第64話 できないの

 決着が近付いていた。恐らく戦場にいる全員がそう思っていただろう。

 そして明らかに、勝利に最も近いのはガダナバだった。

 百人以上いた軍人はもはやまばらで、横たわっている者が圧倒的に多い。しかしアシュラドは自分の『操作』によって死人が出ることを恐れており、回避以上のことができない。

 三年前、家族に等しい一族全員を、アシュラドは殺した。

 見知った顔が次々に正気を失って襲いかかってきたとは言え、命は失われていなかった。そこへ止めを刺したときの断末魔を、一日だって忘れたことはない。耳の奥でずっと鳴り響いているような感覚があるし、目覚めてまず初めに浮かぶのはいつだってあのときのことだ。

 ひとが死ぬのを嫌っている理由は、以前マロナが言ったように『優しいから』ではない。

 アシュラドにとって、目の前で死を目撃すること自体がトラウマなのだ。自分が苦しいから誰にも死んでほしくない。たとえ敵であろうと……いやむしろ、自分を殺そうとしている相手が死ぬ、というのはあのときの記憶をダイレクトに、生々しく引き出してくる。

 そしてさらに、ガダナバに『操作』は効かない。

 効かない理由は、ガダナバの身体が機械に改造されており、四肢を動かす方法が普通の『人間』と異なるためだと判明した。そんな技術をアシュラドは知らないが、目の前で実現されているのだから、考えても意味はない。

 そして判明したところで、対抗策は変わらない。

 他人を『操作』してガダナバを襲うしかないが、軍服を差し向けたら確実に殺される。それによってガダナバはますますアシュラドへの憎悪を膨らませ、残った軍服たちはさらに士気を上げる。

 結果、膝を地面に突いたまま、襲い来る軍服たちをごく短い時間『操作』して攻撃を食い止める以外、できていない。

 その間サイとキリタは、ガダナバの隙を突こうと何度も攻撃を仕掛けた。しかしいずれも不発に終わり、反撃を喰らいながらなんとか致命傷を避ける、というのを繰り返していた。

 正確には、ふたりの攻撃は何度かまともに当たっている。だが、『最硬』の二つ名が示すとおり、まるで効いていない。むしろサイの青竜刀は刃こぼれし、キリタの重剣はへこんでいる。生半可な鎧よりずっと上質な金属だと確かめられたところで、打開策が見出せない。

 その上ガダナバの攻撃射程は極めて広い。なにせ、拳が飛ぶのである。

 拳も金属製であり、高速で鉄球が撃ち出されるのに等しい。つまり、大砲だ。今のところなんとか回避しているが、直撃すれば風穴が空いたっておかしくはなかった。

 これらの状況から導き出される今後の展開は、解りきっている。

 まずサイかキリタのいずれかが倒れ、ひとりになったもう片方もいつまでも抵抗はできないだろう。ふたりがいなくなればガダナバはアシュラドを直接叩く。『操作』しか戦う手段のないアシュラドは、すんなりやられるか、でなければトラウマを無視して軍服をガダナバに向かわせるしかないが、それで倒せる相手でもない。

「このままじゃ、全滅だぜキリたん」

「僕らがやられたら、どうなる?」

 動き回りながら、サイとキリタが短い言葉を交わしていく。

「まあ、アシュがやられるな」

「それで満足して帰ってくれるかな?」

 口調こそ軽いが、全身に汗を掻き、息は乱れている。かわしているとは言え、打撲も多い。

「パナコを見逃してはくれないだろうな」

「てことは」

「やられるわけにゃ」

「いかないね!」

 もはや何度目か解らないアタックをかける。

 キリタが重剣でガダナバの顔面を狙い、サイは青竜刀で足首を狩る。

 ふたりの眼前からガダナバが、消えた。

『なにっ!?』

 驚愕の声が揃ったとき、ガダナバは空中にいた。まるでヴィヴィディアのように、身長の何倍もの高さまで跳躍している。しかも、落ちてくる気配がない。阿呆面で見上げるサイとキリタの視界では、もはやガダナバは黒い点だった。

 その点に向けて、視界の外からもうひとつの点が入ってきた。

 点と点が激突し、片方が弾かれる。

 弾かれたほうは岩壁の外側へと落ちていく。

 そしてもうひとつの点は、サイとキリタの真上に落ちてきた。

「パニィイイイイイイイッ!」

 キリタが抱き留めようと重剣を放り投げて両手を伸ばし、同時に意味なく唇を突き出す。

「うごほぉっ!」

 そして蹴り飛ばされ、転がった。

「パナコ」

 サイの呼びかけに、着地したパニーが振り向く。

 泣く寸前の顔だった。既に泣いたような跡も頬に残っている。

 その姿に、防戦一方で勢いを失いかけていたアシュラドの意識も覚醒する。

「パナラーニ……?」

 その姿を映した瞳が、驚きから、みるみる怒りに変わっていく。

「……何故来た! まさかもう……『やり直してきた』のか?」

 パニーはアシュラドに身体ごと向いて、目を閉じながら激しく首を横に振る。

 塔の屋上から助走をつけ、この台地まで跳び、その勢いで空中のガダナバを蹴り出した。

 そのヴィヴィディアならではの異常な脚力にはアシュラドも改めて驚嘆したものの、それ以上に戸惑いと憤りが強かった。

 セルクリコでは、パニーが城へ向かうのを止めはしなかった。敵が主力ではないと思っていたからだ。が、怪我をしたパニーを見て、見込みが甘かったと内心後悔した。口には出さなかったが、怪我人であるパニーを『操作』して決着をつけたことを恥じた。他に方法がなかったとは言え、は、アシュラドにとって無力の象徴である。

 アシュラドにとってパニーは、『生き残り』という意味で自分と近しい環境にある無二の存在だ。やり直させるためなら、どんな協力も惜しむつもりはない。ただし同時に、もう危険に晒したくないという想いも生まれていた。

 やり直すためにガダナバは避けて通れない壁だ。

 そしてその前に姿を見せるのは、この上なく危険なことでもあった。

 だから先ほどアシュラドがパニーにナウマの説得を頼んだのは、嘘というわけではないが、戦いの場にパニーを連れていかないための方便の意味合いが強い。

 だから、のうのうと現れたパニーを見て、頭に血が上った。

「ふざけるな! 早く戻れ! 今すぐ!」

「アシュラド」

 パニーの顔がさらに歪む。

「アシュ……ごめ……」

 言い返されると半ば予想していたのに、少なくなったとは言え敵のまっただ中で涙を流し出したパニーに、アシュラドは混乱した。

「あ……いや……強く言い過ぎた」

 言いながら、いやいやなにを言ってるんだ俺は、とも思う。

 いやだいやだ、というようにパニーは首をまた振る。

「できないの」

 そう、聞こえたのとほぼ同時に、壁の下から台地にガダナバが飛び出してくる。

「色鬼ぃいいいいいいいっ!」

 声だけで殺せそうな怒気をはらみ、空中で繰り出した右拳が、飛んだ。パニーの後頭部に向け、猛スピードで直線を描く。パニーは反応するそぶりすらない。アシュラドがパニーを『操作』して回避しようとするが、反応が遅れる。

 しかしその拳は寸前で軌道を変える。

「カァッキィイイイインッ!」

 キリタが飛び込み、両手で構えた一本の重剣を、腰を回して渾身の力でフルスイングした。

 拳の真芯を捉え、快音と同時に弧を描いて空へ消えていった。

「ぐぁああっ!」ガダナバの手首から伸びていた鋼鉄の線が千切れる。

「ホォォオームラン!」

 サイが叫んだ。軍服たちは星になった拳のほうを向いて、大口を開けている。

「貴様ぁあああっ!」

 台地に下り立ったガダナバがキリタへ向けて突進する。

「パニーが見てるからね。今の僕は」

 キリタは悠然と笑みを浮かべる。余裕を取り戻したわけではない。

 格好をつけたいのである。

 ただし、生憎パニーは全然見ていない。

「『ムテキリタ』だぁあああああっ!」

 ステップを踏み、向かってくるガダナバを迎え撃ち、剣の重さで身体を振り切る。

 重剣の先端がガダナバの突き出した拳とぶつかる。空中で拮抗し、止まる。

「くっぉぉおおおおおおおおっ!」

 歯を食いしばって渾身の力をかける。

 その隙にサイが青竜刀で背後からガダナバに襲いかかった。

「雑魚どもが!」

 ガダナバが吼える。左拳でキリタの身体を押し切り、遠心力で振り返り様、拳のなくなった右腕でサイの青竜刀を受け、弾く。

 しかしサイもキリタも、後退しながら全力の笑みを浮かべた。

「そろそろ本気出すかっ!」

「んー、やる気スイッチ陥没したぁっ!」

 ガダナバは忌々しげに舌打ちをかます。

 そこに差し込まれた声は、アシュラドのものだ。

「パナラーニ。今……なんて」

 その目は、真っ直ぐパニーだけに向いている。

 キリタらの攻防の間にパニーが放ったひと言を、アシュラドだけが聞いていた。

 しかしそれは、今一度聞かなければ到底信じられるものではなかった。

 尋常ではないアシュラドの顔に、キリタもサイも、ガダナバすら一瞬注意を引かれ、怪訝な顔を向ける。

 そこへ背を向けるパニーが、涙ながらに叫んだ。

「過去に戻ることなんて、できないの!」

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