自分と大人


 私とセリスさんは宿へ到着し無事にターニャと合流することができました。

 そして少し休んだ頃には外はすっかりと暗くなります。


 リンデルに限らず大きな町では暗くなってもすぐに寝ると言う事はまず無い。

 魔法具や蝋燭などと言った物の灯りが町を照らしていて外は酔っ払い等の声で騒がしい。


 私の目の前の机には何本か開けられ空になった瓶が置かれていてターニャはもう既に眠そうで体が揺れています。


「かなり眠そうだねえ、すぐそこにベットがあるんだから無理しない方が良いよ」


「ん……もう少しだけ飲まないともったいない……」


「アハハ、ターニャはお酒好きですけどあまり強くはありませんからね」


 もう少しと言いつつ机に伏して駄々をこねるターニャを見てつい苦笑してしまいました。


 駄々をこねる気持ちは分かりますけどね。


「それにしても本当に美味しいですね。

 甘いお酒もただ甘いのではなくスッキリとしていて飲みやすいです」


 帽子を外しもしないのに酒屋に行かずに宿の部屋で飲んでいるのはセリスさんが所持している貴重なお酒を飲む事になったからです。


 飲むためだけに酒屋にお酒持ち込むなんて勇気は私にはありませんよ。


「カクテルはこっちの方には無いのかい?」


 ほんのり赤みの指した頬で少しい色っぽい感じになっているセリスさんが猫のような笑みで私に聞いてきた。


 私が今飲んでいるお酒はシェイカーと呼ばれる道具を使って色々なものを振り混ぜて作るお酒のカクテルです。

 セリスさんが目の前で作ってくれました。


 そのセリスさんは先程から葡萄酒を飲んでいて、ターニャは葡萄酒からできるらしいブランデーと言うお酒を飲んでいました。


「はい、ありませんよ。

 そもそもお酒に混ぜるという発想がありませんでしたからね。

 あ……ですが噂のボッタクリバーではエールを水で薄めて提供するなんて話は聞いたことありますけどね、ハハハ」


「へ~、どこの世界にもそんな場所があるもんだ。

 私はそんなもの出された日にはその店を潰してるね。

 そりゃ文字通り……いや、見た通りにかな?」


 肘を机に立てながら冗談みたいに笑ったセリスさん。

 今度は椅子に体重を掛けて寄りかかり、気分良く言葉を続ける。


「逆に他国の美味しいお酒を作っている領土は計算して海に沈めるのを止めたくらいだ。

 美味しいお酒は覇王の魔の手から命を救うのだ!

 正に悪党!外道!セリス!」


「あ……あはははは」


「ハーッハハハハハハ!!!」


 正直セリスさんが時々口にする悪党理論や覇王なんかは取っ付きにくくてどうしたら良いか分かりません。

 これさえ無ければこれ以上無い程魅力的な大人なのでしょうに残念です。


「しかし、本当にお酒の味を高める目的で混ぜ物をするなんて聞いた事ありませんね」


「ふむ……」


 セリスさんの声のトーンが下がる。


 何故だか分りませんが私の体がゾクッと震えました。


「つまりこの地域には無い知識な訳だ。

 だとしたら、メリルちゃんはシェイカーを含めていったいどれくらいでこの知識の権利を買ってくれるかい?」


「えっ!?」


 その言葉はほろ酔いを少し越えたくらいだった私にとって冷水を掛けられたような気分です。


 セリスさんはこの大陸に存在してない知識の権利を売っても構わないと言っていて、このお酒の美味しさは自ら飲んで理解できています。


 このお酒は帝国、王国においてまだセリスさんしか所持していない代物であり、シェイカーの構造が完全に理解できていない以上王族ですらセリスさんから貰わない限り口にすることはできないと言っても過言ではありません。


 その仕組みと権利を譲り受けるとなればかなりの利益になる。

 信用買いした物等の金銭も全て集めれば冒険者ギルドのある町に小さいながらも自分の店を買えるだけのお金が今の私にはあります。


 それを投資したところで足りないくらいの価値がある可能性を充分すぎる程示していて、それによって得る利益は…………


「…………いいえ、買いません」


「へえ……何故だい?」


 セリスさんの雰囲気が変化する。

 楽しいという雰囲気ではないのは確か。

 その魔力の気配は私を包む。

 ただ嫌な感じはこれっぽっちもしない。


「今回セリスさんと行った、義務を放棄すれば必ず死ぬ契約を交わして私は商人として二流どころか三流にも届いてないと思ったからです。

 私は、偶々商売が上手く行っていただけで成人して4年、19歳の小娘でしかなくて、たぶん、器とか……そう言った土台のようなモノが全然できていないのです。

 なんと言えば良いのでしょう……私は……ただ…………ん!?」


 私が不器用ながら自分の考えを語ろうとしていたらセリスさんが私の唇に人差し指を押し当て1秒くらいで離す。


「……あの……セリスさん?」


 そのセリスさんの顔はとても満足げで……


 とても……とても暖かな気持ちで、優しい表情をしていました。


「決めた……私はメリルを逃がさない」


 とても優しい手付きで私の頬を撫で、クスクスっと心底面白そうにセリスさんは笑う。


「……」


 どう言う意図でそう言ったのか理解できず固まっている私をよそにセリスさんは立ち上がり右手を軽く振る。


 その、指先が軽く光ったと思ったらいつの間にか寝ていたターニャの体が浮かび上がり、ゆっくりとベットの上に落ちる。


「ふあぁ……それじゃ今日はこれくらいにして寝ようか。

 魔法使いである私は睡眠を必要としないのだが、魔法使いになる前の名残か眠くなるんだよね」


 そう言いベットへ潜ろうとしたところで動きを止め、こちらに振り返る。


「メリル、私は魔法使いなのに眠くなるって事は誰にも話したこと無いから内緒だよ?

 それじゃおやすみ、メリル」


 と手を振りながら布団に潜るとセリスさんは眠りに落ちたように一定のリズムで呼吸する。


「え、ちょっと待ってセリスさん……嘘?」


 帽子を取って翼からセリスさんの呼吸や心音のリズムを集中的に察知すると本当に眠っていると確信できる。


「……魔法って奥が深いなぁ」


 基本的に自らが放った魔法は自らを傷つける事は無い。

 眠りの魔法も昏睡状態にすると言う意味で傷つけている扱いである。


 これは一般常識であるが、目の前の魔法使いはそれを否定してみせた。


 自らの魔法で眠りに付いたセリスさんは効力が切れるまでは攻撃でもされなければ起きる事は無いと考え、蝋燭の灯りを消して眠る事にした。




 ・




 人は、急に"力"を手に入れると変わってしまう。


 それはどんな形の"力"でも起こりうる事だ。


 それはこの私ですら例外ではなく"力"を手に入れる事で私は"私"を無くしかけた。

 あんなにも私が"私"である事に誇りを持っていたというのにだ。


 私の得た"力"は私の全身を鎖のように巻き付いていき、重い重い足枷となっていった。


 気が付けば"力"によって私は"私"を見失い、本当の"私"を"覇王"という何かが飲み込みかかっていた。


 しかし、"大人になる"と言うことはそう言うことなのだと私は思う。


 正しい大人は"自ら"を削り"力"を得て"何か"になる。


 それならば、私は"大人"でなくて良い。


 私は"私"でありたいから。


 それでも世界は私が"私"でいる事を拒む。


 それを無理に抗えば私が"私"で居続ける事に"意味"が無くなる。


 いくら誇りを持とうと、気高くあろうとも、私には"私"しか無くなり孤独になってしまうから。


 ならば私があるべき"私"とは、良き"大人"であり良き"私"であり続ける事だ。


 だが、私は"覇王"でありすぎて最早その"入れ物"から逃れる術はその世界の中に存在していない。


 ならばその世界から抜け出そう………………………




 ……………………目の前にいる私より一回り小さい少年の格好をした少女は"力"を得るチャンスを振り捨て"自分"で要る事を選んだ。


 良い!凄く良い!


 彼女が不器用ながら言葉にして語った内容は私が見い出した大きな失敗を見つめ理解しているのだと十分に察する事のできるものであった。


 この子はきっと私よりもずっと"自分"を失う事は無い。


 それは私の考えにある"力"とは決定的に違う強さだ。


 それこそが"私"が望む強さだ。


 それを弱さなどと覇王と呼ばれたこの"私"が否定なんてさせはしない。


「それじゃおやすみ、メリル」


 だから私はこの強き少女を全面的に信頼する事にしよう。


 私が望んだものを手にするには私から信頼しなくてはならないだろうから。


 だから私は私の身を守る全ての術を放棄して眠りに着いた。


 完全な無防備。


 あちらの世界でこんな状態になったのはいったい何年前だっただろうか……


 もしかしたら……


 幼い頃に、あの薄暗くて冷たい洞窟で、彼等と過ごしていた暖かな時が最初で最後だったかもしれない……





 そして私は何事もなく目を覚ました。


 乾いた喉を潤す為にベットから出て机に置かれたままにされたコップを取ろうとする。


「ん……セリスさん……?」


「メリル。すまない、起こして……」


 彼女の顔を見た私はその視線を少し上へと上げる。


 彼女の頭には黒いコウモリのような翼が2つ、前髪と同じように垂れている。

 てっきりワービーストとのハーフで犬科や猫科の耳でも存在して四つ耳なのを隠していると思っていたが、まさか翼とは……


 メリルは私の居た世界には存在しない種族だった。


 当然の事だが、私は前の世界を捨てなければ『メリル』に出会うことは無かったと証明された気分だ。


「……おはようメリル。

 とても素敵な翼を持ってたんだね、隠しているのが勿体ないくらいだと私は思うよ?」


 そう言いながら私はメリルの頭を撫でる。


「えぇ……?ん……あ、帽子!」


 寝惚けた様子だったがその言葉が頭に染み渡っていき帽子を慌てた様子で被った。


 私はもう少し眺めてから伝えれば良かったと後悔しつつ魔法で水を作りコップに注ぐ。


「メリルも水飲むかい?」


「あ、はい、頂きます」


 彼女にコップを手渡し、その小さな口で水を飲む姿を眺めながら私も飲みはじめる。


 私はもう、彼女を『メリルちゃん』なんて呼ぶことを止めることにした。


 それは彼女に失礼だからだ。


 さて……メリルが昨日ターニャは酒に弱いと言っていたがあんなにブランデーを飲んで、今日まともに行動できるのだろうか?

 下手したら私の手元にお金が入るのに明日になるかもね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る