第3話 ヒュドラ
――カインさんの戦いは、見事としか言いようがなかった。
やはりSランクは伊達ではない。三体のうち二体のデイモンを一人で引き受け、それでもまだ余裕のある動きだ。地を蹴り、宙を舞い、確実にダメージを与えていく。
それに対してボクとエリムさんは、一体のデイモンに手も足も出ない。
「くそっ、やっぱり――!」
昨夜のように魔法を放とうと試みるが、しかし不発に終わった。
身動きを取ろうとしないエリムさんを抱えて逃げ回っているだけで、そろそろ限界が近い。剣を振るってみても、未熟な腕ではデイモンの筋骨隆々な身体を貫くことは出来なかった。容易く弾かれて、踊りかかってくるデイモンの丸太のような腕を躱す。
それだけで、精一杯だった。
やはりどう足掻いても、ボクには戦う力なんて――。
「アル!」
「カインさん!!」
その時だった。
ちょうど二体のデイモンを仕留めたらしい。カインさんがボクたちの方に加勢に来てくれた。これで、どうにか生きて帰ることができる。そう思った。
「あとは任せておけ。エリムを頼む」
「わ、分かりました!」
そう言って、彼は放たれた矢の如く飛び出していく。
そして目で追うのがやっと、という速度でデイモンの背後に回り込み――。
「悪いな。後輩の手前、手加減は出来ないぜ!」
一言、そう口にして剣でその肉体を貫いた。
断末魔が響き渡り、デイモンの肉体が魔素に還元されていく。
カインさんはふっと、一息ついてからゆっくりとこちらへとやってきた。
「終わった、な」
そうして、エリムさんを睨むように見ながら言う。
そこにあったのは、明らかな敵対心か。もしかしたら、ボクをそそのかしてダンジョンへ招き入れようとしていたことを責めているのかもしれない。そんな眼だ。
「ま、まぁ! これでエリムさんも分かってくれただろうし、もう帰ろう? それでとりあえず、今回のクエストの成功を祝おうよ!!」
その空気に耐えかねて、ボクは二人の間に割って入った。
だが、その時だった。おもむろに――。
「敵影感知。アルフレッド様、前方より五体の――」
こう、口を開いたのは。
「ヒュドラがきます」――と。
その名は、冒険者の中でも恐怖の対象とされる魔物のそれ。
なにかの冗談だと、そう思った。だけど、
「…………え?」
直後に、宙を舞ったカインさん。
それを目の当たりにして、ボクは息を呑んだ。
◆◇◆
ヒュドラは八つの頭を持ち、猛毒のブレスを吐く蛇だ。
その装甲は固く、並の剣技で打ち破ることは不可能とされていた。それ故に、討伐の際に適正とされるランクは――SSだ。
すなわち、カインさんでも歯が立たない相手。
しかも、それが三体も……。
「それが、どうしてこんな階層に……!?」
さらにもう一つ、大きな謎はそんな化物がなぜここにいるのか。
ヒュドラの生息域は十階層よりさらに深いと、文献には記載があった。それよりも浅い階層だと魔素が薄くなり、生存できないからだ。
それだというのに――。
「いや、今はそれどころじゃない! カインさん!!」
ボクは倒れる恩人に声を投げかける。
すると彼はうめき声を漏らしつつ、剣を支えに立ち上がった。そして――。
「――逃げろ! ぐ、ここは、俺が……!」
そう、ボクとエリムさんに言った。
血を吐き出しながら、震える足に鞭を打って。
その背中には、ここを訪れる時に交わした約束を守らんとする思いがあった。それを受けたボクは、どうすれば良いのか。その答えは……。
「……っ! エリムさん、行こう!!」
「アルフレッド様……?」
逃げることだった。
憧れとした人を置き去りにして、逃げることだった。
それはなんと罪深いことか。その罪悪感に苛まれながら、ボクは――。
◆◇◆
遠くなっていくアルフレッドの気配を感じ取りながら、カインはふっと息をついた。どうやら後ろめたさはあるものの、言った通りに動いてくれたらしい。
その判断の正しさに、彼はひとまず安心した。
そうでなければ、自分がついてきた意味がなくなってしまうのだから。
「へっ、それにしても……」
カインは血の混じった唾を吐き出しながら、悪態をついた。
想定外の事態ではあったが、これは気を抜いた自身の失点だと、カインは思う。
一歩間違えれば、愛おしいとさえ思っている弟分を、殺してしまうところだったのだから。彼が死ぬぐらいならばきっと、自分もまた死を選ぶだろう。
カインはそう思ったから、アルフレッドを逃がしたのだ。
彼の中での自分がどういう扱いかは分からない。それでも、自分ほどアルフレッドを愛している者はいない。そんな自信だけはカインの中にあった。
だから――。
「せめてもの、時間稼ぎ……。付き合ってもらうぜ?」
カインは目の前の死の行進を見ても、怯むことはなかった。
むしろ自らその只中に飛び込もうとする、そんな気持ちまであるほどだった。
だが、所詮は気持ちだけ。彼が一歩を踏み出すより先に、ヒュドラは大きく頭を振って、猛毒を含んだブレスを吐き出すのだった。
「ぐっ、あぁ……!」
一身にそれを浴び、後方へと吹き飛ばされるカイン。
壁に背中をしたたか打ち付け、またも血の塊を吐き出した。
「ここまで、かよ……! ちくしょう!」
ズルリと、腰が落ちていく。
もう立ち上がるだけの気力はなかった。
せめても、と。カインはヒュドラを睨み上げるが、魔物には感情というものがない。一定の速度で奴らは彼のもとへとやってきていた。
――あまりにも、あっさりとした死。
それが、カインに与えられた運命。
彼もまたそれを受け入れたのだろうか、ゆっくりと目を閉じた。
「………………ふっ」
そして、最後に小さく笑って。
うっすらと目を開けると、そこには――。
「な…………!?」
――幻想だ、と。
カインはそう思った。何故なら、そこに立っていたのは……。
「――アルっ!?」
見間違うことなどあり得ない。
愛しの弟分。アルフレッドの姿だった。
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