存在してきます

作者 松川 真

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  • 5正義へのコメント

     俺は信じる正義、でも俺がそれをもう引き受けられないと手放したとき、正義のラベルだけが剥がれて、ただ熱だけが残った。
     このラストの文章で正義に対する思いが胸の内から痛恨の極みとなって込み上げる無念さが伝わりました。

    作者からの返信


    和之さん読んでくださりありがとうございました!

    >このラストの文章で正義に対する思いが胸の内から痛恨の極みとなって込み上げる無念さが伝わりました。

    まさに。おっしゃる通りです。
    正義は時に生の充足を、時に形を変えて激しく篤哉を責め立てる倫理の批評家として、篤哉の心に居座るようになります。正義が篤哉にとって『望まなくても良かったもの』に変わっていきます。

    2020年9月2日 10:30

  • 5正義へのコメント

    待ってましたー^ ^
    今回も、素晴らしいです!
    言葉の海を潜るように読ませていただきました。「存在してきます」は、読み進めていくと、言葉が自分の心にどんどん浸透していくのがわかります。
    自分の学生時代と重ねて、心がザワザワする感覚というか、少し痛い記憶を思い出しました。

    作者からの返信

    小鳥さんメッセージありがとうございます!!小鳥さんのメッセージにいつも励まされてます。

    言葉の海と言っていただけるのは本当に嬉しいです。言葉がちゃんと届いてると勇気づけられたように感じました。

    これからはしばらく『正義』を軸に話が進んでいきます。

    読むのがつらい部分もあったかもしれませんが、読み続けてくださりありがとうございます。

    引き続きお付き合いいただければ嬉しいです。

    2020年9月2日 10:33

  • 4ベジタリアン-0対多の闘い-幼稚園へのコメント

    バレリーナは女性のイメージが強いですが、男性の方もいらっしゃいますね。
    年頃だと、少し抵抗があるかも知れませんが……。
    姿勢の良さや振る舞いはバレリーナに求められる素質なんですね。(*^_^*)


    ベジタリアンが今回のお話のメインでしたが、ベジタリアンから見た牛肉などの肉類に対する感じ方などが新鮮で、また他の人から理解されない辛さを感じました。
    ベジタリアンとなる理由は人によって様々かも知れませんが、何気ない一言から、肉類を食べれなくなる。ですが、その何気ない一言から始まることは多いのではないかとも思います。
    恐らく、心の準備ゼロで受ける言葉のダメージは、案外、大きかったりします……。

    時と共に改善するものもあれば、変わらないものもあります。
    ですが、無理をするのは食べ物に対しても自分に対しても辛いことなので、篤哉さんが食べられるものをバランス良く食べられるのが一番ではないか。そんな環境になることを祈りながら読ませて、いただきました。



    作者からの返信


    akariさんメッセージありがとうございました!大変励みになります。


    >姿勢の良さや振る舞いはバレリーナに求められる素質なんですね。
    おっしゃるとおりだと思います。練習前に入念に柔軟体操をされてますね。ときどきバレエをしてる方の立ち振舞いの美しさを見て羨ましく思います…




    SNSが普及してコミュニケーションが早くなり、ベジタリアンのこともより多く議論されてる(議論されていることが目に入りやすい)ので、常識の変化は早くなってると思います。今の時流であれば、篤哉が同じ経験をしたかはわかりません。違う未来もごくごく自然なことだったと思ってます。



    私事ですが、止まっていた執筆を再開したものの、カクヨムの活動はまだ休止しております。近日また再開したく思います。また読んでくださると嬉しいです。

    2020年5月20日 16:02 編集済

  • 4ベジタリアン-0対多の闘い-幼稚園へのコメント

    松川さん、お久しぶりです。
    ここらへんの章は、読んでいて胸が張り裂けそうになりますね。私は、第三者としてこの物語に身を置いているので始終冷静な精神でいられますが、もしも物語の登場人物だったとしたら、嗚咽するくらい泣いてしまっているかもしれません。

    更新、楽しみにしています。

    作者からの返信


    小鳥さんお久しぶりです!メッセージありがとうございました。
    返信が遅くなってしまってすみません。

    まだこの場面は続くのですが、話がバンカーに入ってしまったような苦しさがあります。読者がこの先の物語についてきてくれるか、心配しながら書いてました。


    しばらく執筆から遠のいていましたが、
    また更新を再開していきますので、
    引き続きお付き合いくだされば嬉しいです。

    小鳥さんのメッセージに今回も勇気をもらいました。ありがとうございました。

    2020年5月5日 17:43 編集済

  • 12-1 切実すぎたバーレスク - 死…へのコメント

    死を通して生きることに光を見出す。
    というのに、凄く共感しました。

    人は漠然と死にたいという衝動を募らせますが。
    本当に、死に近しい行動に近づいた時に。
    凄く。死にたくないと感じるものですね……。
    本能というものか、理性というものなのかは、分かりませんが耕平との対話には「生きる」という哲学を深く感じました。

    胸が熱くなる、素晴らしい語らいです。

    作者からの返信

    *akari*さんメッセージありがとうございます!

    >胸が熱くなる、素晴らしい語らいです。
    そう言っていたけるのは本望です。大変励みなります。大事に読んでくださり嬉しいです。


    誰と話すかというのは大事ですよね。
    篤哉のような人間でなければ、耕平の中に広がる地平を見ることができません。耕平の切実さが実に狭い世界に閉じこめられてしまいます。ここも前話同様、篤哉がめちゃくちゃ頑張る回です(笑)


    『自分が存在していい』と強く思いたいんですけど、同時にそれが絶望的に思い、必死で自分の中で最も確かなものだと信じられる拠り所を探し続けました。

    それが耕平にとっての死でした。

    世界で生きることに絶望しても、そこから自分を救い出す可能性がある。耕平はそれ確かめにいくことで、もう一度自分の日々を輝かせようとします。


    最近読みました、現象学の哲学者であり小説家であったサルトルの入門書の中に、梅木達郎さんのとても興味深い一節がありましたので、共有いたします。これに通ずるものがあると考えています。

    "未来の喪失を先取りしつつ 、現在に立ち返ることによって 、つまりは未来完了のまなざしの中で 、絶望と歓喜が一つになった存在の祝祭が立ち上がります 。すべてを諦め 、終末を覚悟したときに 、はじめて存在はせわしない日常の意味から解放されて 、それ自体の光で輝き出します" ー 梅木達郎-サルトル 失われた直接性をもとめて


    『存在してきます』が存在できてるのは間違いなく、それを面白がってくれる方の存在のおかげです。私はおそらく作品を通して、『共存指向性』を確かめようとしています。

    2020年4月6日 21:51 編集済

  • 6他者肯定の聖火 - 存在の炎へのコメント

    他者肯定の聖火。
    僕たちは存在するために、語り合うんだ。とても綺麗な考え方だなと思いました(*^_^*)
    これが、タイトルに繋がるお話なんですね!

    作者からの返信

    コメント嬉しいです。ありがとうございます!

    言葉を楽しんで下さり、嬉しいです。
    少し語らせてください…(汗)

    >僕たちは存在するために、語り合うんだ。
    言葉を楽しんで下さり、嬉しいです。
    私が言葉が必要だと考える領域に、語り方と言葉を投じていきたい、という気概で書いているので、そう言ってくださるのはありがたいです。直球で、力強い比喩を使った表現を考えるのに心血を注ぎました。





    >これが、タイトルに繋がるお話なんですね!
    ありがとうございます!
    この作品では、表現の要である「存在」が何度も状況や形を変えて出てきます。最頻出ワードです。

    存在という言葉には「判断」が含まれないのがいいのかと思います。

    (例えば『存在価値』という言葉は見た目は「存在」に似てる言葉ですが、『判断が含まれる言葉』という視点で見ると意味も受け取る印象も全く違います。つまり『存在価値』という言葉には、その有無を問う判断の可能性がありありとあります。私はこれを『判断が含まれてる』と表現しています。名詞には「その名詞を使用する時点」で、考える必要のないことに人を巻き込む力があります。)


    篤哉と耕平は注意深く「判断が含まれた言葉」を回避していきます。
    「存在」という言葉は、耕平と篤哉が快く使える言葉なんですよ。そして「存在」という言葉によって、彼らが自身が影響受けている事柄と彼らに切実なことを、純粋に語ることができています。

    「むやみに判断的に語らない」ということは、
    名詞的な表現から、動詞的な表現に変えていくことだと思ってます。


    長くなりましたが、読んでくださりありがとうございました。引き続きお付き合いくだされば嬉しいです。

    2020年2月19日 21:45

  • 4篤哉の開示と新しい繋がり- 自覚なき…へのコメント

    まだ数話ですが、読んで感じたことは、人の心を深く掘り下げたお話しだなと思いました。
    心理学のようでいて、とても哲学的な考え方が多く見られました。

    特に、紗也加さんに向けて言っていた、自分でなくとも他の誰かが助けていた。というのは哲学的ですね。 その理由から、行動しない人や状況的に驚いて動けない人も居ると思うので、それでも、行動できる人というのは……きっと、どんな生物に対しても優し過ぎる、愛情深い方なのではないでしょうか?

    そして、優しさだけでは生きて行けない世の中の残酷さが、ちらほらと垣間見えるようでした。 優し過ぎるから傷付いてしまうことも多くありますね。

    主人公の他人から一歩下がった考え方も経験によるもののようです……。

    感想が長くなってしまいましたが。 私は、心理学的な話しや哲学的な思考が好きなので、引き続き、じっくりと読み進めたいと思います(*^-^*)

    作者からの返信


    akariさんコメントありがとうございます!有り難いです。これに関して思索したことを共有できればと思います。


    >自分でなくとも他の誰かが助けていた。というのは哲学的ですね

    ありがとうございます。
    この一文について、いくつか手がかりになりそうなことをお話しできればと思います。
    (下に書いたことを踏まえて一文を書いたわけではありません…(笑))



    篤哉がこう語るのは自身の行為を、自分の中で、できれば他者の中で『性質化』させない彼の試みです。半分は自分に言いきかせている行為です。


    ここでの性質化とは、行為をその人の性質としてみることです。優しさを例にとれば「あなたは優しいからやってくれる」「優しいからこんなことはしないはず」と、人の特徴から未来の行為を期待するかのように語ることです。ただ何かを言いたいだけで、良かれと思ってやってるのでしょうけど。(私もよくやります)

    性質的な表現は、悪気はなくとも、人に過度な期待を感じさせることがあります。篤哉は哲学がなければ、そうした期待されているよう見える言葉の字面に、うまく距離をとれなくなって、絡め取られてしまいます。



    性質化させないために、『優しさ』対して彼がどんな理を背景にもっているかと言うと、こうゆうことです。

    優しさはどこまでも限定的で、どこまでも自分本位であるという考えです。

    落ちてた財布を盗もうと思わないのと似てると思ってます。
    困っていたら、盗むことが習慣になっていたらまた結果も違うのでしょう。しかし篤哉は別に盗まなくていい。どっちでもいいのに、盗んだ後、自分に起こるかもしれない結果を引き受けるのも面倒くさい。したがって財布をそのままにしておくか、気が向けば駅や交番、飲食店に届けるか、という行動を取ります。






    しかし、落とした財布の状況と人が倒れているという状況は共通するところはありますが全く違います。
    篤哉は、倒れた紗也加を目撃することで、状況の中に抱かれます。彼の選択の有無が直接的に、下手をすれば紗也加の命に関わります。そして篤哉は少しの時間と、一回きりの少しの行動で、彼女を助けられるかもしれません。見殺しにするほどではない。篤哉はなんとかできることをしたいと思います。


    まぁ、見方を変えたら、実際に助けたのは医療チーム方々なんですけど(笑)


    彼は紗也加を助けました。しかし道を歩いていて誰かがお金を恵んでほしいと乞うてきた時。あるいは凍える寒さの中、明らかに暖が足りない野宿する人を目の当たりにした時。彼は手に負えない、面倒なことが増えるかもしれない、自分の限界を越えることだと咄嗟に判断し、立ち去ってしまうでしょう。篤哉はこうした『優しさ』の側面を、自分の『優しさ』の射程をひどく自覚しています。




    それから誰かに優しくすることは気持ちいいんです。

    篤哉は人に優しくすることに飢えています。どうしても優しくなってしまうんです。篤哉は人に対する恐怖と同時に、誰かに好意的な反応されることに、誰かの役に立つことに飢えています。だから少なくとも外向きの対応は優しくなってます。やっぱり人に喜んでもらえるってかなり多くの人に共通する快感だと思います。

    ただ誰かにありがとうと言われたい。
    だから自分が何者であっても、「ありがとう」だけが返ってくると確信できる状況を、心のどこかで探します。



    篤哉が、無意識にこのような発言をする究極的な動機は、自分に言い聞かせるように言って、心のバランスをとってるんです。常に自分が行う行為を、自分の中で混じり気のないものにしておきたい。だから彼は十分発言可能なレベルでそれを言葉に出します。


    特徴として表現される自分の行為に、篤哉は『期待』をかけられるように感じますが、彼にとって優しさとは、どこまでいってもエゴによるもので常に『条件付き』です。もちろん篤哉に限った話ではありません。篤哉は彼の中の『優しさ』の実情をひどく自覚しているからこそ、戸惑うのかもしれません。彼にとってごく自然な行為を彼にとって不自然に捉えられる(性質化)ことで、居心地悪く思うのかもしれません。

    …何も言われなかったら、寂しくなるんでしょうけど。面倒くさいですね…(笑)

    篤哉は自分の行為を純粋にしておくために、こう語っていますが、彼の中の優しさや愛情深さと形容できる何かは、あるのかもしれません。ありがとうございます。






    >優しさだけでは生きて行けない世の中の残酷さが、ちらほらと垣間見えるようでした。 優し過ぎるから傷付いてしまうことも多くありますね。

    ありがとうございます。作品に共感いただけて嬉しいです。
    ちなみに、ここで私は「優しさだけでは生きて行けない」という悲観をメッセージにしているわけでも、そう考えているわけではありません。ただ優しさを行使するものの、他の誰かからの反応で、苦しんだ耕平への、見に覚えのある篤哉による、できるかぎりの共感を書きたかったんです。

    篤哉は彼にとっての純粋な動機から、誰かへの気遣いを行使するために、どうしてもそこに自分自身の哲学が必要になります。
    何かを行うために、哲学が必要が人がいます。行ったことに対する他者の反応から、自身を安定させるものを求めます。
    他者からの反応から、あくまで自身の行為を『その場における1行為』に留めるためです。

    少なくとも、自分の中で、自らの行為を「性質化」させないことで、常に行為を一行為として扱おうとします。


    「存在してきます」彼らが自分たちを世界に存在させていく(or させあう)営みを描いています。彼らから見える世界を捉え直し、大きく切り開こうとしてます。


    長文大変失礼しました。引き続きお付き合い下さると嬉しいです。『終焉の刻』楽しく拝読してます。また読み返してコメントできれば。

    2020年2月21日 22:26 編集済

  • 12-1 切実すぎたバーレスク - 死…へのコメント

    生きるための自殺……完全にではないにしてもらわかる気がします。
    私が好きな映画の中のセリフでこんなのがありました。
    「君はどうして登場人物を死なせるの?」と作家の妻に聞いた夫へ、
    「死とのコントラストで生を際立たせるため」と答えた妻。(言葉はうる覚えです)
    この映画のこのセリフが私はとても好きなのですが、耕平も同じことをしたいのかな、と思えました。

    作者からの返信

    小鳥さんいつも、ありがとうございます。

    自分が今回の話題について、今の理解でコメントできれば。これを機に思索してる部分もあります。ガチ返事申し訳ありません…



    >生きるための自殺……完全にではないにしてもらわかる気がします。


    これは私の書き込みの問題だと思います。一人で書くことにモチベーションが持たず、骨部分を書ききった時点でその初稿を投稿しています。(ということもあり12話を分けてます)その後、読者の目を意識して、これをモチベーションに何度も改稿していくというやり方です。不足部分、わかりにくい部分を書き込んでいきます。すぐに間に合わせます。




    >この映画のこのセリフが私はとても好きなのですが、耕平も同じことをしたいのかな、と思えました。

    ありがとうございます。ここまで大事に読んでくだり本望です。
    その映画、見てみたいです。



    私が完全に「死とのコントラストで生を際立たせるため」のセリフを理解しているかわかりませんが、通ずるところがあると思います。


    耕平の行動には2つの意味があります。それは発散と確認(自分にとってそれは重大なことだったと表現する)です。


    耕平のやってることは、嫌なことが合った時に、人がドカ食いしたり、酒を飲んだり、ハメ外す、といった発散とある意味同じです。


    自分に起きたことを、未来に持ち越さないために、なんとかして消化しようとしています。

    耕平は今回のことをバネに、強烈に自分を奮い立たせようとしてます。今回のことを「バネ」に人生を、彼の考える、より高みに引き上げようとしていること、それが耕平が必死で生きようとする証拠です。

    耕平は自分に起きたことの、彼にとっての衝撃を、その反応(自殺道具をもってホテルへ行き、リハーサルする)によって表現しています。誰に表現してるかと言うと、彼が黙って飛び出したように、究極的には自分自身に対して表現してます。(もちろん紗也加や篤哉に対して、というのもゼロではありません)
     


    耕平の経験に対する反応を量で測ることは、もはや不可能です。
    というより測ってはいけない。でなければ、小さなはずみで、本当に死んでしまいます。

    運がわるければ、見知ってもらう相手を間違えて、「大したことがない」と言われてしまうようなことに深刻な影響を受けた時、それがどれほど自分に深刻だったかを表現しようします。

    でも吐き出せることって事自体凄いと思うんです。当たり前のことでは無いように思うのです。耕平は吐き出せず溜まったものも含ませて、吐き出そうとしてるんです。


    もう一つは自己化(他の人にとってではなく、自分にとってどうだったかで、自分に起きたことをみる)しようとする試みです。
     つまり、「こんなこと大したこと無い」と言われそうな何かに、実際に苦しんできた何かに、「自分にとっては大事なことだった(自己化)」と言い聞かせ、それが見逃してはならなかったことだと、他人が見てもわかるように実現させます。



    「その人にとってどうだったか」が尊重されなければ、感情が抑圧されることで、処理されなかったものが蓄積されていきます。


    「その人にとってどうだったか」が尊重されない世界に身を投じたとしても、延命治療的であれ、一定度は自分の捉え方でなんとかなるんだと思います。もしかしたら環境などいろんな要因が味方して、死ぬまで走りきれる人もいたり。

    でも人は今当たり前のように獲得していることを、過去に獲得していたわけではありません。獲得の前まで、ひどく心を痛めつけられてしまうこともあります。


    今回の耕平のアクションは、量で苦しみを測る世界への耕平の反応(反撃)のような側面があります。

    ある意味、彼なりの、福岡の経験をトラウマ化しない試みでした。





    耕平はとても野心家です。「自分はこんなものではない」と上を見上げれば、見上げるほど、いざ自分の目の前に起きた、何事もないように見做された何かに自分の存在がひねられたとき、ギャップに苦しみます。


    耕平には他に沢山の魅力があるのに、心が弱っていることで、負の解釈に押し切られることで、それが自分の今の全てだと思い、理想とのギャップから、自尊心に深刻なダメージを受けます。そんなときでも、耕平はなんとかそれをいなそうと、自己と激しく格闘します。

    彼が感じる現実への無力感に対抗する一手段が「死」です。
    例え耕平が考えるやり遂げたいことが思うようにやり遂げられなくても、世界に何の影響を与えられなかったと感じ絶望したとしても、彼が自分の野望に見合う「世界に対する自己の意味感」、自身の存在に対する未来の可能性を自己の意識に残して、外の世界から自分の存在価値の可能性を十分に守りつつ世界から意識を閉じることができます。


    耕平の心は複雑です。(もちろん私がそれを小説に表現できているかどうかは別の話です...)ただ存在できれば...と純粋に思っているわけではありません。同時に彼は野心家としての側面をもっています。つまり、ただ存在できることが、最重要の事項でありながら、未来のどこかでは、ただ存在できることだけでは物足りないと、心のどこかで思っていると考えています。なんとしても今までの日々を、彼の中で、他にありえた日々と比べて、何よりも重要なことだったと信じ、この時機を逃すまいと金字塔(共存指向性などの思索にまつわる何か)を立てようとしています。





    >だから私は、彼が自殺を試みたかもしれない別の未来に居合わせるより、ここにいなければならないのだ。


    篤哉は耕平の、上で述べたような部分に対して言語での把握の試みはできなかったものの、潜在的などこかで踏まえようとしています。おそらくここが篤哉の凄いところだと思います。
    自分が気づくことさえできない、まったく考えの及ばないものを、最後まで考慮しようとしています。


    長文本当に申し訳ありません。ここに書いたことは、小鳥さんからコメントをいただくまで、意識も、十分な言語化もされてませんでした。理解を進める大事なきっかけになりました。コメントありがとうございました。

    2020年2月16日 01:25 編集済

  • 11 耕平が消えたへのコメント

    最悪の結果も予想しましたが、生きていてくれてよかった……。
    でも、ここから一波乱ありそうですね。

    作者からの返信

    小鳥さん、コメント励みになります。大事に読んでくださりありがとうございます。


    この回は耕平の行動の切実さを大事にして書いてます。

    その切実さを表現するために、耕平に感情移入した読者が尊重されている感覚がもてるよう、前話同様篤哉の地の文が果たす役割は大きいように思います。ということもあり篤哉に力を入れてます。

    >ここから一波乱ありそうですね
    おっしゃるとおりで、次の1~2話は山場です。
    見るのが苦しい部分もあるかもしれません。すみません。
    引き続きお付き合いくだされば嬉しいです。

    2020年1月27日 19:52 編集済

  • 私のことを知らない世界で - Prol…へのコメント

    自主企画への参加、ありがとうございます。
    久々に読み応えのある作品に出会えて嬉しい限りです。
    最初にこちらのプロローグを読んでから、物語を十話まで読み終えてもう一度、こちらを読むと、文章の持つ魅力が一気に開いた感じがしました。
    拝読できて良かったです。

    作者からの返信

    小鳥 薊さん
    存在してきます最新話までよんでくださりありがとうございました!レビューを書いてくださり、有難い限りです!



    小鳥さんの印象のとおり、4〜8話まではストーリーよりも思索部分の進行がメインです。

    3話までは耕平達の出会いを描いていきました。
    8話までの中後半は耕平と篤哉の対話の中で、特に耕平の思想が展開されていきます。

    9話のアノニマスから、ストーリー部分が動いていきます。これからもラストまで、物語が目まぐるしく変わり続けます。



    >久々に読み応えのある作品に出会えて嬉しい限りです。最初にこちらのプロローグを読んでから、物語を十話まで読み終えてもう一度、こちらを読むと、文章の持つ魅力が一気に開いた感じがしました。

    とても嬉しいです。書いていてよかったです。





    次話は消えた耕平を紗也加と篤哉が探しに行きます。

    自主企画でたくさんの作品を読むのは大変だと思いますが、拙作を大事に読んでくださり、本当にありがとうございました。

    引き続きお付き合いくだされば嬉しいです。

    また読みに行かせていただきます。

    2020年1月24日 07:48 編集済

  • 6浪越家での日々へのコメント

    「何ものかになりたい」という存在欲求は他人からどう見られているか、なんですよね。そんなモノに左右されない自分でいたいと思いますが、なかなかそこまで強くなれませんね(^_^;)

    先日、丁寧なレビューを頂き、ありがとうございました!

    作者からの返信


    いくさん、こちらこそいつもありがとうございます!また読みに行かせていただきます。

    「何かを成して死にたい」とか、「自分にしかできないこと」を望むというのも存在欲求と考えています。

    何をするにつけても、他人からどう思われているかをその度に振り払って行動しているような気がします。人間の自然みたいなところもあるんでしょうね。同感です。私も周りを気にしないで生きていきたいですね。大して上手くいってやしないんですが(笑)

    2019年6月18日 19:50 編集済

  • 5コーヒー - 会話の了解性と正しさの…へのコメント

    人間同士の優しさのある会話にこちらまで嬉しくなりますね。
    こういうものをまさに対話と言うのでしょうか。
    これからも応援しています。

    作者からの返信

    おかか貯金箱さん、応援コメントに星マークまで、ありがとうございます。励みになります。

    拙作を見つけてくださりありがとうございました。

    2019年6月6日 23:33 編集済