5月29日(水) 何でもない一日

 人生は長くて永い暇つぶし――とは、そらの言葉だっただろうか。


 確かに、一秒、一分、一時間、一日、一ヶ月、一年、一生と時間を費やしていく中で、一際記憶するような劇的な経験をすることなど数える程しかない。


 退屈と無難の繰り返し。平凡で平穏な毎日ばかりが過ぎ去るだけだけれども、やはりその中でもとりわけ何にもならない日というのは存在する。


 日常における日常。不変な普遍。

 異常なほどに正常な、何でもない一日。


 ――それが今日だ。


 語ることがなく、語る必要性さえなく、語ったところで面白味も見どころも読みどころもない話になるだろう。


 それでも聞きたいと言うのなら、とくと御覧じるがいい。

 遠からんものは音に聞け、近くば寄って目にも見よ。



 ♦ ♦ ♦



 本日もまた学校がある。

 だけども、取り立てて話すことなど何もなく、ただ授業を受けて、お昼には幼馴染や友人と食事を囲み、襲ってくる午後からの睡魔に負けつつ過ごす一日。


 部活だ、と走るそらたちの背を見送りながら、私は帰路についた。


 〜完〜




 何もないとは、こういうことだ。


 内容が進むだけでやっていることは何も変わらない授業、とりとめのない内輪ノリの雑談。

 当たり前の光景すぎて取り上げようとさえ思えず、淡々と時だけが進む。


 ……そう考えてみると、徒然草というのは結構凄い作品なのではないだろうか?


 題材も何もなく、コンセプトはただ筆者である兼好法師が退屈だからと適当に思い浮かべたことを書き綴るというもの。


 それだけであるにも拘らず、作品として成立し、後世にまで伝えられているというのは、偉業だ。異形であり、遺業。

 真似などできず、参考にもできず、在るべくものとして認める他ない。


 なれば、この倦怠とした一日をどうにかする方法はないのか。


 答えは、ある。何もないのなら、作ればいい。

 作れなくても、作ろうと奮起することはできる。きっかけは生まれる。


 だから私は、行動する。


 自室から窺えた隣の家の電球に反応し、私は窓を開けた。

 屋根を伝い、塀を足場に、子供が考えたような危なっかしくて色々と問題のあるルートを辿り、向かいの窓を叩く。


 まだ私たちが小学生の時に使っていた道とも言えない道だけど、未だに健在なようで嬉しい。


 そうこうしていると、ガラガラと戸車が音を立て――。


「…………お前、何してんの?」


 ――開口一番の言葉がソレだった。


「暇だから来た」


「いや、だったら下から――って、あーそっか……」


 玄関から来い、と注意しようとしたのであろうそらであったが、あることに気付き、後頭部を掻くだけに留まる。


 現在の時刻は午後九時過ぎ。

 いくら幼馴染とはいえ、気軽にお互いの家を行き来できるような時間帯ではなかった。


「はぁー……まぁ別に来るのはいいけど、ちゃんと帰れよ。寝落ちとかしたら、殴ってでも起こすからな」


「うい、了解」


 呆れつつも入れてくれるそらに内心で感謝しつつ、ここへ来た時の私の定位置であるベッドにコロンと寝転んだ。

 柔らかく、肌触りよく、匂いも悪くない。


「あー……それと、もし仮に怒られるようなことになったら――」


「分かってる。私だけが怒られろ――でしょ?」


 何度目とも分からず張られる予防線に私は頷いた。


 その一方で、我が幼馴染はゲームをしていたらしく、しかもヘッドセットを繋げたボイスチャットパーティらしかった。

 ユーザ名にも見覚えがある。


「畔上くんと遊んでるの?」


「そうそう、だからなるべく静かに頼む」


 そう言うと、マイクのスイッチを入れ、カチャカチャと操作に戻ってしまったので、私は私で部屋を練り歩く。


 目新しいものは何もない。昔から訪れているが、何も変わっていない。

 内装など目に見える範囲においては変化も当然あるのだろうけど、目に見えない――大切なものは根っこのままだ。


 そんな中で、そこら辺にあるものを適当に弄り、時には画面を鑑賞し、本を読み……自分の時間を過ごした。


 結局のところは、何もなかったこの日。

 けれど、精神的な満足感が全く違っていたと感じる。


 落ち着いた時間、ゆったりとした居心地。

 一緒にいるのに干渉はせず、過ごす時間だけを互いに共有した。


 ただそれだけなのに、幸福感は募っていく。


 誰といるか、どこにいるか。

 やることは変わりなくとも、その環境しだいで苦にも楽にもなるものだ。


 退屈を嫌い、快哉を好み、劇的な日々を望む。

 人間らしい本能であり、欲求ではあるけれど…………。


 やはり、こんな何でもない一日を思い出し、懐かしむのだろうと――私はそう思う。

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