END ROLL
二〇〇七年 一〇月二七日 一六〇〇時
市立椎間高校 2-B教室
『本日の、椎間高校文化祭一般公開日は、ただいまの時刻をもちまして、全スケジュールを終了いたします。ご参加の皆様、来校ありがとうございました――』
校舎のそこかしこのスピーカーから流れ、あちこちで反響する聞こえにくい放送で、夕刻の校舎は一日を終えようとしていた。
コンロに乗せられた寸胴が特徴的なその教室からも、私服姿の一般参加者達が引き上げていく。一方、運営する生徒達のスペースではワイシャツ姿とTシャツ姿の男子生徒とが掴み合っていた。
「てめえなにTシャツ脱いでんだよ! 俺らで作ったもんだろうが!」
「『すいとん』なんてダッセェもん作ってる時にあんなやる気出したシャツ着てるなんてさらにダッセエんだよ! 誰だよこんなもん作ろうとか言い出したのはよお!」
制服姿とTシャツ姿の、髪を染めた男女数名が睨み合う中、一部の生徒は教室ロッカーから自分の鞄を取り出し帰り支度を始めている。彼らは前日の、文化祭校内開放日に放課後まで片付けを行っていたグループで、今日の片付けは担当外なのだ。
すると言い争う数名の中から、女子生徒が金切り声を上げた。
「おい矢頭っ! すいとんとか言い出したのお前だろ! どうしてくれんだよ!」
「ん~?」
呼びかけられた男子生徒、矢頭弾は意地の悪そうな笑みを浮かべ、少し心配そうながらも苦笑する剣持を廊下に促しながら言う。
「呑気にTシャツなんか作ってないで、クラスの会合に参加してりゃあクレープだのお好み焼きだの、そのシャツ通りのオシャレで青春じみたものが作れたんじゃねえかな?」
黒地にストリートアート調の筆跡で『2-B全員友情!』と描かれたシャツを顎で示し、弾は鼻を鳴らす。その態度にぎゃあぎゃあと抗議の声が上がるが、そこへジャージ姿の教師が通りかかり、
「いつまでも盛り上がってないで担当はさっさと片付けろぃ! 全日程終了だから教室は完全復旧だぞ!」
「っんだよ昨日の片付けの方が楽じゃねーかよ! 剣持どーなってんだよ!」
「あはは、多数決だからね」
若干だけ申し訳なさそうな剣持を鞄で押し、弾は教室の外へと押し出す。そして教師と生徒が言い争う喧噪を置き去りにして、夕日が差し込む廊下へと歩み出た。
「お疲れさん、剣持。これで多少はスカっとしたぜ」
「まあ、紫野さんたちのグループは仕方ないよね。でも今年は結構文化祭遅い時期になったから、すいとんいっぱい売れたね! 矢頭君の予測が大当たりだったよ」
「あんだけ味噌の匂い漂わせてれば、なんだって売れるさ。周りはソースか甘味系の粉ものばっかりだったしな」
早々に掲示物の撤去が始まる廊下から、弾は窓の外を見た。見慣れた灰色の街並みが、今は夕日を浴びて橙に染まっている。校門から帰る参加者達は皆、軽い足取りでその中へと進んでいった。
と、弾が懐を探る。取り出すのは、液晶画面が表面一杯にはめ込まれた電子端末だ。
「あっ! スマートフォン! 矢頭君買ったの? まだ出たばっかりで高いって聞くよ?」
「俺はバイトしてるからな。――うん、ただのメールだ」
興味津々の剣持を遮り、弾は端末を懐に戻す。そうする間に二人は下駄箱までたどり着いていた。
「――なんか矢頭君、一〇月に入ってから余裕が出てきたような気がするな。なにかあったの?」
上履きを仕舞いながら、剣持は呟いた。弾が驚いたように視線を向けると、剣持は手を振り、
「まあ、根掘り葉掘り聞こうとは思わないけどさ。結構頼もしいかも。今思えば、前はちょっとカリカリしてたような気がするし」
「お恥ずかしい限りで。――あ、剣持お前、人を委員会活動に引きずり込もうとしてるな? そうは行くかって話だ。けっ」
「ああん、昔のまんまになったあ」
ぽかぽかと叩きにかかる剣持を背中越しに、弾はポケットに手を突っ込んで玄関をくぐる。剣持は腰に手を当てて一息を吐くと、聞こえないような声で呟いた。
「なんか、一足先に大人になられちゃったような気がするなっ」
「なんだ剣持、もうお終いかあ?」
「まーだー!」
鞄を振り回して剣持が追いすがると、弾はじゃれ付きをそよ風のようにいなして笑う。夕刻の、疲れ果てた人が行き交う通りには一瞥もせず、軽やかな足取りで進んでいった。
と、校門を出てすぐの場所。文化祭に合わせて行われた学校説明会へ参加していたのか、中学校の制服を着た数人の少女達がいた。その内の一人が、ふと弾と目を合わせる。
その顔を見て、一瞬弾は苦み走った表情を浮かべた。そして少女は、無意識のうちに頭を下げている。
「? 知り合い?」
「いや、知り合ってはいないと思う。ただ、近所の子だろうな。同じ駅を使うぐらいに……」
「ふうん。それなのに、どうしたの?」
「――次はお幸せに、と思ってさ」
二〇〇七年 一〇月二七日 二一〇三時
ホビーベース・ヘキサ
「預かって直す分には構いませんがね、うちは九時までってのも決まってることなんですよ。今すぐパッと出来るようなことでもなし、今から初めてすぐに渡すなんてのはどだい無理な話なんですよ。ええ?」
「意地悪言わないでやってくれればいいでしょ! ボクお客さんでしょ! ねえなんで!?」
「お客さんの言うことだからってホイホイ全部聞いてちゃ、うちは今後閉店間際に誰か駆け込んで来たらその度に残業しなきゃならなくなるでしょうが。それに便宜を図って欲しければ相応の態度ってものがあるんじゃないですかねえ?」
レジ前でヘキサの壮年店員と言い争う、鉄道模型のケースを抱えた中年の男を弾と小菅はあきれ果てた目で見ていた。常連客を見送って戻ってきた六角もため息を吐き、スーツの上着を脱いで袖をまくる。
「まーたあの手の輩か。鬼多と一緒につまみ出してくるかな。小菅女史は掃除を頼むよ。弾はお疲れさん。気をつけて帰るんだぞ」
「はーい」
「お疲れ様です」
レジ機器を閉店集計モードへ移行させ、二人はそれぞれ席を立つ。小菅は伸びをし、
「ま、最近はああいう仕方が無い人達を見ても、もうなんとも思わなくなってしまいましたね。まともな人達がいることを大事にしたいです」
「そうだな。人に任せられる間は、あんなの相手に気に病むことはない。病んだだけ奴らの思うつぼってところさ」
「まったくです」
しみじみと言う小菅と、頷く六角に弾も同意する。すると六角は何かに気付いたように弾を見つめ、
「なんか最近の弾は一皮むけた感があるな。自分や周りが遭った目より、そこから見て取れることの方に比重を置いてるようだ。落ち着きが出てきたんじゃないか?」
「最近は直接酷い目に遭ってないんで。それより、小菅さんの方が一つ達観したように見えません?」
「ええ? 私の方こそ何もないですよ?」
掃除用のモップを手に取りつつ、小菅は手を振り、そして照れた様子でそそくさと売り場へ出ていった。弾はエプロンを外して畳み、六角と共に肩をすくめる。
「まあ、どのみちいい傾向さ。ただ、わかっていても面倒ごとはなくならないし、わかっているのに避けられないと余計に辛いってところもある。一生、いつ面倒ごとの方が優勢になるかもしれないと思うと、何も考えてないのが羨ましくなる時もあるかもな」
「だからって折れてしまう自分に気付いた時が、一番絶望するところでしょう」
苦笑する弾に、六角は驚いたような表情を向けた。ツッコみすぎたかと目をそらす弾に、六角は軽く肘の小突きを入れ。
「実感したようなこと言っちゃってえ。マジで何かあったんじゃねえの?」
「こ、この前買った新興メーカーの〈オブリテレイター〉のキットの出来が良かったんで、ゲームのストーリー周りについて自分の中でリバイバルブームが来てるだけですよ? テツガクテキでブンガクテキな気分で――」
「あるあるだけどマジかよ~!」
引き続き脇腹を小突いてこようとする六角を軽やかに躱し、弾はロッカールームに躍り込む。そうして身支度を済ませ、壮年店員と共に中年客を追い出しにかかり始めた六角へ手を振って店をあとにする。
二〇〇七年 一〇月二七日 二一一六時
梅戸市 市街地
弾は道を行く。繁華街の眩しい光が夜空を淡く照らす下、冷気に満ちて静かな住宅街の道。ふとこちらを追い抜いていった一台の自転車の、荷台にくくりつけられたラジカセが放送を流していた。
『九月半ばからの時期外れの流星群はいまだに観測が続き、専門家はこの他のいくつもの事象と合わせて珍しい天文現象が――』
その言葉に弾が空を見上げると、確かに瞬く間に三つの流星が走った。都会の夜空でもはっきり見える強い光だ。
「――エントロイドの残党かな」
独りごち、弾は視線を戻す。
あれからエデンⅣ……否、そこに暮らす者達にとっては地球の暦で一ヶ月。全ては概ね元通りになっていた。
グラビトン撃破と残存エントロイド掃討の後、シンギュラリティⅣによる物理波動放射が本格的に行われた。一週間ほどをかけ、手ひどく砕かれた惑星は元の形状を取り戻し、自然が生き返り、都市もまるで生物のように回復していった。
そしてその最中に地上に降りたエデンⅣ義勇軍の者達は、徐々に眠りに落ちていくようになり、駐留軍による地上回復工作に伴い元いた場所へと戻されていった。エントロイドの犠牲になった人々も、それぞれの在るべき場所で、全て夢の中の出来事だったかのように眠っていた。
元通りになるものはその通りに、明らかに以前と異なってしまったものについては辻褄を合わせ、シンギュラリティⅣが奏でる響きの中でエデンⅣという一つの曲は蘇っていった。そして二〇〇七年九月一九日から、全てをやり直すことになったのだ。
エデンⅣの住民はもう誰も、あの戦いを覚えていない。痕跡も――、
「まあ……完璧に元通りとはいかないな」
空の次に弾が見るのは、今歩いている上り坂の横に見える塀だ。ブロック塀だが、途中からブロックの形状が変化し、元は別々の塀だった物が融合したかのようだ。
元義勇軍参加者、再生した一般人共にエントロイド襲来の記憶を失った人々の間で、この直感的に見てもおかしな様々な光景のことは話題になっている。もっとも、目立ったものについては話題になるのに遅れて。
そんな中で弾は、ただ一人エントロイドとの戦いの記憶を保っていた。いまだに残るエントロイド汚染か、はたまたそこから蘇り見せた異なる力のためか。
そのために弾は駐留軍から監視の対象となり、さらに唯一人記憶を保ったエデンⅣ人として、話題にならないような小さな『異変』を報告する役目を仰せつかっている。
厄介ごとは尽きない。だが弾は晴れやかな気持ちだった。もう彼には、かつての九月一九日までのような、姿無く世界に覆い被さる怪物の気配は感じられない。得体の知れない化け物など、いなかったのだから。
上り坂を歩みながら、弾は遠くに見えてきた繁華街へ視線を向ける。その瞳が薄赤い光を帯びると、オプティと交わって得た視界が発動する。
街は光を放ちながら、黒い蒸気のようなものを吹き上げていた。時折、たなびくそれの形が、レギオバイトや、ピラノイドのような形状を取って見える。
怪物の正体だ。物心問わず脅かす、エントロピーの影。普遍する崩壊への力。世界の中にあるそれは、誰もを誘い、世界に倦み疲れさせ形となっていく。災害や脅威、あるいは怠惰や堕落として。
この星は時間を巻き戻した。つまりは、滅びの一歩手前まで戻ったということだ。そのままであれば、また同じことが繰り返されるであろう。
かすかに沈んだ心を抱えたその時、弾の周囲を巻いて風が走った。そしてその風の中に、弾の視界は自身から立ち上る穏やかな光を見出す。それは街のそこかしこからも、黒のオーラの下からも。決して多くはないが、掻き消すことの出来ない光。
義勇軍参加者や、駐留軍に救助された者達、あるいは生きていればそうなっていたであろう人々。滅びに抗い、時間の針を進めようとする者達の光だ。
彼らがいる。自分も含めて。そのことは、暗い蒸気が立ちこめるこの大地の上にあって、弾にとっては喜びだ。いずれ来る再度の滅び、あるいは挑戦の時に、また勝利することが出来るだろうと、信じさせてくれる輝きだ。
そして弾は、暗い大地から空を見上げる。いつか自分は、彼らを、この大地の上で終わらせようとするものから解放し、またあの空まで連れて行きたい、と。
いつ、どうやってかは思いつきはしない。だが最初の気付きが起こった今、弾の心は動き始めている。今上り坂を上がっていく足のように。
夜闇に一人、全てを抱えて、弾は上っていった。
二〇〇七年 一〇月二七日 二一二一時
梅戸市 高台の公園
そして、夜の公園。まばらな街灯が照らす中に弾はたどり着いた。
アパートと電線に区切られた空の下、弾はわずかに残った星空を見上げる。
ベンチで寝ていた浮浪者の男が、その姿に気付いてニヤニヤと笑いながら近寄ってきた。しかし弾が鋭い視線を向けると、ちょっかいを出そうとしていた男は一喝されたように身を縮めて踵を返す。わずかに残った黒い淀みを、弾が放つ光の波紋が押し流した。
そして見上げる弾の周囲で、風が巻き始める。つむじ風のような不確かな渦ではなく、人工的な気流だ。
光学的には、その空中には何も存在しない。だが空を見上げる弾の眼差しの中には、一つの翼が存在していた。
光学迷彩を限定的に解除し、空から降下してきた翼――スプライトエクスプレスがキャノピーを開く。オプティが顔を出し、フォスの音声も指向性スピーカーから発せられた。
『お迎えに上がりました、ダン。現在エデンⅣ宙域周辺のエントロイド群がアステロイドベルト帯において集結中。これを迎撃する戦いにおいて助力をお願いしているのは夕方の連絡の通りです』
パネルラインや各部の標識灯、センサー類を点灯させながら、白の翼は降下してくる。開かれたキャノピーの脇から、ワイヤーラダーが投下された。
『現在エデンⅣは波動修復の反作用でエントロピーが急激に減少しており、エントロイド達が舞い戻ってくる確率は非常に高くなっています。そして迎撃に参加できるエデンⅣ住民はあなただけです。ダン』
「ダン、行こう。
操縦席の縁から顔を出し、ハートマーク状のエフェクトを飛ばすオプティに、弾は不敵な笑みを浮かべて頷く。
「ああ、戦いに行こう。オプティ、フォス!」
ラダーの先、オプティがさしのべる手を掴み、弾は空中へと身を躍らせる。彼の姿を飲み込み、白い翼は一直線に宇宙空間へと駆け上がっていった。
『CONGRATULATIONS!』
『THANK YOU FOR YOUR READING!』
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