記憶喪失事件

 午後の授業が一つ終わった後の休み時間。


「そう言えばさー、知ってる? また起こったんだって。記憶喪失事件!」

「ああ。そう言えばテレビでやってたわね。っていうか、結構毎日やってる気がするけど」


 席の向かいに座り、何やら真剣な表情で話しかけてくる愛梨に、夕菜は適当に相槌を打つ。愛梨が言っているのは、今世間で最も注目されている事件のことだ。


「もう犠牲者が四百人以上になってるんだって。やばくない?」

「みたいね。でも記憶喪失になってるのって犯罪者みたいなやつらばっかりなんでしょ?」

「そうそう。摩訶不思議だよね!」

「じゃあどうでもいいじゃん」


 若干興奮した様子の愛梨に対し、夕菜は何でもないように答えた。



『連続記憶喪失事件』


 東京を中心に日本の各地で起こるその事件は、この約一年間で、分かっているだけですでに四百件以上に達している。


 記憶を無くすのは犯罪者や、犯罪未遂者ばかり。主に、今にも犯行に及ぼうとする人間が突然意識を失い、全ての記憶を失う。


 そのまま実行されていれば殺人事件になっていたであろうことも多いが、殺人未遂犯だけではなく、弱い者に暴力を振るう者、他人を傷付ける者もまた記憶喪失事件の被害者となっている。


 具体的には、強盗、恐喝、傷害、婦女暴行、誘拐、監禁など。児童虐待なども多く、それらの関係者が記憶喪失事件の被害者となったその人数は、殺人未遂犯の比ではない。


 暴力団の組員も記憶喪失の対象となっており、構成員の人数が少ない暴力団の中には壊滅状態になったものもいくつかある。


 犯罪者、または犯罪者予備軍のような者ばかりが対象となる記憶喪失は、ニュースなどでは事件と報道していることが多いが、一部のメディアでは神の救いだとか、裁きだと言われている。


 世間でもこの事件に対して肯定する声も多く、大っぴらに喜ぶ者すらいる。実際に救われた者たちなどは神の存在を本気で信じ、崇める者まで出始めている。


 一年程前から頻繁に起こるその事件は、人々に戦慄をもたらした。


 連日、テレビには記憶喪失事件のニュースが流れており、ネット上では事件に関する噂が後を絶たなかった。



 愛梨は犠牲者という言い方をしたが、夕菜は彼らを被害者だとは思えなかった。犯罪を犯すのが悪いのだし、記憶喪失になったとしても自業自得だ。正直、犯罪者などどうなろうがどうでもいいのだ。


 それに、この事件に関しては特に不安に思えることもない。被害者の数こそ驚きはするが、犯罪とは無縁である夕菜にとってはあまり関係がないとまで思えた。


 このような現象が起こる原因については興味はあるが、事件が始まって一年も経てば、すでに日常のこととなり、驚きも薄れてしまっている。世間の人々も同じように慣れてきていると思う。


「まあそうなんだけど。殺されそうになった人とか、結構助かってるみたいだよ。ギリギリで犯人が記憶喪失になって倒れたり」

「知ってる。むしろ有り難いじゃない。善良な私たちは危ないとき助かるかもしれないんだから」


 そう言いながらも、一週間程前のことが頭を過った。夕菜も危険な目に遭ったが、窓際の席の彼に助けられたのだ。


「まあ、そだね。っていうか、A組の六条さんも何か助かったことがあるんだって」

「マジ? 何があったの?」

「いや、詳しくは知らないけど」

「ふーん。でもそれを聞くと急に身近な話に感じられるわね」


 事件のことはテレビでの報道や噂話などで聞くだけなので、どこか他人事であり、現実味のない話だった。しかし助かった者が同じ学園の生徒の中にいるとすれば、突然身近なことのように感じられる。

 

「だよね。でね、『救済者』って呼んでる人もいるんだけど」

「あ、それ聞いたことある。ネットとかで言われてるんでしょ?」

「うん。誰かが危ないところを助けてくれてるんだって。ま、ただの噂なんだけど」

「ふーん」


 ただの不思議な現象というわけでも、神様などという都合の良い幻想などでもなく、誰かが意図的に引き起こしているということらしい。


 被害が犯罪者だけに限定されていること、そしてそのタイミングから、意図的なものを感じるのは分かる。しかし特定の人物に、広範囲に渡って記憶喪失を起こさせるなんてことが可能なのだろうか? あまりに現実離れし過ぎている。


「っていうかさー、奥山君ていつもやる気ないよね」

「えっ……!? そ、そうね。いつも怒られてるし」


 愛梨が突然話題が変えて戸惑ったというのもあるが、それが彼のことだったので一瞬どきっとした。


 女友達と話していて話題がころころ変わるのはよくあることだ。愛梨も先程の話題に飽きたのだろうと思い、夕菜はそのまま付き合うことにした。


 前の授業でも、やはりぼーっと窓の外を見ていた幸介は教師に注意されていた。彼が教師に叱られるのはもはや日常茶飯事だ。


 幸介の方をちらっと見ると、彼はいつも通り窓際の席に座り、一人外の風景を眺めている。


 そんな彼に一人の男子生徒が近付いた。



「幸介ー、放課後ナンパしにいかね?」


 幸介に声を掛けたのは、茶髪にピアスのチャラ男。愛梨の中学からの同級生、三上亮太だ。


「ナンパ? 何で急に?」

「いや、夏が来る前に彼女の一人も欲しいじゃん? 夏休みとか女の子と遊びたいじゃん?」

「ふむ。一理あるな」


 幸介は真剣な表情で頷いた。


「だろ? だから出会いを探しに行こうぜ。清水たちも来るから」


 清水は幸介もそれなりに話すクラスメイトの男子だ。


「夏に水着の女の子と戯れるためなら仕方がない。行こう」

「いや、そこまで言ってないし」

「で、どこ行くの?」

「どこだっけ。何かチャラそうな女子校があるらしいからその辺? って清水が言ってた」

「何? すぐに脱いでくれそうな女子校があるだと?」

「ちげーよ。いや、大体の意味は合ってるんだけどな」

「なら一刻も早く行くしかないな」

「よし。じゃあまた放課後な」

「オーケイ」


 幸介は親指を立て、調子良く答えた。


 亮太が教室から出て行くのを見送ると、幸介はまた頬杖を突いて窓の外を眺め始めた。



 そんな幸介の姿に、夕菜は違和感を感じていた。


 幸介は普段寝ているか、ぼーっと窓の外を眺めている。話しかけてくる男子たちにはそれなりに友好的に接しているが、その場しのぎで適当にあしらっているようにも見える。遊びなどに誘われてるのもよく見かけるが、その場では調子良く答えているものの、実際につるんでいるのはあまり見たことがない。


「あいつってさ、何考えてるかわかんないよね」


 彼の方を眺めながら、何となく呟いた。


「え? 何が?」

「多分、あいつは行かないわ。その場だけ調子良く答えてるのよ」

「ふーん。何でわかるの?」

「だっていつもそんな感じだし」


 そう言った直後、愛梨の驚いた顔が目に入った。


「てか夕菜、いつも奥山君のこと見てるの?」

「えっ、いや、そういうわけじゃないけど!」


 焦る夕菜を見て、愛梨はにやにやし始めた。


「なになに? 奥山君のことが気になるの!?」

「ちょっと! 声が大きい! あいつに聞こえるじゃない!?」


 慌てて愛梨の口を塞ぎ、ちらっと幸介の方を確認する。


 夕菜たちの声が聞こえていなかったのか、彼は変わらず窓の外を見ている。


 夕菜はほっと胸を撫で下ろした。


 愛梨の口を覆った手を離すと、彼女は先程より小声で尋ねてきた。


「ごめんごめん。で、どうなの!?」

「ち、違うわよ! 何となくたまに見てただけよ」


 愛梨のにやけた顔は収まらなかった。


「そっかそっか。でも奥山君相手だと苦労しそうだよねー、シスコンだし。それに落ちこぼれだし? いつも亮太とバカみたいな会話してるしね」

「確かにバカそうな会話してたけど……で、でも、そこまで悪いやつじゃなさそうっていうか……」

「そっかー。ついに夕菜も落ち着いてくれるのね」


 目をこすり、泣くフリをする愛梨。


「違うって言ってるでしょ!?」

「はいはい」


 愛梨はにこにこと微笑んだ。


 夕菜に恋人疑惑なんかが出ると、周りの女子には喜ばれることが多い。恋人が出来ることを望まれている節がある。


「むぅ……」


 愛梨の嬉しそうな表情に不満を抱きながらも、夕菜は気持ちを落ち着かせる。


「……でも亮太君は何でいつも奥山君を誘うんだろ?」


 ふと夕菜の頭に浮かんだ疑問だ。幸介は遊びに誘っても結局来ないので、誘うのをやめればいいと思う。


「んー、何故か亮太のやつ、奥山君のこと好きなのよね」

「そうなんだ……」

「夕菜のライバルだね!」

「何言ってんの!?」


 愛梨の発言を聞いて焦ったが、彼女には多分そこまで悪気はなく、むしろ何も考えていない。


 愛梨は顎に手を添え、わざとらしく何か真剣に考えこむような仕草をし始めた。


「亮太は意外と手強いかもよ。奥山君ラブだし」

「……あんた、まさかそのネタ引っ張る気じゃないでしょうね?」


 愛梨は楽天的な性格で、それは彼女の好ましいところだ。夕菜は彼女と一緒にいても気を遣うことなく自然体で過ごすことが出来る。今回のようにたまに困る発言はあるが、何となく許してしまう。


 夕菜の呆れ顔を見て、愛梨は楽しそうに笑っていた。

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