10月4日(金) 訪問される教員室
――コンコンコン。
賑わい時のお昼時。
校舎のあちらこちらから、生徒たちの声が風に乗ってやってくる中、私のいる特別教員室にそんな音が響きました。
「はい、どうぞ」
しかし、その私以外の先生は全員が食堂へと赴いているため、仕方なしに手元のお弁当とお箸を机に置いて、居住まいを正し、そう返事をします。
「二年一組の蔵敷です。三枝先生に用があって参りました。入ってもよろしいでしょうか」
カラカラとスライド式のドアを開け、学校全体で決められている入室の文言を口にしたのは、私の教え子でもある蔵敷
普段から近付くことすら忌避する珍しいお客さんの登場に、私は目を丸くしました。
「はい。何ですか、そらくん?」
「……失礼します」
頭を下げて入室した彼は、一度だけ中を見渡すと、私の前に来るなりすぐにこう告げます。
「三枝先生に話があって、来ました」
それはもう真剣な様子で。
これはもしかして……?
「あら……何でしょう? もしかして――愛の告白、でしょうか」
あぁ……だとしたら、なんということでしょう。
私はそれを拒まなければなりません。
だって、私には想い人がいるのですから。
そして、本人は気付いていないけれど彼にもまた――。
加えて、私たちは教師と教え子。それは、まさに禁断の愛。成就することなど絶対に叶わない……。
「いや、そういうのはいいんで……話したいのはコレについてです」
――などと、思考に浸っているうちに、痺れを切らしたそらくんはバシッと一枚の紙を机の上に置きました。
もしかして、恋文!?
……なんて、からかうのはもう充分でしょう。
「あら、どうしたんですか? ついさっき返したばかりの、満点の私のテストの答案用紙を持ってきたりして……自慢ですか? 採点したのは私ですから、もちろん存じているのですが……」
「違いますよ。なんで俺が、そんな意味の分からないことをわざわざここまで来てやらなきゃいけないんですか……」
残念、違いました。
でも、前回のテストと合わせて連続で同じ教科の満点を取る――なんていう、この学校始まっての快挙を成し遂げたのですから、逆にもう少し自慢してもいいと私は思いますけどね。
「では、何を?」
改めて聞き直してみると、彼はトントンと用紙の点数部分を叩いて、こう言います。
「もう二回も良い成績を取りましたし、今後はいつもの点数に戻してもいいですよね? 丸一日、ぶっ続けで勉強するのは正直辛いんですけど……」
あぁ……なんだ、そんなことでしたか。
「分かりました、いいですよ」
「まぁ、そうですよね。ダメですよね。でも俺は思うんですよ――って、え……?」
私の返答に、驚きの表情を向けるそらくん。
どうやら、反対されると思っていたようです。
「…………いいんですか?」
「はい、元より強制するつもりはありませんでしたし。そらくんがそうしたいと望むのであれば、そうすればいいと私は思います」
「でも、なんで……?」
余程信じられないのか、なおも食い下がるそらくんに私はいつもの笑みで告げました。
「一生という時間の中で、学生という瞬間はあまりにも短いからです。なら、自分で決めたことをやった方が良いに決まっているでしょ? だって、もう二度とはやって来ないのですから」
ただでさえ、一日、一時間、一分、一秒と紡いでいく中で、同じ時間は二度とない。
そこに学生時代の短さを加味すれば、今の一時は何よりも大切で濃密なものとなるでしょう。
「だから、私は強制しません。大人として、人生の少しだけ前を歩いてきた者として、『勉強をしなさい』と助言することはあっても、それはあくまでも助言でしかないのです」
未来を見据え、勉強し、自分の将来を広げようとするのなら良し。
今しか出来ないから、と心の赴くままに行動するのならそれもまた良し。
大事なのは、決して後悔しないこと。
笑って過去を話すことのできる、そんな未来にすること。
「失敗することもあるでしょう。でも、正解の道なんてないんです。私たちの声を聞く、自分の心の声を聞く――どちらにも成功の保証はない。なら、自分が正解だと思う道をどうか選んでください」
その点で、そらくんは選んだ。
私のお願いをちゃんと聞き届け、勉強し、成果を出しつつも、成績を落として楽をするという道を。
だったら、私は見守るだけ。
「…………なんか、先生っぽいですね」
呆けた顔を浮かべながら、私の話を聞いていた彼が呟いたのはそんな一言でした。
それが何だかおかしくて、いたずらっぽく人差し指を唇に当て、片目を閉じてみせます。
「ふふ……先生ですから」
教職者とは、進むべき行き先を知らない生徒に少しでも多くの道を照らしてあげる者のこと。
決して、導く者ではない。
だから私は、この先も、彼ら彼女らの行く末を眺めていこうと、そう思いました。
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