第22話 なんて美しい自己犠牲の精神

 パニーは片っ端から部屋の扉を開けていった。そして、ひとがいたら手を引き、抱きかかえ、火の壁を飛び越え、あるいは窓から飛び降りた。幸い大半は既に避難済みのようだったし、今のところ倒れた怪我人や遺体は見つけていない。まだ、ところどころ出火しているくらいで、建物が倒壊するほどではない。

 その過程で何度か軍服と鉢合わせたが、ひとりかふたりだけだったので、丸腰のパニーでもヴィヴィディアの筋力だけで十分倒せた。

 ヴィヴィディアの身体の強靱さは内臓にも及ぶ。肺活量も『人間』のそれと比べものにならないため、息を止めて動き回ることに支障はない。だがさすがに休みなく、火と煙の中を走り回っていては通常より体力を消耗する。

 そして玉座の間に入ったとき、パニーは初めて足を止めた。

 広間の奥に座る姿は、この国の王だ。酷く憔悴した顔をしているが、生きている。

 その両側には剣を向ける軍服が立ち、周りにも何人か同じ姿があった。その前には、子どものような体格の男があぐらをかいていた。ここには、火が回っていない。

「お、来たか。紅い色鬼」

 身体の線は幼いが、瞳の色は濁っている。目の下にはどす黒い隈があった。

 城を制圧した中隊の隊長、ジェシルである。

「君が牙鬼のところにいるって聞いてね。行くのも面倒だから、火をつけてみた。そしたら慌ててここに来るかもしれないと思ってさ」

 ジェシルはゆっくりと立ち上がり、薄く笑う。

「まあ、来ないなら来ないで仕方ないと思ってたけど、来たね。想定より早いくらいだ。

 しかし君、なんて格好だ。仮にも姫様が」

 パニーの顔や手足は黒く煤けている。部分的には火傷もあり、ドレスの裾や髪の毛の先も焦げていた。

「来てくれてありがとう。これで当初の予定どおり、君に王の死を見せられる」

 ジェシルが手をかざした。同時にパニーは玉座に向けて駆け出す。王を囲むふたりの軍服が、軍刀を振りかぶる。全力で跳び、パニーは王と刀の間に身体を挟み込んだ。背中に鋭い熱さと激痛が走る。王の頭を抱き締めて床に転がる。

「パ、パナラーニッ」

「……ご無事ですか」

 身体の下敷きになった王に、パニーは苦痛を顔に浮かべながら訊く。

「私より……君が」

「わたしは、頑丈に、できているので」

 身体を起こす。涙が出そうになって顔を背けた。

 もし王が斬られていれば、確実に死んでいただろう。自分を頑丈だとパニーが言ったのは嘘ではない。だが、傷は皮膚だけでは済まず、肉を切り裂いている。致命傷ではないが、痛くないわけがない。背中を伝う液体の感触が気持ち悪かった。

「……どうして、こんなことを」

 パニーはよろめきながら立ち上がり、ジェシルを睨んだ。

「へぇ、なんて美しい自己犠牲の精神だ」

 そう言って手を叩くジェシルの目は、蛆虫がのたうち回るのを見るように冷たい。

「サバラディグのひとたちは関係ないじゃないか!」

 今度は涙が溢れるのを止められなかった。傷の痛みが理由ではない。理不尽さに身体が破裂しそうな憤りを覚えた。

「はぁ?」ジェシルが嫌悪を隠さず唇を歪める。「関係あるようにしたのは、君だろ」

 そんなことは言われなくても解っていた。パニーは歯を食いしばる。

「……なにがしたいんだよ、君たちは」

「今さらそれを訊くかい?」

「『時の賢者』を探して過去をやりなおすんなら、今わたしを殺したって意味ないでしょ!?

 なのにどうしてわざわざ……こんな……!」

「ふっふ……なにを言うかと思えば」

 ジェシルは真顔のまま肩を揺らす。そして続いた説明に、パニーは顔を凍り付かせる。

「それはそれ、これはこれだよ。たとえやり直すとしても……その前に、色鬼は滅ぼす。この世界はこの世界でやり切った上で、気持ちよくもう一度やり直したいんだよ、僕たちは」

 理解できなかった。いや、理解したいとも思えなかった。考えるのをやめてパニーは涙を振り切り、瞼を全開にする。

「ぁああああああああああああああああああああああああっ!」

 背中の傷も忘れて、跳んだ。

 たった一歩で、数メートルの距離を詰め、ジェシルの喉元に手を伸ばす。しかし迎撃するように顔面へ向けてナイフが飛んできた。

(いつ投げた!?)

 腕の動きが見えなかった。パニーはすんでのところで首を捻り、攻撃を中止する。一歩後ずさって距離を取ると、立て続けにナイフが飛んでくる。それを紙一重でかわしていく。

 ジェシルの身体を視界に入れると、今度は短剣を手にしていた。

(……いや、なんだろ? 棒?)

 持ち手は剣だが、刀身は太い円柱状だった。長さも肘から指先くらいまでしかない。

 距離は五、六歩分くらいあり、明らかに間合いの外だ。なのにジェシルは突きを

「え?」

 繰り出した瞬間、棒が伸びた。不意を突かれ反応が遅れる。

 避けきれない、と確信するパニーの身体を鋭く尖る星形の先端が貫いた。

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