5月19日(日) 試験対策

 時間の微妙に過ぎたお昼時。

 各々で昼食をすました俺とかなたは、とあるマンションを訪れていた。


 予め教えられていた番号をインターホンに打ち付けて呼び出しボタンを押してみれば、ありふれた機械音がしばらく響き、ガチャリと誰かが応答したようなノイズが交じる。


「――はい」


 誰が出るのか少しビクついていたが、出てくれたのは聞き覚えのある男の声。


「翔真か? 俺だ、蔵敷だ」


「あいよ、今開ける」


 画面にある施錠中のアイコンが点滅し、次いで俺たちの行く手を阻んでいた硬質ガラスのスライド式ドアが自動で左右に開いた。

 そのまま一歩、中へと足を踏み出せば、柔らかそうなソファに机という立派なラウンジが併設されており、一緒にトイレの存在まで確認できる。


「はぇー、すっごい」


 隣を付いてきていた幼馴染もまた、目の前に広がるこの光景を目にしてはそんなことしか言えないようだ。


「……まるで高級マンションみたい」


「みたい――じゃなくて、事実として高級マンションなんだろ」


 一応ツッコんではみるが、かくいう俺もそんな返しが精一杯だったりする。

 物心がついた時から一軒家だった人間からすれば、まさに憧れというほかない。


 キョロキョロ、ウロウロと観光する外国人客のように周囲を見渡しながらエレベーターの前へとたどり着けば、その途端に勝手にエレベーターの扉は開いてくれた。


 どこかにカメラがあるのだろうが……それはともかく、最近の高級住宅は何でもオートメーション化されているらしいな。


 中に広がる内装も、存在する階数も全てが見合ったものとなっており、つくづく貧富の差を実感してしまう。

 ……いや、ウチもだいぶ裕福な方だとは思ってるけどね。


 そのまま目的の階へとやって来ると、インターホン時と同じ部屋番号が綴られた玄関口のチャイムを押す。

 暫くしないうちに素足がフローリングと触れる、独特の歩行音――というか、地響きを感じ、ようやく家主と対面した。


「やぁ、そら、倉敷さん。どうぞ上がって」


 出迎えてくれたのは、爽やかなイケメンスマイル。

 窓でも全開にしているのか、と言わんばかりに風が通り抜け、清潔感のある香りが鼻腔を抜ける。


 これがフェロモンというやつか……?


「お邪魔しまーす」

「畔上くん、畔上くん。詩音はもう来てる?」


「来てるよ。ちょうど親もいないし、リビングでやろうと思ってたから付いてきて。――あっ、このスリッパ使ってくれ」


 テキパキと用意をしてくれたものを履き、翔真の後を付いていけば、通路の先には広々とした空間が。

 柔らかい毛皮のカーペットに、品のある革のソファ、照明はほんのりオレンジ色に灯っており、内装までもが高級感であふれていた。


 そんな中で、柔らかそうなクッションを顔が潰れるほどに抱きしめるのは菊池さんだ。

 ほんのり染まった頬を隠すように口元まで持ち上げており、すでに並べられている勉強道具からも彼女のやる気が見て取れる。


「あっ、詩音。おまたせー」


「うぅん、むしろ思ったより早かったね」


 ……それは、もう少し二人きりの時間を味わいたかったという意味かな?

 返事にしては妙な言い回しに、ついつい思考は突っかかってしまう。


 そうして菊池さんの元へと歩むかなたを横目に翔真の方へと付いていけば、彼はテキパキとコップを二つ用意していた。

 俺たちの分まで、飲み物を用意してくれているのだろうか。


「これ、場所借りるのも悪いからお土産っぽいものを買ってきた」


 ビニール袋をドンと置けば、自重から自然と袋は落ちていき、中身が露わになる。

 ジュース、アソート系のお菓子などなど……。安物ばかりなのは、学生的財布事情ということをご理解してほしい。


「……見事にお菓子ばっかだな」


 呆れ顔で呟く翔真に対し、俺はしたり顔で理屈をこねる。


「これから頭を使うんだ。必要だろ? 甘いものは」


「必要なのは糖であって、どちらかといえば炭水化物の方が効果的らしいけどな」


「プラシーボ効果を知らねぇのかよ。信じる者は救われるんだぞ」


 両者、譲らぬ攻防。不毛な争い。

 オチもないままに会話は途切れ、ワキャワキャと歓談を楽しんでいる女子一行の元へと飲み物とお菓子を二人で運んだ。


「さて、と。じゃあ、来週に向けての試験対策――始めようか」


『おーっ!』


 主催者兼場所提供者の合図を受け、俺たちはこぞって拳を上げる。

 やる気は満タン。準備も万端。


 満ち溢れた気持ちで筆記用具を手に取れば、俺とかなたは第一声を言い放った。


「かなた、古文を教えて」

「そら、数学よろしく」


「えっ――いやいや、待って。ちょっと、それは早くないか? もっとさ、こう……最初は自力で頑張って、どうしても無理な時にチョイチョイって聞くものじゃない?」


 驚きを含んだように翔真は意見する。

 その言い分は、はっきり言えば分からないことでもない。


 けれど、それを仕方ないと言ってしまえる理由もまたあったのだ。


「いや……だって、分からないんだからしょうがないだろ」

「そうは言っても、分からないんだししょうがないよね」


 単純明快。直截簡明。

 自力でもどうにもならないほどに、俺たちは互いに文系と理系が苦手である。ただ、それだけ。


「だからまぁ、気にすんなって」

「だから、気にしなくていいよ」


「……それは、気にするだろ。だってそれって、お前たち二人だけで完結してるよな? 四人でやる意味なくないか?」


 四人でやる意味、ねぇ……。

 本人は気付いていないだろうし、気付かれてもそれはそれで困る事態なのだけれど、本来の目的としては『学年一位のイケメン君につきっきりで勉強を教えてもらえるよ、フロイライン菊池さん』というわけなのだ。


 あくまでも俺らはそれを自然に行えるようにするためのアシスタント。

 四人でありながらも、こっちとあっちとで二対二に持ち込む状況がベストであり――。


 けどまぁ、露骨になっても仕方ないか。


「……じゃあ、分かったよ。俺たちは基本的にいつものこの形で勉強するけど、翔真に何か聞きたいことができれば、理系なら俺に、文系ならかなたに質問してくれ。助けになるかは分からんが、力は貸す。ただそれ以外の時は、お前は菊池さんの先生な」


「それなら……まぁ」


 了承を得られたようで良かった。

 それからというものは、互いに教え教えられ、教え合い、学生の本分ともいうべき時間を過ごす。


 試験まではあと三日。

 俺たちの戦い勉強はこれからだ――ってな。

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