淡雪とカナリア

松嶋弓緒

【第一章】

サーカス・カナリア座へようこそ

第1話

「美しくない!」


 絹を裂くようなベルの声が食堂に響いた。

 食堂には着替え終わったサーカス団員たちが夕食のために集まっていた。ベルの悲鳴は食堂に束の間の静寂をもたらしたが、すぐに各々おのおのの談笑の声が戻った。


 隣で食事をしていた凛々子りりこは咳払いをして、ベルのグラスに水を注ぐ。サーカスに対して人一倍のこだわりを持つベルに公演の感想を聞くことは、寝た子を起こすどころか、ライオンの尻尾を踏みつけるほどの行為だと凛々子は思い出した。


「まあまあ、落ち着いて」

「リリは何も感じなかったの?」


 凛々子はリリと呼ばれていた。ほとんどの団員にとって凛々子R i r i k oと発音することが難しいらしく、不慣れな発音で呼ばれるなら自分自身をリリL i l yだと思い込んだ方がいくらか便利だというのが理由だった。ベルはリリの答えを待たずに続ける。


「地味なのよ、地味。なんだか物足りないのよね、そのコロッケみたいに」

「美味しいと思うけどな」

「でしょうね。リリの味覚はおかしいから」

「美味しいよ」

「ああ。これだからうちはシェフも清掃員も雇う余裕が無いのよ」


 ベルはそう言ってわざとらしくため息をついて食堂を見渡した。

 オリーブ色の壁に囲まれた部屋には、ペルメット付きの花柄のカーテンと暖色のすずらんの照明が下がっている。一見立派な装飾だが、よく見るとカーテンはすすけており、すずらんの笠には埃が薄く積もっている。


 元々応接間として使用されていた部屋を改築したこの食堂には、夕食時に50人ほどが入れ替わりで食事をとるのでかなり窮屈だ。隣接している厨房とは、壁が黒板ほどの大きさにくり抜かれ繋がっていて、出来上がった料理はそこから食台しょくだいに置かれていく。専属の調理人たちは居らず、団員たちが交代で調理番をしているので味には日によってまちまちだった。


 リリはコロッケを箸で小さく切って口に運ぶという動作を繰り返しながらベルの話に耳を傾けている。ベルの方は、食事を終えていたので、繰り言の合間にグラスに口をつけている。

「サーカスはね、うるさいくらいに派手で調度いいのよ」


 ベルはサーカス・カナリア座のエアリアリスト空中曲芸師だ。シルクと呼ばれる吊り下げられた長い布に身体を沿わせ、まるで重力など忘れられてしまったかの様にふわふわとシルク上を昇降したり、廻ったりする様子はまさに妖精のようだと形容される。通った鼻筋と栗色の瞳が笑うと少し意地悪そうに見えるが、それが一層彼女の魅力を引き立たせる。強情な性格が無ければ少しはモテるだろうにと団員みんなが口を揃えている。

 ベルが文句ばかり並べているのは、その技術に見合った仕事をもらっていないという不満と、カナリア座の現状と自分の理想のサーカスとのギャップが理由である。そんな複雑な気持ちを吐露とろするには食事中のリリの隣は特等席だ。「一応聴いている」程度にあしらわれる方がベルにとっても気楽に話すことができる。

 綱渡り師であるリリは、綱渡りの極意である「安定」と「落ち着き」をそのまま反映させたような性格をしていて、ベルの棘のある発言も物ともしない。ふうわりと結った性格は正反対の二人だが仲は良く、毎晩のように食事を共にしている。姉妹のようだと評判だった。


 リリは夕食を食べ終わると口元をハンカチでそっと拭き、自前の箸をケースにしまう。そして思い出したようにポケットからメモを取り出した。四つ折りにされたメモを開くと、「夜9時に第二練習室 ミッジ」と書かれている。特徴的な粒のような丸文字で、マネージャーのミッジのものだと一目で分かる。


「そういえばベル、今晩……」

「ミッジでしょ。私も呼ばれたわ」

「何かしらね」

「さあ。クビになんなきゃいいけど」


 ベルはショートヘアに肩が付くほど大げさに肩をすくめてみせた。ベルとミッジは揃って勝気で、水と油の関係。普段からも何かにつけて罵りあっている。


「ベルはそうかもしれないけど。私がクビになる理由はないもの」

「うるさいわね」


 話題は今回の寄港先きこうさきの観光地に移った。食堂の窓からはこの街を象徴する時計台や、ショッピングモールの灯りが雪の湿気でぼんやり浮かんで見える。ベルは窓で息を曇らせて、それらの建物を指で囲って丸をつけた。しかし、窓枠の中で一番存在感を放つのは、やはり巨大なサーカステントである。



 ――タージ・マハルを模倣してつくられたサーカステントは、昼は日に照らされ純白に輝き、夜は薄紫色にライトアップされ蜃気楼のように幻想的に浮かび上がる。プラネタリウム仕様の円蓋ドームの天井には無数の星が映しだされており星空を見ているだけでも飽きることはないが、公演中はその星空に絹幕が下がり、空中演技エアリアルや空中ブランコが飛び交う。その様子はまさに夜空にきらめく星たちの舞踏会のようである――



「夜空にきらめく星たちの舞踏会…」

 そう言うとカイは少女の手から“カナリア座公式パンフレット”をひょいと取り上げた。とつぜん背後から腕が伸びてきたので少女は思わず悲鳴をあげる。


「甘ったるいうたい文句だな」

「か、返して下さい」


 少女がパンフレットを取り返そうとするとカイは腕をひらりとかわしそのまま壁の方向に向けた。その先には、大きく赤い文字で「関係者以外立ち入り禁止」と大きく書かれている。


「さっきから何度も注意してるんだけど」


 少女は先ほどから聴こえていた声が自分へ向けられていたことを知った。手元のパンフレットに夢中で、雑音程度にしか受け取っていなかったのだ。辺りを見わたせば、サーカスで使われている機械や照明道具が薄明るい光に照らされ、寂しいオブジェのように並んでいる。少女はようやく自身がサーカスの倉庫へ迷い込んでいるらしいことに気が付いた。


「船の入り口を探していたんです」

「ベネディクト号のこと?」

「はい、オーディションに来たの」

「搭乗許可書は?」

「持っていません」


「じゃあ行っても入れないと思うぜ。関係者以外立ち入り禁止なんだ、ここと同じく」


 カイはに目一杯の嫌味を込めて、少女の鼻先にパンフレットを突き返した。きっとまたサーカスの追っかけだろうと推測した。カナリア座は船舶ベネディクト号で世界を旅するサーカス団である。船で巡業じゅんぎょうするサーカス団というだけでも珍しいが、そこに優秀な曲芸師たちのパフォーマンスが相乗そうじょうして、カナリア座は世界中のどこへ寄港しても脚光をあびる。団員たちの住居と移動手段を兼ねたベネディクト号にも、時おり巧みに口実を並べて侵入を試みるファンが現れるので、怪しい人物は問答無用に追い返すようにミッジから厳しく言われている。


「申し訳ないけど、邪魔だから帰ってくれ」


 申し訳ない素振りなど微塵みじんも見せずに会話を切り上げたカイは、少女に背を向けて道具の運搬を始める。雪が酷くなる前に倉庫内を片付けたいカイは、「担当者ではないので分からない」で全て押し切るのがミッジのマニュアルの通りに。少女の方も、目の前の青年に信じてもらえていないことを察したらしくカイの後を追う。


「待って、見せてあげますから」

「だから……え?」


 マニュアル対応外の発言にカイが振り向くと少女がコートのボタンに指をかけていた。コートを脱ごうとしているらしい。


「えっと、何して……」


 冷えたコンクリートの床にコートがぱさりと落ちる。


 水色のレオタード。


 少女がコートを脱ぐと、新体操で見るようなレオタードがあらわになった。細かな水流の刺繍と散りばめられたパール、そして腰に巻かれた水色のリボンから広がる波のようなチュールスカート。コートの立て襟で隠れていた輪郭はシャープで、寒さで陶器のように血色の無い肌が、桃色の唇を一層に引き立てる。


 先ほどの甘ったるいうたい文句であふれたパンフレットなら、海のシンデレラとでも形容するのだろうかと、カイはふと思った。驚きで目を丸くしているカイをよそに少女はトランクケースからバトンを1本取り出し、深々と礼をした。


「では、オーディションの練習も兼ねて」


 カイはようやく何が起こっているのかを理解した。オーディションの参加者であることを証明するために、一芸見せてやるとの魂胆らしい。


 少女は小さく息を吸ってバトンを真上に投げ、それが滞空している間にターンして落ちてくるバトンをキャッチする。リズムよくターンする度に、スカートがパラソルの様に広がる。徐々にスピードを上げていっても正確にバトンを受け止めている様子を見ると、全く目が回っていないようだ。


 次に少女はバトンを斜め上に投げて、側転を披露した。そしてバトンは大きく回旋しながら、少女の手中に戻っていく。何処へ投げても、何処へ投げても少女を追いかけて弧を描いて戻ってくる光景は、ツバメが巣に戻っていくようで、まるでバトンに意志があるような奇妙な光景に見える。


 今度は4、5メートルの高さ、屋根のギリギリまで放り投げ、3回ターン。落ちてくるバトンを、指揮者が演奏を終える時のように、横へってキャッチした。


 そして姿勢を正し、再度深々と礼をして、微笑む。


「マレカ・シャウトンです。オーディションに来ました。」


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淡雪とカナリア 松嶋弓緒 @suzukaito

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