やっぱり本物だったんスね

「では二回戦始め!」


 審判の試合開始の合図が響いた。


 数秒の間、女子生徒は竹刀を構えたまま、堂本と向き合っていた。


 周りの剣道部やギャラリーの生徒たちも静かに見守っている。


 静寂を破って動きだしたのは堂本だ。


 堂本は素早く一歩で間合いを詰め、豪快な剣撃を打ち込む。


 女子生徒は後ろに下がりながらそれを竹刀で防ぐ。


 堂本は後ろに離れると同時に胴への左横薙ぎ。


 それも女子生徒はかろうじて竹刀で受ける。


 そして間髪を入れずに堂本が再度踏み込んで繰り出した袈裟斬りも、彼女は竹刀で弾いた。


 その後も堂本が連続で素早い打ち込みを続け、女子生徒がなんとかその攻撃を防ぐという攻防が続いた。


「けっこう押されてないっスか? まあ、当たり前ですけど」


 和也は試合を眺めながら言う。


 試合は女子生徒が防戦一方。彼女が敗北するのも時間の問題だ。


「あーあ。やっぱりこうなるか。幸介がどっか行くから」


 隣に立つ秋人が溜め息を吐きながら呟く。

 何やら呆れている様子だ。



 視線を試合に戻す。


 女子生徒は防戦一方ではあるが、思ったよりも善戦しているようにも思う。本来なら、もっと早く決着がついてしまってもおかしくない。


 堂本は一旦間合いを取り直し、相手の隙を伺っている。


 見た目の優勢とは裏腹に、やはり堂本も違和感を感じているらしい。


 普段なら決まっているはずの打ち込みも防がれ、思った以上に勝負を長引かせられているようだ。


 少しの間、両者は向きあったままになっていた。


 和也がその光景を黙って見守っていると、視界の端で、飲み物を買いに行っていた幸介たちが体育館に入ってくるのが見えた。


 手にはそれぞれペットボトルの飲み物を持っている。


 幸介の右腕には美優がしがみつき、左手は玲菜の手を引いている。


 三人は試合を見物している生徒たちを避けながら戻って来た。


「何だ、まだやってたのか。どんな感じだ?」

「どんな感じって、めちゃくちゃ押されてますよ」

「マジ?」


 幸介は意外そうに試合へ視線を向けた。


 未だに二人は間合いを取り、向かい合っている。


「沙也加さんでも苦戦するなんて、そんなにあの人強いんですか?」


 美優が秋人のそばへ寄ってきて尋ねるのを聞いて、和也は「え……?」と思わず声を漏らす。


「いや、そろそろあの人も本気を出すんじゃないかな」


 秋人は呆れたような表情で答えた。


 ペットボトルのジュースを片手に、試合を眺めていた玲菜が不意に呟く。


「ねえ、あの人、もしかしてさやかちゃん?」

「そうそう。玲菜、よくわかったな」

「分かるよ! いつも見てるもん」


 幸介が答えると、玲菜はにこっと笑顔を見せた。


「そうか」

「うん」


 しかしその笑顔が不安げな表情に変わる。


「こうすけ……さやかちゃん、負けちゃうの?」

「いや、今から大逆転して勝つんだよ。一緒に応援するか?」

「うん!」


 幸介がガッツポーズを作りながら言うと、玲菜はまた笑顔になった。


「よし。おーい! 沙也加! 頑張れー! 勝ったら今度温泉連れてってやるぞー! (まあ、お前の奢りだけど)」


 何やら適当な応援をする幸介。後半は小声になっている。


「温泉!? いいですね」と、美優が呟く。


「あの、沙也加って、もしかして……」


 先程和也の頭に浮かんだ疑惑が確信に変わっていく。


 女子生徒の後ろ姿、そして剣を振るう姿を、和也はどこかで見たことがあるような気がしていた。


 それは、つい最近画面の中で見たものだったと気付く。


「よし、玲菜もいけ」

「うん。さやかちゃん、頑張れー!」


 玲菜の声が響いた。


 それと同時に女子生徒が反撃に出る。


 彼女は堂本の脇を走り抜け、交差する瞬間に素早く彼の頭上に剣撃を打ち込む。


 その動きは、先程までとは比べ物にならないくらい速い。


 堂本は少し驚いたようだが、後退りながらもそれを防いだ。


 女子生徒はさらに体を切り返し、素早い動きで一瞬にして間合いを詰め、再度攻撃を繰り出す。


 堂本はそれも竹刀で弾く。


 続いて女子生徒の右横薙ぎ。そして一旦間合いを取った直後に再度踏み込んで左横薙ぎ。


 その一連の動作が驚く程速い。


 堂本は攻撃を防ぎはするが、反撃は出来ないようだ。


 その後も彼女の素早い身のこなしと連続攻撃が続く。


 突然速くなった女子生徒の動きに焦っているのか、堂本は防戦一方。


 先程とはまるで逆の攻防だ。


 試合を見ている剣道部の部員たちも驚きを隠せず、目を丸くして固まっている。


 そして、連続攻撃を防ぐ堂本に一瞬の隙が出来た。


 その隙を見逃さず、女子生徒が左横薙ぎの攻撃を素早く繰り出す。


 それが堂本の胴に決まった。


「……えっと……胴ありです」


 審判の生徒が勝敗を決める声を上げた。


 あまりの展開に固まる和也。

 騒つくギャラリー。

 信じられないといった表情の剣道部の部員たち。


 体育館にいた、幸介たち以外の全ての者が唖然となっていた。


 試合に負けた堂本は、その場を動けずに立ち尽くしている。


 そんな中、女子生徒は小手を外し、面のひもをほどく。


「あーよかった。何とか勝てて」


 彼女が面を外すと、明るく長い髪が解き放たれた。


 体育館全体から黄色い歓声が沸き起こる。


 そこに現れたのは平峰沙也加。倉科学園の三年生で現役女子高生女優だ。


 光る汗が、その端麗な顔立ちをより一層美しく見せている。


 剣道部の部員たちは、唖然と彼女に目を向ける。


 女子生徒の正体が平峰沙也加だったこと自体もそうだが、彼女が高校大会個人準優勝の堂本に勝ったことが、さらに驚くべきことなのだ。


「さやかちゃん!」


 姿を現した沙也加を見て、玲菜は嬉しそうに声を上げた。


「……あの、あれって平峰沙也加さんじゃないっスか!?」


 和也も戸惑いながら尋ねる。


「そうだけど。知ってんのか?」

「知ってますよ! つーかけっこうファンです」

「そうなの? あいつ意外とファンが多いな」


 幸介は意外だと言うが、彼女のファンは多いと思う。和也もその一人だ。


「っていうか、あのドラマの剣ってやっぱり本物だったんスね」


 ドラマ『戦乱のラブレター』では、ヒロインの女剣士の戦闘シーンが数多くある。


 彼女は何十人という敵を一人で倒して主人公を守ったり、絶体絶命の状況をその剣で切り抜ける。


 その戦闘シーンは、他の時代劇やドラマであるそれとは迫力やリアルさが格段に違うのだ。


 それは、彼女が本当に剣の腕があるからこそなのではないかと思えてならなかった。


 沙也加が戦う姿は信じられない程格好良く、和也もその戦闘シーンが大好きだった。


「まあな。あれはある意味演技じゃない。演技の殺陣をやってるときもあるけどな」

「いや、それにしても、堂本さんに勝つなんて強過ぎますよ!」


 正直、かなりの興奮を覚えており、心臓の鼓動も早い。


 幸介はそんな興奮状態の和也を放置し、玲菜の手を引いて歩き出す。


 二人は体育館の中央で歓声を浴びる沙也加に近づいていった。


「お疲れ」

「うん。何とか勝ったよ」


 幸介が声を掛けて右手を上げると、沙也加はパシッとハイタッチで返した。


「沙也加、この子が電話で話した玲菜だ」


 幸介の視線の先には、彼の左手をしっかりと掴む玲菜の姿。


 沙也加は姿勢を落とし、玲菜に声を掛ける。


「こんにちは。玲菜ちゃん」

「こんにちは! さやかちゃん、本物だよね?」

「本物だよー。私のファンなんだって?」

「うん」

「じゃあ、玲菜ちゃんとお母さんにはプレゼントをあげるね」

「ほんと? やったー」


 沙也加が玲菜に笑顔を向けると、玲菜も嬉しそうな表情になった。


 そんな会話をしている二人をよそに、幸介は立ち尽くしている堂本に言う。


「これで二勝ですね」

「……!」


 周りを取り囲む剣道部員たちは、まだざわざわと動揺が収まらない。


「し、信じられん……お前たちは一体……」


 堂本は唖然となりながら、小声で呟く。


「大将戦もやりますよね? 消化試合だけど」

「くっ……」


 もう愛好会の勝利は確定しているが、剣道部は一勝もせずに引き下がれないはず。そう理解した上で、幸介は言っているのだろう。


 さらに次の試合が一応今回の勝負のメインであることから、第三試合も行われることとなった。



 しばらくすると、幸介たちが体育館の中央から待機スペースへと戻ってきた。


 近付いて来た幸介に、和也は言う。


「俺が負けてもいいっていうのは、こういうことだったんスね」


 和也が負けたとしても、二勝一敗で試合には勝てるということだった。


「ああ。でもなるべく勝ってくれたほうが嬉しいかな」

「どうしてですか?」

「まあ、色々と事情があるんだよ」


 幸介が何を考えているのかはわからなかったが、自分だけ負けるわけにはいかないと思った。


「沙也加さん、お疲れ様です。わざわざありがとうございます」


 美優が沙也加に近付いて礼を言う。


「いいよー、玲菜ちゃんにも会えたし。幸介、私仕事があるから行くね」

「おう。わざわざ悪かったな」


 そんな会話をしながら、沙也加は防具を外していく。


 そう言えば、と和也は思い出す。


 彼女は最初から防具をつけて体育館へ入ってきた。それを和也は不思議に思っていたが、試合前に騒ぎにならないようにしたのだろう。もしかすると、そうするよう幸介に言われていたのかもしれない。


「幸介、俺も帰るよ。ついでに沙也加さんを送って行くから」


 秋人は出番がないことが確定となったので、沙也加を送ったほうが有意義だと判断したらしい。


「ああ。頼むよ。何か意外とファンが多そうだし? ついでに美優も一緒に送ってくれ」

「了解」

「あー! お兄ちゃん、私を帰らせて玲菜ちゃんと二人でデートする気ですか!?」

「え、デート……?」

「幸介さん、まさか……」


 秋人と和也が冷たい視線を幸介に向ける。


「ばーか。ただ買い物に行くだけだ。いいから行け」

「むぅ……わかりました」


 美優は不満げに頬を膨らませる。


 幸介と秋人は再び着ていた道着とパーカーを交換した。


 秋人がパーカーを脱いで上半身の肌が露わになると、やはりギャラリーや周りの女子たちから「きゃ〜!」という黄色い声が上がった。


 先程から秋人が試合に出ないと女子たちの不満が聞こえていたが、それもすでに消えたようだ。


「玲菜ちゃん、またねー。プレゼントは幸介に渡しといたから、後でもらってね」

「うん! ありがと! お仕事頑張ってね」

「はーい。幸介、今度温泉!」

「覚えてたか」


 沙也加は最後に玲菜と幸介に声を掛けると、手を振りながら秋人と一緒に体育館を出て行く。


 美優も不満そうな表情はなくなり、笑顔で二人の後について行った。


 体育館には試合を見物していた生徒たちが多勢いる。その中には沙也加のファンも多いと思うが、秋人が一緒にいれば大丈夫なのだろう。


「あの、幸介さん、平峰沙也加さんとどういう関係なんスか?」

「ん? ただの幼馴染みだよ。秋人もな」

「……本当ですか? いや、幼馴染みっていうだけでもびっくりなんスけどね」


 沙也加と温泉に行く約束をしていた幸介のその答えを、和也は疑った。

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