強豪の剣道部
放課後。
幸介は和也と共に剣道部の部室へ向かって歩いていた。
「えっ、奥山美優さんのお兄さんなんスか!?」
「ああ」
彼のクラスメイトである美優が自分の妹だと伝えると、和也は驚いた。
「えっと、じゃあお兄様と呼ばせて頂いてもいいっスか?」
「それは断る」
慣れたように食い気味に答えた。
自分が美優の兄だと知ると、男たちは大体同じようなことを言ってくる。
「あの……美優さんに何か聞いたんスか?」
「ああ。友達が悩んでるみたいだから助けてあげてくれってな。とりあえず女の子には言いにくいこともあると思って俺一人で声をかけたんだよ」
「そうですか。気付かれてたんスね」
「まあ、あいつはそういうことには敏感だからな」
「何か俺カッコ悪いっスね」
「気にすんな。多数の悪意には敵わないから」
「……優しいんスね。幸介さんも、美優さんも」
「その潤んだ目をやめろ」
そんな会話をしながら歩き、もう少しで剣道部の部室に着くというところで、幸介は立ち止まった。
「和也」
「は、はい」
急に名前で呼んだので少し驚かれたのかもしれない。
「今からやることは俺に任せてくれ。上手くいくようにするから」
「はあ。わかりました」
すぐに剣道部の部室に着いた。
幸介がノックしてから扉を開け、部室へと入る。
和也も幸介の後に続く。
高校の部室としては広い部屋だ。
壁際のロッカーの他には、筒状の入れ物に竹刀が複数立てられており、棚に防具が並べられている。部屋の中央には大きめの机が置かれている。
机の周りにはパイプ椅子が並んでおり、がたいのいい坊主頭の男と短髪を立てた細身の男が向かい合って座っている。
彼らは何か部活動のことについて話し合っていたようだ。
「こんにちは」
軽く挨拶をした。
「……? 何だ、お前は」
坊主頭の男が訝るように尋ねてきた。
もう一人の短髪を立てた男は和也に対してカツアゲをしていた男子生徒だ。彼は知らない人物が入ってきたことに戸惑っているのか、黙ったままこちらを見ている。
「和也、この二人は堂本と池上で合ってるよな?」
「あ、はい」
がたいのいい坊主頭の男が部長の堂本。短髪を立てた細身の男が池上だ。
「じゃあ都合がいい」
幸介はそう言うと、机に一枚の紙を置いた。『退部届』と書いてある。
少し後ろにいた和也はそれを見て驚いたようだが、何も言わずに口を噤んだ。任せろと言ってあるので、黙って見守ることにしたのだろう。
「……何だこれは?」
堂本が顔を顰める。
「見ての通り退部届ですよ。長瀬君は剣道部を辞めます。理由はだいたいわかってるでしょう? 副将の池上君」
「え? い、いや……」
池上は突然狼狽え始めた。
原因が彼にあるというようなことを部長の前で言ったからだろう。
「ちなみに俺は長瀬君の友人で二年の奥山です」
幸介の言い方と池上の反応を見て、堂本は何かを察したような表情になった。思い当たることでもあるのかもしれない。
「何となくはわかった。でも駄目だ。長瀬を辞めさせるわけにはいかない。何しろ中学大会の個人優勝者だからな」
「部活動は個人の自由ですよ」
即座に言い返す。
当然、本来なら彼らに和也の退部を止める権利はない。
「どっちにしろ長瀬は特待生だろう。辞めると自分も困るんじゃないのか?」
「もちろん、それを承知の上で言ってるんですよ。じゃあそこの池上君が剣道部を辞めるなら長瀬君が続けるって言ったらどうします?」
「は!? てめえ、何調子に乗ってんだ!?」
幸介の言葉を聞いて、池上は怒りを露わにして立ち上がった。
彼にとってはうしろめたいはずなのだが、どうやら手遅れと踏んで開き直ったらしい。
「池上はこう見えてもうちの副将だ。辞めさせるわけないだろう」
堂本は神妙な面持ちになっている。
「あれも無理これも無理って、わがまま言われても困るんですよ。冗談言ってるわけじゃないんですから」
「こっちも折れることは出来ない。問題があるなら解決に努める」
「いや、明らかな問題なんですよ。今までこれを見過ごしてきたあなたを信用できると思いますか?」
「……!」
堂本が押し黙ったので、さらに追い討ちをかける。
「そもそもあなたの目の届かないところで行われることが原因なので、あなたの意思はもはや関係ないです」
「……しかし、長瀬を辞めさせるわけにはいかない」
堂本は断固として拒否の姿勢を崩さない。
幸介は一瞬黙ると、再び口を開く。
「そうですか。じゃあ仕方がないので試合で決着をつけませんか?」
「……!」
幸介の提案を聞いて、その場にいた全員が驚いたような表情になった。
「試合だと?」
堂本は顔を顰めて訊き返す。
「そうです。三対三の団体戦で負けたほうが勝ったほうの言うことを聞くっていうのはどうですか? こっちは長瀬君と俺が作った剣術愛好会の三人です」
「剣術愛好会? そんなものいつ作ったんだ?」
「まあ、つい最近ですかね」
嘘をついた。
そんな愛好会は存在しないが、愛好会の創設は自由なので適当に言ってもばれることはない。
「お前らなめてんのか!?」
また池上が怒りを表して割り込んできたが、それを無視して堂本の次の言葉を待つ。
「言っておくが俺たちは全国大会常連の強豪だ。負けるわけないだろう」
「知ってますよ。だから愛好会の中でも強いやつを連れていきますね」
自信たっぷりの幸介を見て、堂本はしばらく黙り込んだ。
しかし自分たちが負ける訳がないので、このまま話に乗ったほうが得だと考えたのだろう。
「いいだろう。剣道部の部員をそっちに入れるのは無しだからな。まあ入れたとしても勝てるが」
「わかってます。じゃあ決まりでいいですね」
「ああ。俺たちが勝ったら、長瀬は今まで通り剣道部にいてもらう。後でやっぱり無かったことになんてするなよ」
「オッケーです。じゃあわざわざ試合をするので、こっちが勝ったら長瀬君を剣道部の部長にして、部員は全員長瀬君に従ってもらいましょうか」
「何……!?」
「はあ!? てめえ、マジでふざけんなよ!?」
堂本は驚き、池上はまた声を荒げる。
「池上君、長瀬君に勝つ自信がないんですか?」
「あ!?」
「……部活を辞めたいっていう話じゃなかったのか?」
頭に血が上った池上とは対照的に、堂本は冷静に尋ねてきた。
「元々退部は個人の自由なのをわざわざこっちが不利な試合で決着をつけようって言ってるんですよ? 長瀬君も剣道自体は本当は辞めたいわけじゃないんです」
堂本はしばらく黙り込んで考え、再び口を開いた。
「……いいだろう。三対三でいいんだな。どちらにしろ、それで負けたら俺たちには部長の資格はない」
試合成立。
まずは第一段階クリアだ。
※※※
「あのー、幸介さん。これどうするんスか?」
和也は隣を歩く幸介に尋ねる。
すでに部室を出て、校舎に戻るところだ。
先程は仕方なく黙って一部始終を見守っていたが、幸介の発言や先程の展開が予想外過ぎる。
「どうって。試合するしかないな」
「いや負けますよ! そしたら何も変わらないじゃないっスか」
幸介が呑気に答えるので、和也は食ってかかった。
「大丈夫だから落ち着け。ちゃんと勝つから」
「え!? 勝つつもりなんスか!?」
「当たり前だろが」
「……!」
和也は言葉を失ってしまった。
幸介の発言が信じられない。
あの剣道部に剣で勝てるわけがないのだ。
そもそも剣術愛好会など聞いたこともないし、仮に存在していたとしても剣道部には確実に劣る素人集団だろう。
部室に入るなりいきなり退部届を出したことと言い、幸介の考えが本当に分からない。
「あ、そう言えば! いきなり退部届なんか出すからビックリしたじゃないっスか」
「ああ。まあどうせすんなり受理されないしな。つーか、よくあのとき何も言わなかったな」
「いや、まあ任せろと言われてましたし……それに最悪後で先生に頭を下げれば退部せずに済むでしょうし」
あとは美優の兄だったので、一旦信用しようと思ったのもある。
「まあな。退部するっていう話も結局なくなったしな」
「っていうか、勝ったら俺を部長にするってどういうことっスか!?」
「それはまあ、気にすんな。後のことも考えてあるから」
一体何を考えているのだろうと思うが、微妙にはぐらかされている感じがするのでしつこく訊けない。聞くのが怖いという気持ちも僅かにある。
「マジっスか……じゃ、じゃあメンバーはどうするんスか? どんなメンバーを集めてもあの人たちには勝てないっスよ」
「大丈夫だって。とりあえずお前は当日に来てくれればいいよ。メンバーは俺が用意する」
「はあ。そうスか……わかりました……」
和也はもうどうすることも出来ないことを悟り、諦めて幸介に任せることにした。
「まあ最悪、部長には何となくチクることが出来たしオッケーだろ」
「……」
しかし、幸介の最後の言葉を聞いて和也は不安になった。
今回のことは部長や教師に相談するのが一般的な対処ではあるのだが、正直それで現状が変わるという期待は持てない。
自分がされていたことは、元々影で行われるものだからだ。いじめなどを教師に相談しても解決しないという噂も聞いたことがある。
だから今回、幸介もそのような解決法を選択しなかったのだと思う。
ただ、幸介が試合をする方向に話を進めた意図は本当にわからない。
試合はほぼ負けると分かっているし、負ければ何も変わらない。
そもそも勝てば自分が部長になるという試合になってしまったので、何となく喧嘩を売ったみたいで気まずい。
「はあ」
歩きながら溜め息をついた。
先程のことは今さら無かったことにも出来ないので、もう考えるのを止めようと思った。
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