月 日( ) 畔上翔真奮闘記

 三年生になった。

 出会い、別れ、そんなイメージばかりが思い浮かぶ春という季節だけれども、実際は語られるほど良いものではない。


 後ろ向きな別れ、期待のない出会い――そういったものが渦巻いたまま転校を果たした僕は、今こうして新しい制服に袖を通して、教室の外で待機していた。


 閉じられた壁や窓を通り抜けて廊下まで届く声は、どれも明るい。

 二年間――いや、小学校から培われた関係性のおかげだろう。


 羨ましいと思う反面、その全てが敵意を向けてきたらと考えると恐怖で足が竦む。

 また虐められやしないだろうか。最初から仲間はずれな僕には、頼れる人も居場所もない。


 ……前の学校あそこでも、そんなものはなかったけど。


「さぁ、入っていらっしゃい」


 掛けられた声に導かれて、ゆっくりとドアを開いた。


 どこにでもある机と椅子と黒板と床と天井と壁とで――前と大して変わらない教室の造りなのに、不思議と全くの別物に感じる。

 空気感というか、何というか……明言できないけど、その違いだけははっきりと。


「転校生の『畔上翔真』くんです。皆さん、仲良くしてあげてくださいね」


 などと考えていると、いつの間にか自己紹介は進んでいた。

 カツカツと響くチョークの音とともに自分の名前が刻まれたならば、先生は軽い一言を告げた後、ニッコリとこちらに視線を向ける。


 ――何か挨拶をしないと。


 それくらいは察することができた。

 慌てて前を向くと、その時初めて僕は気が付く。


 向けられた視線は先生だけではない。

 無数の、数えられないほど数多の目が僕を見ていた。


 ……それから先のことは、よく覚えていない。


 よろしくお願いしますなどと在り来たりなことを言ったかもしれないし、ただ静かに頭を下げるだけだったかもしれない。

 兎にも角にも、僕はやり過ごすことで精一杯で、すぐに空席へと駆けて行く。


 転校イベントでお馴染みの質問タイムなど、上手くいくはずがなかった。



 ♦ ♦ ♦



 そんなある日のこと。

 僕という存在の目新しさは薄まり、転校生という肩書も怪しくなるくらいには時が過ぎた時分。


 すっかりクラスメイトと打ち解け――ることもなく、必要な時以外は干渉しない間柄を保ちながら過ごしていると、背後の席で談笑する複数名の会話が耳に届く。


「おい、昨日のアニメ見たか? 映画化も決まってるし、マジで神だったわ!」


「それな」

「分かりみが深い」


 これは生活しているうちに分かったことなのだけど、どうやらこの学校ではアニメや漫画といったジャンルに寛容らしいのだ。


 前の学校では『オタク』と称されて、バカにされていた文化。

 少しでもそれに関する言葉が出てきたなら、好き放題に悪口を叩かれ、果てには少し知識に詳しいだけで非難の対象となってしまった負のレッテル。


 そのようであるはずのものが、片やこちらでは大多数の娯楽であり、受け入れられているというのが不思議でならない。


「…………アニメ、か」


 見てみようかな……。

 少しだけ興味が湧いた。


 仲間に加わりたいとか、そういう気持ちからではない。

 単純に、理由も理屈もなく彼らが批判していたものを自分の目で確かめてみたくなったのだと思う。


 ――そして、変わった。

 見る目も、ものの価値観も、僕の……いや、俺の人生も全て。


 二次元のこの世界に生きている者たち――特に主人公と呼ばれる人はみな一様に優しかった。

 言うことはキツかったり、性格がねじ曲がっていたり――時には一風変わった性格の持ち主でも、その根幹にはちゃんとした優しさがある。


 俺の憧れであり、願いであり、決意であり、手放してしまったものが確かにある。


 だから、羨ましかった。

 優しくても生きていられる世界と、その彼らが。


 どうしたら、優しいままに生きていられるのか――その答えを見つけるために、この世に存在する数多のアニメを見て、自分との差異を探す。


 主人公は頭が良かった。主人公は強かったし、主人公は痩せていた。平均的な身長も持っていた。主人公は運動もできた。主人公は行動力があって、皆の味方で、頼られて、でも周りからも支えられて、認められていた


 そして何より、カッコ良かった。


 なら、全て直せばいい。

 努力する主人公も多かった。それにあやかって俺も努力すればいい。


 ひたすら勉強する。道場には通うし、ダイエットも始める。規則正しい生活と睡眠、カルシウムも忘れない。

 運動に関しては、太っていることが幸いした。自身の体重を支えるために自然と足腰が鍛えられており、痩せたあとは思い通りに動く事ができた。自由を感じた。


 そうして、約一年。

 持てる時間の全てを費やして自分を変えた俺は、学校の卒業と同時に過去の自分とも決別する。


 結局、クラスメイトの誰とも距離を詰めることはできなかったけれど、でもそれでいいんだ。

 俺の人生はここから始まるのだから。

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