第14話 乳房を揉みしだく

 アシュラドが漆黒唐辛子を口と耳から吐き出し、がばりと上半身を起こした。

「な、なに?」

 今まさに完成した汁をよそおうとしていたマロナが肩をびくつかせる。

「奴らだ」

 見開いた目は窓の外に向く。

「……城のひとたち?」

 パニーの疑問に答えたのはマロナだ。「違う」アシュラドの呟きの意味を完全に察した様子で器を置き、パニーがこの短い間では見たことのない真剣な顔になる。

「……だが、少ねえな」

 独り言のように呟いて、アシュラドは立って扉へ向かう。

「アシュ!」マロナの声にも返事はない。

「多分……聞こえてねえぞ……」サイが死に体で言う。

「なんでよ?」

「唐辛子で耳がやられてるんだろ」

「……こんなときに!」

 いやお前がやったんだろ、という顔になったサイは、それを口にはしない。

「ど、どういうこと? 奴らって」

 パニーがマロナの袖を掴む。

「……落ち着いて聞いてね」

 マロナはパニーの肩に触れて目を覗き込んだ。そして続くひと言に、パニーの心は無条件に粟立ち、胸の奥から震えと、得体の知れない憤りがせり上がってくる。アシュラドに、ヴィヴィディアのことを持ち出されたときと同じように。

「セルクリコの……あなたの国の生き残りだよ。『人間』の側の」

 頭に血が上り、事情も聞かずパニーは外へ出た。

「パニーッ!」

 軽装で素手のアシュラドが、腕をだらりと下ろし、立っていた。視線の先には黒髪黒目、中肉中背の男がいる。少しずつ距離を取って、周りにあと八人、同じ格好の兵たちがいた。

 黒ずくめの服装にパニーは見覚えがあった。セルクリコの裾の長い軍服と軍帽だ。男の右頬には縦に走る傷跡があり、それが見た目の年齢を曖昧にする。青年にも中年にも見えた。

「意外にも、こちらが当たりだったな」

 男が笑みを浮かべる。指でなにかを合図すると、周りにいるうちのひとりが離脱した。

男の目には狂気と嘲りが、隠そうともせず張り付いている。パニーは久しく忘れていた、その目を向けられる感覚に背筋が震える。

「姫。お迎えに上がりました」

 恭しく礼をするが、欠片も敬うような響きはない。

「すぐに、お仲間のところまでお連れしましょう。おひとりでは、寂しいでしょうから」

 言いながら、腰の軍刀……幅広直刃の片手剣を抜く。しなりがないのは、斬ることより突くことに重点を置いているからだ。

「あな……たは」

 男の顔に、パニーは見覚えがない。だからこそ、心臓が縮むような感覚に襲われた。見知らぬ男に突然命を狙われる……そのことに、言い表せない拒絶感があった。

「さっきからなにを言ってやがる! 全然聞こえねぇーっ!」

 そのとき空気をぶち壊す大声量でアシュラドが吼えた。出てきたマロナが耳を押さえる。

「あんただけ聞こえてないんだよ。声、でかい」

 自分の声も聞こえないので、声量がおかしくなっている。だが当然マロナの声も聞こえていないので、アシュラドは男を指差し、マイペースに怒鳴る。

「てめーらがサバラディグに現れるのは解ってたからな! 先回りしてやった! 思ったより早かったじゃねえか! だが、この程度の人数で俺たちをやれると思うなよ!」

「残念だが、我々の役目は足止めだ」男がやや自嘲する。「当然姫は城にいる可能性が高かったからな。だが我々が城を攻めれば、お前た」

「しかしよくここに姫がいるのが解ったな! その点は褒めてやろう!」

「……いや、だからそれは解ってなかっ」

「かくなる上は容赦しねえぞ! どちらかが全滅するまでやることになる!」

「や、だから足止」

「かかってこいやぁああああっ!」

 全く噛み合っていない。

「よくわからないけど……あれ、いいの?」パニーが指差す。

「いいんじゃないの別に。やることは変わらないんだし」

 マロナの口調はやけくそ気味だ。

「……いいだろう」呆れと怒りを無理矢理ねじ伏せるような目で、男が長剣の切っ先をアシュラドに向ける。「お望みどおり、殺してやろう」

 殺気が、目に見えるほど濃くなった瞬間、アシュラドは瞼を見開く。

 その瞬間、男の手が、意思とは関係なく動く。

「なっ……!」

 そして隣にいた仲間に向いた。

 動いたのは、剣を持っていないほうの腕だ。指が開かれ、仲間の胸部を力一杯押し、掴む。

「むっ……ムツリ小隊長っ……!?」

 その仲間は、若い女性である。つまり男、ムツリはアシュラドに襲いかかると見せかけ、仲間の女性の胸を鷲掴みした格好になる。殺気が霧散する。

 数秒の、間。

「あっ! これはち、違うっ! 身体が勝手に!」

「……尊敬、してたのに……!」

 硬直した立ち姿で女性が傷付いた目を向けると、周囲が口々にムツリを責めた。

「小隊長! なにやってんすか!」

「セクハラっすよ!」

「しかも自分の意思じゃないみたいな言い訳まで!」

「てゆーかいつまで触ってんすか!」

「て、手が動かんのだ!」ムツリは情けない声を出す。

「素敵な感触過ぎて、とか言うんじゃねーっすよね!?」

「いやぁああああっ!」

「ちちちち違う!」

「じゃあ触った挙げ句クソみたいな感触だってことですか!? それも酷えよ小隊長!」

 アシュラドが、怪訝な顔をする。そしてさらに『操作』を試みる。

 ムツリが指をさらに開いたり閉じたりする。つまり、乳房を揉みしだく。

「やだぁあああっ!」

「手が勝手に! くそぉおおおっ!」ムツリが全力で抗う顔をしながら叫ぶ。

「あんたここになにしに来たんだよ! やめろっ!」

 軍服たちが束になってムツリと女性を引きはがす。女性は涙を堪えながら軽蔑の視線を向け、ムツリは三人がかりで身体を押さえられた。目は、アシュラドに殺意を向けている。

「卑怯だぞぉおおおっ! 話には聞いていたが、まさかこんな……!」

「なに言ってんだ小隊長! 往生際が悪いぜ!」

「だから違う! 奴は、他人の身体を意のままに操る『操作』の力を使うのだ」

「な、まさか……!? そんな」

「じゃあ、今のは俺たちの仲間割れを狙って……?」

 軍服たちの目がアシュラドに向く。思ったとおりに『操作』できないアシュラドは首をかしげていた。

「……お前たち、なにやってんだ? さっさとかかってこい?」

「えぇえええええっ!?」ムツリの顔が絶望に染まる。

「やっぱ嘘かよ!」

「敵のせいにするとか……どんだけ姑息なんだ!」

「前々から視線が怪しいと思ってたんだ、このむっつりムツリ!」

 軍服たちが次々に罵声を浴びせ、ムツリは凄まじい形相に変貌していく。

「待てぇぇええっ! これは奴の策だ! 惑わされるなぁああっ!」

 実のところ、アシュラドはムツリの剣を持つ手を操作するつもりだった。その後は剣を手放させようとした……のだが、漆黒唐辛子の痺れのせいで感覚が麻痺しているからか、思ったように『操作』ができない。アシュラドも首をかしげるしかなかった。

 端から見ていたマロナはそれを察した。こりゃ駄目だ、と息を吐き、家の中に呼びかける。

「サイ!」

「……無理。マジもう無理」

 うわごとのような声が返ってくる。アシュラドもサイも戦える状態ではない。

「……う。もしかしてこれ、なにげに窮地かも」

「マロナ……」

 パニーは呆れるべきか深刻な顔をすべきか迷う。

 パニーにはまだ、状況の全貌がよく解らない。アシュラドが自分を誘拐した理由と目の前の軍人たちは関係してるようだが、頭の中で考えがまとまっていなかった。マロナに話を聞きたいが、この状況では難しいだろう。

「仕方ない」

 小さく呟いて、パニーは息を吸う。そして叫ぶ。

「キリターッ、たすけてぇええええっ!」

「ぉおおおおおおおおおおおおおっ!」

 声が途切れる前に、家からキリタが飛び出してきた。クリムゾンネギを含んで転がっていたはずだが、唇が腫れて分厚くなっている以外は平常だった。

「パニーに手を出す奴は僕が許さん!」

 庇うように前に立ち、仁王立ちで拳を握る。

「貴様ら、パニーをどう辱めるつもりだ! 細部まで具体的に聞かせてもらおうか!」

 突然のハイテンションに軍服たちは一瞬あっけに取られるが、戦いの空気を感じるとすぐに表情を消して姿勢を正す。まだ『操作』の術中にあるムツリ以外は。

「マロナ。今のうちに事情を教えて。いったいなにが起きてるの。どうしてあのひとたちは……あなたたちはここへ来たの?」

 パニーの質問にマロナは落ち着かない様子で目をぱちぱちした。

「えっと……話すのはやぶさかじゃないけど、あの王子に任せても駄目なんじゃ」

「だいじょうぶ」

「え、だってさっき『武器を振り回す才能が致命的にない』って」

 疑問を浮かべるマロナに、パニーは「外なら、広いから」とだけ言ってキリタの背を見る。

 そのキリタが、背負っていた大剣を鞘ごと身体の前面に持ってきた。

 いや大剣……ではない。持ち手が、鞘の上下にある。

 キリタは両方を持つと、左右から一気に抜き放つ。鞘が地面に落ちると、姿を現したのは刃というより、無骨な鉄の塊だった。薄めに鍛えられてはいるものの、形は両刃鋸のように緩やかな放射線を描いており、切っ先は平べったい。一見して、斬ることも突くことも想定していない、叩くための武器だと解る。それも、超重量級の。

「な……なんだそれは」

 冷静さを取り戻したはずの軍服たちが固まる。そのうちのひとりが、気圧されたことを恥じるように軍刀を構えて飛び出す。

「どうせはったりだろう!」

 突きの切っ先はキリタの喉元を正確に狙っている。

 キリタが、迎え撃つように軽く跳ぶ。そして空中で腕を僅かに傾ける。それだけだった。

 次の瞬間、軍刀の切っ先は吸い込まれるように鉄の塊に激突し、軍服は真芯を捉えられた玉のように、直線的に数メートル吹き飛んだ。木の幹に激突し、沈黙する。

 身体を回転させながら、キリタは着地する。両腕の武器の先を地面に下ろすと、重さで土が抉られ、へこんだ。

 信じられないものを見た、という顔で硬直する軍服たちと同じ反応をするマロナの横で、パニーが先程の言葉の続きを口にした。

「キリタは……武器に振り回される才能は、超一流だから」

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