらく運動を止められてまして……」

「は!?」

「お前まさか怪我したのか!?」

「それとも病気か!?」


 三年生たちが秋人に詰め寄ってきた。



 もちろん退部を納得させるための嘘だ。

 医者に止められているのであればどうしようもないだろうと思ったのだ。


「何があったんだよ!?」


 しかしやはり彼らも簡単には諦めない。


 秋人は瞳を潤ませ、悲しげな表情で先輩たちを見つめながら言う。


「それ以上は訊かないでください……僕だってつらいんです……」




 ――きゅん。


 三年生たちは言葉を失い、その光景を眺めていたクラスメイトの女子たちからはときめいた心の音がした。


「ねえ。ちょっと、秋人君可哀想じゃない?」

「そうだよね。無理だって言ってんじゃん」

「だいたい退部だって自由でしょ?」

「っていうか何三人掛かりで押しかけてんの!? パワハラってやつじゃん」

「そうよ! 早く帰ってよね!」


 突然周りの女子たちが三年生に避難を浴びせ始めた。


「うぐ……」

「……とりあえず今日は帰ろう」

「そ、そうだな……医者に止められてるんじゃ仕方ないし」


 三年生たちは教室を出て行った。


 その後、他のサッカー部の部員たちも秋人をしつこく引き止めたり、事情を聞こうとはしてこなかった。


 やはり彼らも女子には嫌われたくないらしい。





 もう一つの事件は、佐原夕菜に恋人が出来たという噂だ。


 昨日の朝、幸介に絡んでいたカースト上位グループのギャルたちが「幸介と夕菜が家族ぐるみの付き合いである」という噂を流しまくったらしい。


 こちらは二年生の多くの男女と、一年生、三年生の一部の男子たちの間で事件となっていた。


 男子たちは恋人疑惑に対して憤り、失恋したことに傷心した。


 女子たちは逆に歓喜だ。以前から夕菜に恋人疑惑なんかが出ると、喜ぶ者が多かった。




「ねえねえ夕菜!」


 朝、登校してきた夕菜が教室へ入ると、クラスメイトの女子二人組がワクワクとした表情で声を掛けてきた。


「奥山君とぶっちゃけどこまでいってるの?」

「は!?」


 突然よくわからない質問をされたので夕菜は狼狽える。


「もしかして最後までしちゃったとか!?」

「なっ、何言ってんの!? そんなわけないじゃん!」


 昨日の彼との別れ際のことが頭を過る。


『まだ抱かれる心の準備が出来てないんだけど』


 彼の言った冗談を思い出し、頬が熱くなった。


「あ、顔が赤い!」

「マジ!?」

「いや、違うから! そんなことしてないから!」

「じゃあチューとかは?」

「いや、ないって!」

「えー、ほんとに?」

「ほんとほんと。何もないわよ」


 夕菜が必死に否定していると、女子たちは不意に押し黙った。


「そっか……まあ奥山君って血の繋がらない妹と出来てるっぽいもんね」

「うん。それに沙也加さんともちょっと怪しいし」


 女子二人組は何やら納得したように言う。


「うん。そうだよね……」

「あー! 何か残念がってる!」

「そ、そんなんじゃないわよ」

「まあまあ。応援するって!」

「やめてー!」


 女子たちは適当に夕菜をからかった後、満足したのかどこかへ行ってしまった。


 自席に座ってからも何人かに同じような質問をされた。


 そして男子たちにも囲まれた。


「佐原さん、奥山と本当に付き合ってるわけじゃないよな!?」

「え? いや、そんなわけ……」

「そうだとしたらあいつをぶん殴る!」

「というか殺す!」

「ちょっと!? そんな物騒な……」

「佐原さんはみんなのものなんだから!」

「そ、そうなんだ」


 男子たちの勢いが凄まじく、言い返せない。


 戸惑いながら対応していると、愛梨が助けてくれた。


「あんたら、辞めなさい! それ以上夕菜に絡むと怒るよ!」

「……はい」


 愛梨が止めに入るとやはり男子たちは大人しくなり、すぐに離れて行った。


 朝から疲れてしまい、夕菜はぐったりと机に顔を伏せる。


 最近どんどん周りが騒がしくなっている気がする。


「夕菜、これどうすんの?」

「……うん」


 愛梨が隣の席に腰掛けて尋ねてきたが、夕菜は机に顔を伏せたままで答えた。


「っていうか幸介君、肝心なときにまだ来てないし」

「……」

「ねえ、夕菜ってば! 顔上げてよー。暇だよー。噂になったのが幸介君で良かったじゃん。むしろ好都合じゃん」


 思わず顔を上げた。


「な、何言ってんの……?」

「あー! 夕菜真っ赤になってる! 可愛いー!」

「ちょっ、声が大きいから!」


 にやにやと笑う愛梨の口を慌てて塞いだ。

 愛梨はもごもごとその手を退ける。


「別にこのまま付き合ってることにすればいいんじゃない? で、既成事実でも作ってしまえば正式に……」

「バカじゃん!? そ、そんなこと出来ないわよ!」

「ま、まあまあ……冗談だって」


 夕菜が憤慨すると、愛梨はそういって宥めてきた。彼女の最近の発言は本当に困る。


「でも幸介君はどうするのかな。こんな騒ぎになって」

「……あいつは、何も気にしないと思う。沙也加さんとのことだって結構騒がれたのに、あいつは何も気にしてなかったし」

「まあ確かに」


 先日の昼休み、幸介が沙也加と幼馴染みであると発覚したときや、昨日二人が写った校内新聞が貼られたときにも結構な騒ぎになっていた。


 そんな中、幸介は普段通りにだらだらと過ごし、授業中も変わらずぼーっとしたり机に顔を伏せて眠っていた。


 夕菜が幸介の姿を思い浮かべていると、ふとあることを思い出した。


「……そういえばさ、愛梨、知ってる? 幸介君が指輪のネックレスをつけてるの」

「指輪のネックレス? 何それ」

「指輪にチェーンを通してるの。いつもつけてるんだって。普段は制服に隠れて見えないけど」

「知らないよ。見たことない」

「だよね」


 夕菜が見たあの指輪は、それなりに目立つものだったと思う。


 彼はいつも制服の下に隠しているので、あまり他人には気付かれていないらしい。夕菜が見たのも、彼がシャワーを浴びて付け直した直後だ。


「それがどうしたの?」

「別にどうしたってことはないんだけど……何か宝石みたいなやつがついてて、婚約指輪みたいな形だったの。普通ネックレスにそんなの使わないと思うのよね」


 指輪のネックレスは夕菜も見たことはあるが、普通はリングのみ。宝石がつく婚約指輪のような形をしているものは見たことがない。


「婚約指輪? まさかダイヤとかついてるの?」

「いや、何かプラスチック製のおもちゃみたいなやつだったけど」

「ふーん。それが気になるんだ?」

「そんなんじゃないわよ……」

 

 にやにやと笑う愛梨に若干うんざりしつつ、また机に顔を伏せる。



 しばらくすると、担任の教師が入ってきて、ホームルームが始まった。



 幸介が登校してきたのは、一限目が終わった後だった。


 夕菜と愛梨が休み時間に窓の外を見ていると、美優に腕を掴まれた幸介と、その少し後ろを歩く沙也加が一緒に校門から入って来る姿が目に入った。


 二限目から教室に居た幸介は、普段通りに窓際の席に座り、やはりぼーっとしたり、机に顔を伏せて眠ったりして過ごしていた。


 休み時間になると、何人かの男子が夕菜との恋人疑惑について幸介に問い詰めていたが、彼はいつも通り愛想良く適当にやり過ごしていた。

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