第43話 あの挿入感が忘れられなくて

「……マーケティング?」

「そりゃ、僕たちは『人間』の敵ではありません、っていう広告宣伝、イメージ戦略さ。そうやってもし奴らが鬼と認知されなくなり、『人間』の隣で当たり前のように息をして、繁栄していったら……どうなると思う?」

「共生して、平和な」

「『人間』の生殺与奪を、奴らに握られる」

 確信を持った声がマロナを遮る。

「そんなこと」

「ないと何故言い切れる? 俺はな、鬼どもを侮ってるわけじゃない。むしろ逆だ。自分たちよりも能力の高い生物が傍で生きているというのは、奴らの都合で『人間』がいつでも滅びるリスクがある、ということだ。仲良くできているうちはよくても、例えば鬼どもが絶滅の危機に瀕したとき、奴らは確実に『人間』よりも自分たちの生存を優先させる。

 そりゃそうだ。『人間』だって、そうやって獣に怯える生活から脱し、文明を築き上げてきたんだからな」

「だ」言葉に詰まりそうになり、マロナはとにかく口を開く。「だったら、どうしてあんたはセルクリコにいたの? 『人間』との共生を掲げて移民を受け入れてたセルクリコにいたってことは、その思想に賛同してたんじゃないの!?」

「いいね!」

 弾けるような勢いで指差され、マロナは面食らう。

「いい質問だ。あれこそ、色鬼の都合さ。奴らは長命だが繁殖力が弱く、そのくせ生存のために大量の食料を必要とする。個体数が少ないうちは良かったが、繁殖力が弱いと言っても徐々に増えてしまった結果、自分たちだけじゃ自分たちの食料を生産できなくなった。とは言え狩りで補えばたちまち生態系が崩れ、いつかは滅びるしかなくなる。もちろん、他国から食料を輸入するという選択肢もあったが、生産性が低いんだから当然、金なんてない。

 そこで、圧倒的に個体数の多い『人間』に目を付けた。

 色鬼からすれば『人間』の生産性には目を見張るものがあった。だから移民として受け入れ、国全体の食糧自給率を上げた。だがセルクリコはあくまで色鬼の国だ。『人間』は労働者階級や軍属の一兵卒クラスのみ。国の社会保障や雇用制度も、あくまで色鬼が優先された。

 言い換えようか?

 つまり、セルクリコは食料を生産する家畜として『人間』を飼ってたんだ」

「違う!」たまらずパニーが叫んだ。「そんなことない! そりゃ、色々なひとがいたけど、父さんはヴィヴィディアの特権を廃しようとしてた!」

「喋るな、気色悪い」

 ガダナバは顔を嫌悪に歪め、目を剥き出してパニーを黙らせる。

「確かに、マディファニ王がそういう働きかけをしてたのは事実だ。が、それは『人間』を体よく使うためのポーズだったかもしれない。いや、仮に本心だったとしても、それで鬼どもがみすみす特権を手放すわけがない」

 一拍置いて、ガダナバはマロナに視線を戻す。

「質問に答えてなかったな。俺はセルクリコへ行く前から、奴らの意図は解っていた。その上で侵入したんだよ。『人間』の未来のため、色鬼を滅ぼす機会を窺うためにな」

 パニーが短く息を呑む。耐えがたいというように眉間に皺が寄った。

「……あなたは、狂ってる」

 呼吸が浅くなるのを止められず、マロナはやっとそれだけを言い返した。

「……まあ、いいさ。別に誰かに褒めてもらいたくてやったわけじゃない。

 滅亡の水際で救わない限り、『世界を救った英雄』は生まれないんだ。

 そうそう。そういう意味では俺ぁそこの牙鬼にひとつだけ共感してるんだぜ」

「……なにを」

「ひと知れず世界を救ったところで、感謝されない。そうだろう? ああ、返事はしなくていいぜ、言葉を交わすのも不快だからな。

 まあ、本音を言えば、そこでお前も死んでくれればよかったんだが」

 アシュラドはどのみち反応する気はないようで、構えを解かないままガダナバを睨む。パニーは怪訝そうに隣のアシュラドを見て口を開きかけるが、先にガダナバが続ける。

「とまあ一応説明してみたわけだが、おねーさん。その様子じゃ賛同してくれそうにないな。

 でも、やっぱり殺したくはないから、俺が鬼退治する間、黙って立っててくれないか。

 それなら今回だけは、俺も主義を曲げて見逃すよ」

 そう言って男がアシュラドヘ向き直り、特に返事を待たず床を

「ふざけんな」

 蹴る前にマロナが声を振り絞った。

「マロナ、やめろ!」

 アシュラドの制止も無視する。

「あたしはあんたの言う鬼のおかげで今も生きてる。

 あんたの理屈は『人間』の理屈なんかじゃない、あんたの理屈だ。

 だからあたしもあたしの理屈で動く。あたしにとっての鬼は、アシュやパニーじゃない。あたしを虐げ、脅かしてきたのはいつだって『人間』だった!」

「マロナ……」

 パニーの位置からでも解るほど、マロナは全身を震わせていた。その場にいつ崩れてもおかしくないぎりぎりのところで、立っている。

 ガダナバはほんの一瞬だけ驚いたように目を見開き、だがすぐに切り替え、溜息をついた。

「……あんた、いい女だな」

 アシュラドたちに向きかけていた身体をマロナに向けて、瞼を引き絞る。

「それだけに勿体ない。が、仕方ね……ぇくぁっ!?」

 その瞼が再度開き、同時に鼻の穴と口も開いた。

 全員の視線が一点に集中する。

 その先には床に倒れ伏すサイがいた。左手はガダナバのズボンを下ろし、右手から伸びた赤い棒が尻に吸い込まれている。

 すなわち、クリムゾンネギ。

「へっ、なにが『最硬』だ。今日からお前には『ケツネギ』の二つ名をくれてやる」

 誰ひとりそれに突っ込みを入れる余裕はない。ガダナバも必死に声を抑え、身体の動きを止めていた。

 アシュラドが腹の底から叫ぶ。

「逃げろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 それが引き金になって、マロナとサイとパニーが動き出す。

 実際のところマロナは腰を抜かし、サイは先ほどのダメージが抜けていなかったのだが、それを見越したアシュラドがふたりを『操作』し、四人は全力で酒場を飛び出す。

「サイ、なんであれ持ってたの!?」

「あの挿入感が忘れられなくてな、携帯してた!」

「どの方向に目覚めてんの!?」

「だがでかした!」

 マロナ、サイ、パニー、アシュラドの順で早口に言葉を交わす。

 そして入口の横で気絶するキリタも『操作』して、五人横並びで一目散に逃げ出した。

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