CREDIT8 妖精の飛翔機(前)
”二〇〇七年 九月二五日 〇一四五時”
エデンⅣ 惑星核領域
地底には空が広がっていた。
急速に流れ込んだ大気が、くり抜かれた惑星核の断面に走るマグマの光を拡散させることで、夕焼け空の色がその空間を満たしているのだ。
光源である壁面には、霞んで見えなくなるほど遠くまで亀裂が走っている。誰もがそれを視線で追っていった先、自然と眼に入ってくる空間の中央に敵は待っていた。
「――奴か」
「おっきいね」
『小天体級の質量を観測しています。前方、あの存在がエデンⅣに取り付いた決戦級エントロイドです』
減速し空間の観測を始めるゼップスを追い抜き、弾達はその存在と相対した。
それは、幾つもの鎌首をもたげ、うねり、とぐろを巻き、絡み合い、のたくり、蠢く一つの塊であった。鱗に覆われた長大な姿が幾重にも巻き付き合い、まるで巨大な脳髄のような姿を晒している。
蠢く多頭龍がそこにいた。しかし、塊の中からもたげられる全ての、数え切れない程の頭部は、その全てがつるりとした先端部を見せていた。全くの無貌。無貌の多頭龍である。
「こいつには名前ついてないのか、フォス」
『この規模のエントロイドを表わす表現は幾つか存在しますが、形態が確定しないことには』
「あえて名付けるならヒュドラなり、テュフォーンなり、オロチなり……。なんだっていいが、ここにいるこいつであることに代わりは無いだろう」
どうでもいいことのように、平良が言った。そして振り仰ぎ、
「計測の方は?」
『こちらゼップス。対象の汚染係数は過去のデータと照らし合わせてもトップクラス。保有エネルギーも、熱を持った大質量の惑星核を吸収していることで――もうこれは超新星爆発規模ですよ。まさに天文学クラス』
『他のクラックより進入してきた部隊との通信リンクを確立しました』
別のオペレーターからの報告と同時に、霞んで見える亀裂の先から飛び出す機影が見えた。莫大な海水の流れに押し出されるように飛び出してくる一団もある。
『幸いにも、敵の周囲に何らかの力場などは展開していないようです。ほぼ形態が成立して、エネルギーもエントロピーも体内に収束しているのでしょう』
敵の全貌を見渡しながら通信を聞く弾は、報告を読み上げる女性が弾達を何度か計測し、『弾の曲』を託した女性スタッフであることに気がついた。が、軽く驚いた次の瞬間には別のオペレーターからの指示が飛ぶ。
『駐留軍司令部シンギュラリティⅣより発令。反物質反応ミサイルによる飽和攻撃を開始せよとの命令です』
「よおし、義勇軍前進! 敵が何をしてくるかはまったくわからん! 護衛もよろしく!」
六角の号令に、一度は広がっていたエデンⅣ義勇軍が再び突撃陣形を形成する。平良も部下を促してその周囲に付き、弾も機体を前進させた。
『ダン。気分はどうですか? バイタルデータは心拍、血圧、脳波等、広い範囲でストレスの兆候を検知していますが』
「こんな状況じゃ、誰だってそうなるんじゃないか?」
『ごもっともです』
「ダンはだいじょーぶ」
オプティが、独特の眼差しで弾を見つめて頷く。一瞬振り向いた弾が視線を交わすと、オプティはネコのように眼を細めた。弾はその様子に小さく笑い、機体を進めていく。
「――矢頭弾。先行しすぎるな」
「平良大尉。今割りと気分がいいんです。……おそらく最後の機会なんでしょう」
筆でも滑らせるように緩い旋回やロールを描かせながら、弾はフォスの機体を進ませていく。隊列からさらに前へ出て行くが、無貌の多頭龍は弾達の一機などには反応しないようであった。
穏やかな気分だが、用心のために弾は武装のトリガーやボタン類に指をかける。その時、不意にオプティが顔を上げて叫んだ。
「――待って! なにかある!」
「!?」
咄嗟に、弾はオプティと同じものを見ようとした。こめかみに力を込めた途端、目の前になにか油膜のような虹色の層が迫り、すぐさま後方へ流れていく。通過した途端に、スプライトエクスプレスはその翼端から淡く気泡のようなものを発し始めた。
弾は知っている。これは先程、このエントロイドの『咆哮』とすれ違った直後にも起きた現象だ。
「こいつ……エントロピー汚染を全身に纏っているのか!?」
『機外汚染急速に上昇! 当機は先んじて汚染されているためある程度馴染んでいるようですが……この汚染度合いは、人類総軍の抗エントロピー処理でも耐えられない規模です――!』
瞬間、後席のオプティが通信機器めがけて声を上げた。普段はぽつぽつと喋る彼女らしからぬ金切り声で、
「攻撃待て――――!」
『!』
直近、平良隊や義勇軍は思わず操縦桿を動かしてしまったかのように挙動を乱した。そうして機体を捻った各機は、弾達が通り過ぎた油膜状の層を通過すると激しく気泡を発し始め、さらに水中から浮かび上がるように外へと弾かれていく。
「な、ん、だ、これは……!?」
平良が呻く頃、別方面からの攻撃隊はオプティの警告が届かなかったか強攻したのか、突入と同時にミサイルを放っていた。直近に見える隊で気泡まみれになりながらミサイルを放つのは、義勇軍と同じスペルソード・ムラクモ。機体もミサイルも等しく、沸騰する水の中に放り込まれたようにボゴボゴと泡に包まれていた。
そして、そのスペルソード・ムラクモ達は空間に溶けきっていった。霧散する機体を置き去りにしてミサイルは飛び、無貌の多頭龍を目指す。しかしその軌道も、みな一様にてんでんばらばらに乱れ、あらぬ向きへ曲がっていく。
瞬間、撃発した弾頭が流入した大気と反応する大爆発が連続。惑星の中心を埋め尽くす爆轟の中で、しかし無貌の多頭龍は一切の直撃を逃れてたゆたうばかりだった。
『か――各隊の攻撃機多数が消失!? ミサイルも直撃は確認できず!』
「義勇軍各機は自機データをゼップスにアップロードしろ! 弾、お前は平気なのか!?」
旋回して無貌の多頭龍から逃れていく平良や義勇軍を尻目に、弾達の機体は淡く気泡を発しながらも無事だった。弾が健在を示すべく機体を揺すると、ゼップスからの分析速報が上がった。
『機体表面が若干熔解している機体がいますね。抗エントロピー処理された金属がまるで氷みたいに……。これは、純粋に高濃度のエントロピー汚染が物質を散逸させているようです!』
「敵の周囲にその手のフィールドは存在しないのではなかったのか」
『この空間は惑星の全重量が集中している高圧空間でもあります。敵はそれを利用して身体を形成していたのでしょうが、固まりきっていないのかもしれません。全身の周囲を未使用のエントロピー汚染が覆っていて、高圧をかけられることで外へ一切兆候を漏らしていなかったのかも――』
圧縮されたエントロピー。普遍の広がりを持つ法則でありながらそんな状態を発生させるという事実が、エントロイドの存在の不条理性を物語っていた。
そして同じく不条理な存在が一つ。
『矢頭さん、そちらの観測データは!?』
『こちらフォス。ここはとてつもない汚染状況です。情報の転送にも障害が出るかもしれません。離脱しつつ、無圧縮のデータを送ります。ダン!』
「ああ!」
それぞれの見解や疑問、指示が連続し、スプライトエクスプレスは仰け反るような軌道で敵から離れた。翼から気泡が立たなくなると、すぐさま血飛沫エフェクトが爆発のように吹き出す。
『――うっは、これは酷い。敵周辺の汚染度合いは外部観測からさらに強くなってます。やはり圧力で圧縮されているフィールドがありますね。しかもこの規模では物質は分解してしまいますし、光学や事象系の攻撃も届くかどうか――』
『高強度のエントロピー汚染は、もはや因果にまで関わるレベルだからな』
分析に応じてそう述べる、ゼップス戦隊司令ゲイブであった。経験か、含蓄か、彼は顔をしかめているであろう調子で告げる。
『マーフィーの法則ってあるだろう。あんな調子にまでなるのさ。意図を持ってしたこと、作られたもの、全部が裏返る。注ぎ込まれたエネルギー全てが霧散してしまうような状況になるんだ』
ゲイブの言葉を裏付けるように、爆煙が晴れていく各方面では残存部隊がレーザーや光学機関砲、随伴してきた艦船の砲で攻撃を続行しているようだった。しかしその攻撃の大部分は、ふと掻き消えてしまったり、不自然な位置で屈折して逸れていく。
「そんな、どうしようもないんじゃ……!?」
剣持が、各方面の戦闘の光を見渡して呻く。だがそれを遮ったのは平良だった。
「いや、奴らがいかに分解や不毛の化身であっても、ここまで恣意的にそのようなことを起こしていれば何らかのほころびは生じるだろう! エントロピーは自然の法則だが、これは明らかに不自然だ!」
『俺達が成そうとしていることへの反発だからな……。一撃でも有効打を届けることが出来れば、こちらを対等に打ち消していることへのバランスが崩れるかもしれない……』
『こちらが投入したエネルギーと、打ち消されるエネルギー量は釣り合っているわけですからね。あり得る線ですよゲイブ司令!』
技術系の賛同もあり、ゲイブが鼻を鳴らす。そして仮説を聞いた平良が弾に視線を送った。
「一撃……。接近できそうなのは、矢頭弾の機体のみのようだが」
『万全を期するならば敵の構造内へ侵入する必要がありますが、先程得られたデータからは十分に機体を保ったまま、敵の中央まで飛行可能だと判断できます』
フォスが告げると、弾が小さく笑う。
「途中でミスしても、血飛沫から復活できるしな」
『ダン、それはもう……』
「冗談さ。ミスするつもりは無いよ。――平良大尉、俺は行きますよ」
ゆっくりと旋回し、弾達は一団の後ろに回ると少しずつ速度を増してそれを追い抜いていく。加速の光を灯すスプライトエクスプレスに、平良とアレス、剣持が併走した。
「お前は止まらんだろうな。だがフォス、オプティ、本当にいいのか?」
呆れて見せつつ、平良が問う。それに対し、後席のコンソールから顔を出したオプティは一度弾を見つめ、
「勝つのは弾だよ」
『是非には及びません。私は乗り手の意志の表現機ですので』
言葉を繋ぐフォスに、平良はもはや何も言わず機体を捻り、離れていった。入れ替わりにアレスのバッカニアが顔を寄せ、
「今日日中々無い大舞台だぜこれは。弾、こういい格好出来そうな所を見ると、譲って欲しくなっちまうぜ」
「ダメですよ。俺達がやります。格好つけられるなら尚更です」
ちぇ、と舌打ちしてみせるアレスの表情は、楽しげながら、どこか終わりが迫っていることへの寂しさが混じっていた。
「この他でもない世界に自分の存在を目一杯刻み込める機会なんです。中尉達は、オーディエンスを」
「盛り上げてくんなきゃブーイングだぜ」
『祈念:健闘』
重力カトラスのグリップエンドで機体を小突き、バッカニアはバレルロールを打ちながら飛び去っていく。最後まで残ったのは、剣持のスペルソード・ムラクモだ。
「また矢頭君は行くんだね……」
「また、追いついてくれるか? 剣持も、皆も」
「もちろん! もちろん……! だから、目一杯遠くまで駆けていってね。遠くまで飛んでいった矢頭君の影が、私達の希望の星になるんだから……!」
目を伏せ、何かを隠しながら剣持は明るく告げる。弾は頷き、背後のオプティに、フォスのコンソールに目配せした。
「フォス、オプティ。――行こう」
一直線に、スプライトエクスプレスは加速した。渦巻く破壊力めがけ、躊躇うこと無く。
”二〇〇七年 九月二五日 〇一五三時”
決戦標的近接空域
再度、虹色の薄膜を超えた機体からはすぐさま気泡状のエフェクトが生じ始めた。軽やかに泡立つ音を響かせ、スプライトエクスプレスは加速していく。
『さて敵ですが、観測によりますと中枢にあたる「部位」が存在しないようです。現在敵は全長五〇〇キロ、直径一五キロほどのワーム状巨大エントロイドの集合体として存在しています』
「なんだ、メドゥーサの頭みたいにどっかに繋がってるのかと思ったぞ。そんなんでどこに有効打を撃ち込むんだ?」
「ちょっと潜り込めば、あとはどこでも」
そう言ってオプティは自分の横にウインドウを浮かべると、前方の弾へとそれをスライドさせた。横目に見れば、そこには模式図となった無貌の多頭龍が中央へ向けて赤く染まったサーモグラフィー状の画像がある。
『この周辺のエントロピー汚染領域は本来敵が体内に取り込んでいるべきパワーです。それが吸収されずに周囲に存在してる現在、敵は成長過程でエントロイドとしての存在力にムラがあります。周囲からの圧力でこの巨体を構成しているため、実体の有無に関わらず中央部が敵の「芯」です』
「『その辺』で暴れりゃいいわけだ。アレス中尉なら大喜びだろうな」
弾の軽口に、オプティがしみじみと頷く。そして、弾の隣に送ったウインドウを操作して敵の模式図中央部を拡大した。
「スプライトエクスプレスで、なるべく大きな被害を出す方法が、これ」
『レーザーで標的一体を両断しつつ、ホーミングレーザーを無差別連射し突撃全方位攻撃を行います』
「両断とは大きく出たな。一体ごとの直径で一五キロはあるんだろ?」
『気付いていませんかダン。現在当機は、出力を高めつつあります』
そう言って、フォスはウインドウ外のキャノピーに常時表示されている項目の一つに矢印をつけた。『PLA』『ORB』『SOL-SYS』『SPA』『GAL』『STR』『FINAL』と項目が並び、今は『SOL-SYS』が点灯している。
「こいつは確か、出力帯の制限を示す奴だったな?」
「『
ABCを思い出すかのように、オプティが口ずさんだ。
『エデンⅣにいくつかの破断が生じた段階から、エデンⅣ宙域の戦域評価は惑星上から、障害物が多数存在する宇宙空間へと変更されました。それに伴い機動兵器類の出力、速度制限は恒星系領域での戦闘規模までリミッターを解除されました。――ゼップスも、あれだけの速度を出していたではありませんか』
「なるほど。……『ORB』より上ってことは、この星から出ていこうとしたエントロイド達を迎え撃った時よりも上だな?」
「時間をかければ超光速も出せるよ」
なぜか自慢げに言うオプティに、弾は唸る。そしてそれに応じるように、前方で無貌の首の一つがこちらを向いた。
「よし……。飛ばすぞ!」
『前方標的周辺に多数のエントロイド個体の発生を確認。存在が揺らいでいるため個体数が確定しませんが――』
「突破しちゃえばゼロ」
黒い霞のような敵群を纏い始める無貌の龍へ、スプライトエクスプレスは自身を蹴飛ばすような加速で飛び込んだ。レギオバイトやレッサーバイト、スパイクボールやバンディット、キラーツェッペリンの姿が見えるが、どれも色褪せ、さらに輪郭が揺らいで見える。
『周囲のエントロピー汚染を簡易的に凝縮させて発生させた個体のようですね』
「間に合わせか。存外敵も余裕が無いんだな」
機関砲の掃射が、先陣を切ってくるレギオバイトを容易く撃ち抜いていく。貫かれた敵はその場で黒い淀みの波紋となって広がり消えていくが、スプライトエクスプレスはそれすらも掻き消すように敵陣の中へと突き進んでいった。
甲高い咆哮を上げながら突進してくるレギオバイトは、正面に立ちはだかるものは機銃の餌食に。上下左右かそれ以外の角度から殺到する敵は背後へ置き去りとされ、抉るようなホーミングレーザーがまとめて貫いていった。空間には赤いスパークが根を張り、不用意に追撃しようとしたレギオバイトを巻き込んで閃く。
『前方、スパイクボールによる機雷群。周囲にキラーツェッペリンがいます。爆撃地帯です』
「おっと」
捻れるような急降下に転じ、スプライトエクスプレスはスパイクボールが不規則にばらまかれた空間を回避。そこへキラーツェッペリンから、後続のレギオバイト達から火球が続々と放たれ飛び交う。スプライトエクスプレスの周囲では、あらゆる方向から飛来する火球があらゆる方向へと飛び去っていく状況だ。誘爆したスパイクボールから生体ミサイルも放たれている。
だがフォスがフル稼働し、恐るべきカオスの空間に軌道を描く。その道は一つ二つから、弾とオプティが放つ攻撃で三つ四つと増えて枝分かれしていく。
「平良大尉達のようにできているかな?」
『あれを目指すなら、より多くの敵に向かいましょう。蹴散らし、戦域を支配する。それがこの機体の力です』
フォスに頷き、弾はキラーツェッペリン艦隊へ向かうルートへ機体を向かわせた。直前でスパイクボール群をわずかに突っ切って迎撃を躱すと、レーザーをチャージしながらそっと一隻の底面へ寄り添う。そして寄生砲塔エントロイド達がぎょろりと砲口を向けてくるよりも早く、レーザーがキラーツェッペリンの武装面を薙ぎ払った。
黒の波紋を連続して浴び、キラーツェッペリン自体も爆沈していく。その中から飛び出したスプライトエクスプレスは、再びチャージを開始したレーザー光球を掲げて別のキラーツェッペリンの艦底を切り裂き、追跡の砲火を置き去りにして飛び回った。先に回ったレギオバイトすら貫き、旋回の中でレーザーを振り回して敵戦力の中に明確な切れ目を生じさせていく。
自身が放つ赤い稲光のように、スプライトエクスプレスは幾度も軌道を折り曲げながら、自らが切り込んだ空間へ機体を突き込んだ。するとその先は、見渡す限りの黒い鱗の大地だ。
すれ違いつつある無貌の龍の首元。それはうねりながら何体かのエントロイドをその表面で吸収し、直後に鱗をさざめかせて火球を放ち始める。火球自身が周囲の空間に波紋を生じさせるほど、高エネルギーが込められた攻撃だ。それが、眼下一帯のそこかしこから、対空陣地の砲火のように撃ち上がってくる。
「単純な――」
スプライトエクスプレスは対空砲火の中へと躍り込んだ。すれ違っていく火球達の中で、その翼は逆光の影となって光の海を縫っていく。
巻き込まれたエントロイド個体が黒い波紋の爆風を上げて散っていく中、白い翼は砲火の広がる空間を抜け、無貌の龍の傍で影を脱ぎ去った。
『縮退炉全力稼働中。出力プールを確保。一気に加速できます』
「ぶったぎれー」
気の抜けるような声と共に、オプティが拳を振り上げる。そして、弾はスロットルを叩き込んだ。
巨大な扇のように立ち上がり揺らめき、砲火を放つ鱗の間を、スプライトエクスプレスが駆け抜けた。機銃とホーミングレーザーをばらまきながら急加速する機影は、突き抜けていく光にしか見えなかった。そしてそれを追うように爆光が連続し、押されるように無貌の龍は仰け反る。
『前方より新たな標的』
うねり離れていく無貌の龍から上昇していく弾達の前に、別の無貌が待ち構えていた。うねりの塊を背後に置いたそれは、光沢ある丸い頭部の中心から縦長の切れ目を生じさせているところだった。
「無貌の龍って言うより亀の頭じみてきたな」
「? 亀はあんなじゃないよ?」
『参考画像を検索しますか?』
弾がコンソールを小突いたその時、無貌の龍は生体組織を覗かせるその切れ目から、空中に赤い波濤のようなものを飛ばした。そのスケールから液体のように見えるが、その実体は、
『ピラノイドの大群です。推定個体数、一瞬で一〇〇〇万体に到達! さらにエントロイド個体を発生させながら迫ります!』
近付くにつれ、互いに激突し合いながら迫る円筒形の肉塊が、一つずつ見えてくる。それぞれがその表面を泡立てさせてエントロイドをまき散らしている様子まで、手に取るようだ。
「つくづく気色悪いんだよこの野郎!」
赤い津波に対し、白い閃光は一度折れて回り込んだ。そして機体を反転させて背を向けると、レーザーとホーミングレーザーの乱射で波頭を叩き砕く。掻き毟るような白と緑の光が、赤黒い波を幾重にも千切った。
「!? なんかくるよ!?」
不意にオプティが顔を上げた瞬間、空間自体が一瞬寄せては引いていった。直後、なにもかもをブレさせながら、無貌の竜が上げた大音声が空間を渡っていく。
強烈なプレッシャーを浴びたスプライトエクスプレスは、それまで速度で置き去りにしてきた気泡現象を全身から生じさせて減速。さらにそこへ、咆哮の波動に吹き飛ばされたピラノイド群が迫り、駆け抜けていった。赤い激流が何もかもを飲み込み、別の無貌の竜の表面で飛び散る。
ピラノイド達は咆哮を浴びてたまらず破裂したものや、衝突した無貌の竜の表面に根付こうとして逆に侵食されていくものなどが多数いたが、大部分は空中を漂い、根となる触手器官を振り回して藻掻いていた。直後、ピラノイド達が形作る赤い雲の中で光が走ると、それを吹き散らしてスプライトエクスプレスが飛び出してくる。
「――――! くそっ! 頭の中まで痺れるっての!」
「ダン、前になんかへばりついてるよ」
エントロピー波動を浴びて再度吹き出した鼻血を腕で拭った弾は、耳を覆うオプティに告げられる。すると、キャノピーの表示全面に機首に突き刺さったワーイールが映し出されていた。ピラノイドが吐き出した個体の一つだろう。
直後、スプライトエクスプレスは咳き込むように機体を震わせると、全身から血飛沫エフェクトを発した。圧力すら生じているのか、ワーイールは機首からすっぽ抜けてどこかへ吹っ飛んでいく。その姿を無言で見送った弾は、二体の無貌龍とすれ違って迫りつつある多頭龍の中心部分へ目を向けた。
もはや暗黒の濁流にしか見えないほど迫った敵。その時、遙か上空で鎌首をもたげていた無貌の龍の一体が、不意の動きで弾達の前まで顔を落としてきた。
「今度はなんだってんだよ……!」
弾が体ごと操縦レバーを振るって機体を引き起こし、激突を回避する。無貌の龍の背へ駆け上がった弾達が見るのは、雄大に広がる漆黒の鱗の平面だが、
『――!? 警告、大型エントロイド〈クリムゾンギロチン〉型、急速接近。直下……直下です、ダン!』
「は? クリムゾンギロチンって言ったら、あの海で戦ったエビじゃあ――」
フォスすら疑問混じりの警報に対し、弾は首を傾げる。しかしその瞬間に無貌の龍の背が波打ち、オプティが目を見張り、弾の眼にも迫り来る黒い波紋が映り、スプライトエクスプレスは翼を翻す。
直後、鱗の大海原をぶち破って赤褐色に色褪せたクリムゾンギロチンが、二つの鋏で虚空を断ち斬りながら跳び上がる。その脇を抜けて飛ぶ弾達の眼前には、無貌の龍の背が波打ち、クリムゾンギロチンをはじめとした大型エントロイドの大群を沸き立たせる光景が広がっていた。
『クリムゾンギロチン型、マッドコーラル型、ハードボルテックス型、ワックススタチュー型、グレートスパイク型、ジャイアントネオテニー型――多数接近!』
エビ、珊瑚塊、巻き貝、シーラカンス、ハリセンボン、そして肥大した赤子と、エントロイドに歪められた巨大生物が殺到してくる。スプライトエクスプレスは降り注ぐ甲殻、攻性胞子、硬化粘液、ナパーム、生体ドリル、そして耳障りな泣き声をくぐり抜けて走った。
波打つ鱗を翼の端で水面のように蹴立てて、スプライトエクスプレスは巨大なエントロイド達が乱舞する空間を貫いていく。攻撃力で前方空間を開き、推進力で後方を蹴り、迫り来る攻撃とすれ違いながら、
『追跡に転じる個体多数! 先頭はジャイアントネオテニー型!』
フォスがピックアップする後方警戒のウインドウには、ぶよついた笑みを浮かべた巨大な赤子が、無秩序に手脚を振り回しながら理不尽な速度でこちらを追撃してくる様が大写しだ。他のエントロイド達、移動能力が無さそうなものまで、無貌の竜のうねりによって吹っ飛ばされてくる。
「ボスラッシュってわけかよ……!」
瞬間、弾は機体を跳ね上げた。宙を返っていく機体が一呼吸前までいた空間へジャイアントネオテニーが噛み付くのを眼下に、ℓの字を描いたスプライトエクスプレスはその間にレーザーチャージを、ロックオンを済ませている。
「もとよりこっちだって暴れるつもりだぞ!」
巨大な赤子を後頭部から貫くと、縦の旋回を横の旋回へ切り替えてスプライトエクスプレスは一巡りした。光弾とホーミングレーザーが渦を巻き、着弾点で巻き起こる爆風から手が伸びるようにスパークが走る。
破壊力をまき散らして巨大な敵の波を切り崩したスプライトエクスプレスは、大回転の間に得た速度でまた無貌の竜の背を駆けていった。今度は、威力をばらまきながら。
手を伸ばし、爪を立て、壁を昇っていくかのように前方へと乱打されるホーミングレーザーに、無貌の竜が仰け反って悲鳴を上げた。だがスプライトエクスプレスは荒れ狂う敵の背筋を逃さず、丹念に打撃を撃ち込んでいく。
「この一撃ずつが、突破口になって行くんだよ……!」
レール上のジェットコースターの如く、無貌の竜の背に沿ってスプライトエクスプレスはうねりの中心へと滑り込んでいく。降り注ぎ、飛びかかり、追い立て、立ちはだかり、撃ったり掴みかかってくるエントロイドを排除しながら、目的地へと近付いていった。
悪寒や違和感に支配された肉体の中で、弾は自らの一挙手一投足が状況を切り開いていくことに確かな充実感を覚えていた。警戒の目配せや機体の細かな挙動の操作、照準と攻撃のための小さな動きが、エントロイドを撃破し、この星の未来を決める戦いを左右し、未来へ痕跡を残していくのだと。漠然と生きていては、一生をかけても今放つ一撃分の力も得られなかっただろう。
赤黒く粘り気を増した鼻血を拭いながら、弾は消耗して落ちくぼんだ目を爛々と輝かせる。死の間際であろうと、もう関係は無い。今この瞬間、自分は『矢頭弾の為すべき』を遂げ、完了していくのだ。
前にのめり――体は軋むような感触を寄越すばかりで動かなかったが――弾は吠える。
「突っ込め……!」
乱舞する鱗の嵐の中へ、スプライトエクスプレスは加速の尾を曳いて飛び込んでいった。
”二〇〇七年 九月二五日 〇二〇四時”
決戦標的中枢空域
無貌の多頭竜の影響範囲に突入してから、目まぐるしく変化していく状況を捕捉し続けたフォス。今、その位置で不意にセンサー類が捉える情報の量が激減する。
『これは――』
データ量の減少は、無貌の竜達が生み出したエントロイド個体群が遠ざかったことが原因のようだった。さらに周辺空間も台風の目の中のように、鱗の巨体が渦を巻いて循環する、緩く閉ざされた空間となっていた。
無貌の多頭竜が体を絡ませ合う、中枢のエリアであった。
『目標地点到達です。ダン、派手に行きましょう』
もはや何をしでかしても目標達成の位置で、フォスは問う。攻撃地点を走査し、武装への出力供給をアジャストし、待ち構える。
そして、返事は無かった。一瞬が過ぎ、一呼吸が過ぎ、スプライトエクスプレスは惰性の速度で空間を飛行し続ける。
『……ダン?』
そこで機載AIであるフォスの付随機能が、これまで外部情報の処理に割り振っていた思考リソースを再分配した。情報収集ラインが絞られたり保留されていた、操縦席内の環境情報の評価レベルが上げられる。
そしてフォスが得た情報は、弾が着いているはずの操縦席前席上に、一体の小柄なワーイールが鎮座しているというものだった。
『あ――』
シート上にわだかまり、左右の操縦レバーに触腕を伸ばしたそれは、機内カメラが捉えた全体像としては俯いた姿勢の人間のようにも見えた。ところどころに内側から引き裂かれたようなパイロットスーツの断片が張り付いていたが、震えるような触手の動きに飲み込まれたり、剥がれ落ちていったりしている。
『ダン、これは――』
フォスのAIとしての判断中枢部が麻痺している間にも、各機能は報告を投げかけてくる。各センサー類の時間分解能上でも突然に、しかしいずれ起こるであろうと、いつ起こってもおかしくはなかった現象が起きたという記録をだ。
エデンⅣ時間二〇〇七年九月二五日〇二〇四時四八秒を最後に、全ての操縦席環境センサー群は矢頭弾の存在をロスト。続く時間からその座標には、同質量かつ近似の組成のエントロイド個体の存在だけが観測されている。
彼は失われたのだ。
『こ……ここまで来て? ここまで……たどり着いたというのに?』
キャノピー周りのセンサーの点滅や、その他の細かい誤作動を起こしながら、フォスは疑問符を浮かべた。
彼が失われた理由については、フォスも知っている。自身が彼に伝え、ここまで共有してきた問題なのだから。疑問はただ一つ。
『なぜ……今なのです!? ここまで駆け抜けてきて、一つのことをやり遂げようとしていた、その瞬間で――』
その時、周囲空間の中に無貌の竜の一体が顔を突っ込んできた。滑らかな曲面を描く顔面には、一切の、なんらかの兆候を示す点は観測できない。嘲りも同情も、敵意も賞賛も。ただ、一機の戦闘機の飛行を捕捉しているだけだ。
『全てを無意味にする、と――。それがエントロイドだと、そう言うつもりですか!?』
激昂するようなセンサーの明滅にも、無貌の竜は応じない。ただ一つの物を捕捉し、それがここまでやってきた理由など、意図など、実体の無いものは一顧だにしていなかった。
『エ、ン、ト、ロイドッ――っ! ――!?』
極低温への冷却機構を持つフォスの中枢ユニットをして、オーバーヒートしかかったその時、突然のパルスが暴走思考を中断させた。操縦席内のシートに内蔵された加速度センサーからの情報だった。
続けて荷重センサーが捉えるのは、後席から前席へ向けて四三キログラムの物体が移動しているということ。加熱の中から、フォスは火花を散らす勢いで思考を切り替えた。
操縦席内、オプティが弾から変化したワーイールへ飛びついているのだ。
『オプティ……。残念ですが』
「なにがっ」
『もう、ダンは――』
「まだ!」
オプティは強く声を上げながら、ワーイールにのしかかった。ワーイールの触手が本能や反射の動きで彼女に絡みついていく。
分泌され始める粘液の中、オプティは顔にかかる触手を払い、さらに前へと身を乗り出す。そしてワーイールを乗り越え、前席コンソールに手を伸ばした。
操縦レバーへ、ではなかった。戦闘用途の操作盤よりも下へ。――弾に渡されたプレイヤーが接続された、オーディオコンソールへ。
「もう、じゃない! まだ、ダンの火はある! だからっ」
叫ぶオプティは、触手を払いのけた顔に表情を浮かべていた。眩しさを堪えるようにも、暗がりに目を凝らしているようにも見える表情だ。そして伸ばした指が、ここまで来る衝撃の中で停止し、弾の響きを内包したプレイヤーに触れる。
「こんなところでおしまいになんか……っ!」
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