5月9日(木) 現代文
逢魔が時――沈む夕日は真っ赤に燃え上がり、反対の方角からは徐々に闇が侵食し始めるような、魑魅魍魎の蔓延る時分。
帰宅にと乗り合わせた電車の中には、定時帰りのサラリーマンや職業がパッとしない私服の若者、俺と同じような学生に私立らしい小綺麗な制服に身を包む子供などなど……多種多様な年齢層が蔓延っていた。
規則正しく伝わる振動はまるで揺りかごのようだ。
目を瞑ればすぐにでも眠ってしまえそうな心地良さを感じつつ、なんとなく頭に浮かんだ益体なき考えを口に出す。
「俺、現代文は好きだけど嫌いだわ」
傍から聞けば、真っ先に首を傾けられそうな内容。
それを苦もなく聞き受けてくれた幼馴染は、いつも通りの無表情でこちらを向いてくれた。
「…………は? 急にどしたの?」
訂正。
あまりに突飛な会話すぎて、さすがのかなたも理解できなかったらしい。
「いやさ、評論における作者の気持ちとか、物語における登場人物の気持ちを記述させるけど、あんなの分かるわけないじゃん。所詮は他人の気持ちなんだし」
「ん……まぁ、言わんとすることは分かる」
「そういう点で現代文って嫌いなんだけど、センター試験みたいな選択制だと文章読めば答えが分かるから好きなんだよね――って話。あと、単純に中身が面白いし」
景色を見ながらそう語る。
しかし、通路側が俺、窓側がかなたという二人掛けの座席であるため、必然的に視界の隅には彼女が映った。
「…………一応、聞いていい?」
「なんだ?」
神妙な声音に、目を向ける。
「そらって、読書好きだよね?」
「紙書籍を愛してる。家にある本を一冊でもボロボロにされたなら、そいつを殴り殺す自信があるね」
そんな状況、想像しただけで殺意が湧くぜ。
やり場のない怒りを、呼吸を置くことで俺は制した。
「だよね……で、マークシートだと点数が取れる――と」
「おう、古文漢文はイマイチだが、現代文だけだけなら九割は固い」
「…………それでなんで記述ができないの?」
「俺が知りたいわ……」
やっぱりそういう反応になるよな。
もう、記述反対! 全部、選択式にして!
悲痛な想いを願うも、それが現実に反映されることはない。
「あぁ……あと、一つ勘違いしてるぞ。記述はできる。ただ、それが間違えてるだけだ」
「それを誇らしく言われても、困るんだけど……」
いやぁー、でもマジで答えが合わないんだよな。
完答した試しが殆どないし、良くて三角、基本はピンハネ。
読書してるのにコレって、ある意味すごいと自分でも思ってしまう。
「んー……そらって他の人とちょっとズレてるとこがあるから、回答も論点からズレてるんじゃない?」
「ズレてる、ねぇ……。でもさ、それは大筋的には合ってるってことだろ?
例えば『今日は土曜日。なけなしのお小遣いを握りしめたたかし君は、行きつけの駄菓子屋へと走る――この時のたかし君の心情を二十字以内で答えなさい』って問題があったとしたら、なんて答える?」
「何その問題……。えっと……『お菓子を買って食べるのが楽しみだった』とか?」
うむ、想定通りな回答をありがとう。
満足のいく答えに、俺は一つ頷いた。
「まぁ、そんなところだろうな。けど、『早売りしている少年誌を早く読みたかった』でも別に間違いじゃないだろ」
「……そもそも、早売りは禁止だし」
知ってるよ。ツッコミどころはそこじゃねえ。
「大体、少年誌はどこから出てきたのさ。そんな描写、どこにもないけど?」
「駄菓子屋にあるだろ、雑誌。それに描写がないって言うなら、さっきの答えとして出てきた『楽しみ』って心情にも根拠はないぞ」
「えぇー……そりゃ、お小遣いを握りしめて走る――って部分から楽しそうな感じが想像できるでしょ、普通」
普通。……普通ねぇ。
一般論と言われたらそれまでだが、やはり納得いかない。
「お小遣いを握りしめたのはただの風景描写で、走っている理由は友達を待たせているから――ってことは大いに考えられるだろ。待ち合わせ場所が駄菓子屋なだけで、お金は別の使い道があった可能性だってある」
「それ言ったら、答えはたくさんあることになるじゃん……」
ふてくされるようにかなたをそう言うが、俺が伝えたかったのはまさにそのことだった。
ようやく本筋を話すことができる流れに、少しテンションが上がる。
「そう、そこだよ。どれだけ描写を細かくしようとも、結局は読み手に左右され、しかも可能性の話でしかないんだ。唯一答えがあるとするなら、それは作者の伝えたかったであろう想定でしかない。だからな、現代文の筆記問題は間違っているんだよ。少なくとも、作者自身がそう言ったのでない限り、答えを一つに絞るべきではない」
ふー、満足。
言うべきことも言い終え、納得のいく結論まで持っていけたことで謎の高揚感で満たされていた。
とはいっても、これが単なる愚痴に過ぎないことは自分でも分かっている。
どれだけ主張しようとも何も変わらない。数週間も経てば、試験として再び襲い掛かってくるだろう。
だから、飽きもせず聞いてくれた幼馴染には感謝だ。
気が付けば、そこはもう自宅の最寄り駅。
二人して荷物を持つと、ごった返しの車内を進んで人の並ぶホームへと降り立った。
「まぁ、そらの言いたいことは分かった」
前を歩くかなたが、先に改札を抜ける。
電子マネー機能の付随した定期券を改札に通せば、そこに映る内部残高の少なさが目に入った。
「でもさ……それって結局は、点の取れない負け犬の遠吠えだよね?」
そう語るドヤ顔は眩しい。
こんな時だけ、自分の得意科目をひけらかしやがって……。
あぁ、そうだよ畜生め。
だけど、そんな事実をアイツの前で認めることは何となく嫌だったので、別の言葉を返そう。
「……負けてねぇよ。記述以外は大体取れてる」
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